かざぐるま
美樹はこう言って千代を驚かせた。外孫の美樹が自分たち家族のことをここまで考えているのにはかわいそうだという思いがわいた。十九歳の娘盛りで親の心配までせねばならないのは気の毒なことだと千代は目頭を熱くしている。
千代には一郎のことも心配だったが、元気に猫のキャッシーと遊んでいる姿には翳りが無かった。一郎は千代の家に来てから以前よりはしっかりしてきたし明るくなった。本来なら、両親の不在でしょげるはずなのだがそれを気にするようではないし、そのことを口に出しもしない。その秘密はケイタイにあった。八重と美樹と一郎はケイタイで結ばれていたのだ。八重は千代には自分たちの家庭のことほとんど喋らない。千代が心配して尋ねると、
「心配をかけてすまないけど、ここに置いてもらっておればそれでいいんよ。緊急避難ってことかなあ。実家のぬくもりを久しぶりに味わってるから楽しいんよ。子供のことは心配してくれんでいい。美樹も一郎もこっちへ来てから成長しとるんがよう解る。自分たちで生きる道を探そうとしとるんよ」
と、八重は子供たちをかばうように言った。自分のことは自分で出来るように育てるいいチャンスだとも言って前向きな姿勢をとっている。それには香奈に対する反発と皮肉がこめられていた。淳をあのようにした香奈が憎いのである。
これから旬日が過ぎたとき、香奈が淳を連れて千代家に現われた。このとき八重は不在だったが美樹が居た。
「何しに来たの。母さんは居ないよ」
美樹が二人を見詰めながら怒るように言う。遅れて出てきた千代がそれを制止して部屋に通す。このとき、一郎が飛び出して来た。猫のキャッシーがその足元に寄っている。淳は座るなり、
「八重を引き取りに来た」
と、高飛車に言った。香奈はそれを抑えないで、
「淳は八重を許すと言ってるんです」
と、下座に座った千代を見据えていた。
こんな理不尽なことが許されるだろうか。千代はあきれている。八重の嫁入り道具をなんの断りもなしに突然送り返してきたのは香奈じゃないかと千代は口に出しかけたがこらえた。ここは聞くだけにしておかないと八重がどう言うかわからないと心を抑える。一郎が淳に走りよって頬を殴ったのはそのときだった。猫のキャッシーも淳の肩に爪を立てて飛びついた。不意を襲われた淳が瞬間たじろいだ。
「父さんは、母さんに謝れ。自分勝手なことばかりして母さんを苦しめたじゃないか。姉ちゃんも俺もあんたを許してなんかいない。あんたが居ないほうが母さんも俺たちも幸福なんや。香奈祖母ちゃんもいつまで父さんにくっついとるのや。祖母ちゃんが父さんをだめにしとると母さんもいってたよ。俺も美樹姉ちゃんもそうおもっとる。父さんと香奈祖母ちゃんに謝ってもらいたいのはこっちのほうやで。母さんが許したら戻って来ていいよ」
一郎がまくし立てたのには淳も香奈も唖然とした。千代は当惑している。座席がしらけた。このとき、美樹が口を開いた。
「母さんの持ち物を母さんの了解もなしにこの家に送りつけた香奈祖母ちゃんはどんな権利があったの。法律違反でしょう。犯罪者じゃないの。父さんには家庭放棄の道徳的責任があるのよ。母さんから離婚を申し立てたって不思議じゃない。それを何よ、母さんが謝れば許してやるって、逆じゃないの、父さんと香奈祖母ちゃんが母さんに謝るべきよ。日を改めて謝りに来て頂戴。今日はこれで帰ってよ。そのときは連絡してから来るの。今日のように突然来るなんて失礼だよ」
美樹は、千代の隣に座って、千代の言いたいことを代弁するように言った。思いもかけない展開に、香奈も淳も沈黙したままだった。少し間を置いて香奈が、
「帰りましょう」
と、淳を促がした。千代は引き止めなかった。
この日夜帰宅した八重は、事の次第を聞いて、
「美樹と一郎が賛成するなら、淳とやり直してもいいよ。何と言ったって、二人の父さんなんだ。母さんは他の男と再婚する気は無い。連れ子は惨めだからそんな目にあんた達を合わせたくないのよ。あんた達も新しい男を父さんなんて呼びたくないだろう」
と、呼び水を向けた。すると、しばらくためらっていた美樹が、
「それには条件があるのよ。もとの家には戻らないで新しい家に住むこと、あの家は香奈祖母ちゃんの持ち家だから絶対駄目、父さんは呼び戻さないで、謝って帰ってきたら入れてあげる。それならいいよ」
と、八重の覚悟を促がすような目で迫った。美樹は八重が淳から離れたくないのではないかと心の奥を窺がっていた。
これから半年経った夏の日に、八重と子供たちは新築マンションに入居し、三人で住むことになった。4LDKで淳のために一部屋とってある。だが淳はまだ戻っていなかった。
その空き部屋は洋室で猫のキャシイーが遊び場にしている。一郎の隠れ部屋にもなっていて、ゲームをしたり音楽を聞いたりしていた。キャッシイーが好きな曲をねだって耳を傾けるような姿勢で聞き入る。時には、曲に合わせて走った。一郎が呼べば膝に上がって休む。一郎が寝転がるとキャッシーも傍で寝そべる。キャッシーと一郎が仲良しなのはお互いに気心が分かり合っているからだし、仲を裂くものが間に居ないからだ。八重も美樹も一郎やキャッシーを好きにさせている。
「父さんのための新しいお部屋でしょう」
などと言わない。
このとき、淳は両親のマンションに同居している。淳と八重の家族が住んでいた香奈の持ち家はすでに売却されていた。
(了)