それから
それから(6) 誰かの恋・・1
「姐さん、バイト代、前払いで頂けませんか・・?」
「・・ええけど、どしたん?」
「いや・・、給料袋、落としちまった様で・・」
「・・そうなん? ・・・はい、これくらいでええ(これくらいで好いですか)?」
と、姐さんは、とやかく詮索しないで、幾らかの金を渡してくれた。
(やれやれ・・、これで始末すれば何とか食い繋げる・・)
と、AB建設(新しく勤め始めた会社)からの給料ひと月分を、自ら断った俺は、思った。
その新しい会社は、儲かるかどうかは別として、途切れる事なく仕事を受注していた。
毎日、5時前~6時前に家を出る。そして、自転車で約1時間余り。会社の車に乗り、現場に向かう。
この繰り返しが、続いた。
仕事の内容は、小さな小川の整備、崩れた市道・町道の復旧、建築予定の土地整備及び、型枠大工仕事と、雑多なものだった。
「大きい現場の仕事が来れば、少しは楽になるんじゃけど・・」
と、殆ど俺達と現場で働く社長が、言う。
しかし、一度その会社に貼られたレッテルは、そうそう簡単には変わらない。
従業員が少なく、しかも高齢者が殆ど。おまけに、資金繰りの危うい会社などに、まともな仕事のオファーなど来る訳がない。
当然の事、其処で働く従業員の給料も安い。
だが、概して薄給に甘んじて働く従業員は、みんな人が好い。
欲というものの持ち合わせが、他の人達とは、違うのだろうか・・
みんな、笑いながら、肩を寄せ合いながら生きて居る、フィリピンの人達にも似た処が有る。
だから、俺自身は、其処での仕事は、楽しかった。
そして、帰宅して、すぐに汗まみれの身体を洗うと、俺は、また自転車で姐さんのスナックに御出勤。
「あ~、さんちゃん、こんばんは~。あんたを待っとったんよ~」
と、最近は、俺が店に入ると、声を掛けてくれるお馴染みさんが増えた。
自転車だから、俺は、勧められるままに、ビール・ウイスキー・日本酒・・・何でも遠慮なく呑み、姐さんの店の売り上げに協力する。
俺は、いくらアルコールを吞んでも、前後不覚になる程、酔っ払った記憶が無い。
音楽も好きだから、歌えと言われれば、楽しそうに、哀しそうに歌う。
ある時、会いたい という曲を歌った。
この曲は、学生時代から知り合いの男女が、恋に落ち、幸せな将来を夢見ながら、そのお互いの距離を縮める。そして、もう自分が将来を託すのは、この人しかいないと思い込んだ頃、突然、その最愛の相手を失くしてしまった人の、心の叫びともいうべき歌。
俺は、死んだばあちゃんを思い出しながら、歌った。
朧気に覚えているばあちゃんの姿、『お前は、好い子だねぇ・・』と、頭を撫でながら、言ってくれた時の笑顔などを思い浮かべて・・
俺が、歌い終え、ふと気付くと、カウンターの中に居た、この店で働いて居るスミちゃんが、涙を流している。
そのスミちゃんの涙に、店の中は、静まり返っている。
「・・・」
「・・」
静かに、グラスを口に運び、なるべく音を発てない様に、そのコップをコースターに置く客達・・
(・・不味いなぁ・・ この歌、歌うんじゃなかった・・)
と、どうしたら好いのか分からない俺・・
其処へ、
何処かで飲んだ勢いで、雪崩れ込む数人の常連さん。
「いらっしゃ~い。」
「な~に、その顔? どらちゃん、もう相当出来上がっとるね。他所で浮気したら駄目よ。」
再び、賑やかさを取り戻したざわめきの中、灰皿とお手拭きを持って、裏に消えるスミちゃん。俺は、彼女が気になって、
「おい、用心棒。今日も、タダ酒を飲みに来とるんか。」
とか、
「相変わらず顔色が、黒うて、人相が、悪いのう。何とか、せいや(しろ)。」
などと言う、雪崩れ込んだ常連さんに、適当な言葉を返しながら、スミちゃんの様子を窺いに、裏の部屋に行った。
「ごめんね、スミちゃん・・、俺・・」
と、謝った後に続ける言葉を見失って、彼女の後ろに立ち尽くす俺に、
「ううん、ええんよ・・。さんちゃんの所為じゃ、ないんよ。ただ、ちょっと、歌の中に入り過ぎただけじゃけん・・」
と、スミちゃんは、笑いながら言ってくれた。
この世界、様々な人が・・、様々な経験を抱えた人が、居るんだな。それは、フィリピンと同じなんだな・・
「・・じゃけど、さんちゃん。あんた、歌が上手いんじゃね。」
「いや、そんな事・・ 俺は、ただ・・、俺が、小さい時、死んだばあちゃんを思いながら歌っただけで・・ ほんとに、ごめんなさい・・」
その日、俺は、店が引けてから、スミちゃんと二人で、近くの居酒屋に行った。
彼女は、既に、何時もの明るいスミちゃんに戻っていた。
昼も夜も働くという、そんな毎日なのだけど、充実した日々が送れた。
俺は、会社の負担で、移動式クレーン運転士の資格を貰った。移動式クレーン運転免許とは、所謂、ユニック車という、トラックに備え付けてあるクレーンの操縦免許。
このクレーンを使って、荷物を載せ、別の場所に運ぶ。そして、またそのクレーンを使って、運んだ荷物を必要な場所に降ろす。
小型だけど、ユンボの操作も徐々にではあるが、上手くなって来た。
そんな毎日が続く中、ある朝、会社に着いてみると、何時もは9時出勤の社長の娘さんが居た。
「おはようございます。」
「あ、おはよう、さんばんくん。」
俺の挨拶に応えながら、彼女は、通勤に使う軽四の助手席から、布製の小さな袋を取り出した。
そして、俺に近付き、
「これ・・」
と言って、その袋を差し出した。
「・・?」
「これ、弁当・・ さんばんくん、お昼は、何時もお結びだそうだから・・」
「・・いや・・それは・・困ります・・・」
「ええから、早う取って・・ 他の人に見られたら、気まずいけん・・」
「・・・」
と、それでも手を出さない俺をそのまま残し、彼女は、俺が乗る予定のトラックの助手席に、その弁当袋を置いて、黙って事務所に入って行った。
(・・不味いぞ、これは・・)
と、弁当は、有り難かったけれど・・俺は、思った。