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逆光

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  小説 逆光
                            佐武 寛
 
             一                      
「やっぱりそうだよね。元気であるのは気持ちからだ」
「そういうことだ。年を忘れるのがいいよ」
 後期高齢者といわれる二人の男が、自分を慰めあっている公園のベンチに、桜の花が風に吹かれて落ちてくる。
 高齢化社会を元気にする話を聞いてきた。区役所のホールでお医者さんの出前講義があったのだ。市役所の地域保健課の催しだから無料である。
「とにかく、この年だから、身体はあちこち傷んでいて当たり前だよ。何もないというのはウソだ」
「機能障害がなければいいということだよ」
「足腰が弱って来たことは確かだ。機能障害というほどでないが」
 丸顔の男が、とにかく、この年だからというように納得している様子である。
「あまり気にしないことだ。医者にかかると必ず病名がつくから、自分で直したほうがいいよ」
 四角い顔の男が突っ張るように見えた。その時、
「またお会いしましたね。先輩たちはお元気ですね」
 と、声をかけながら、六十歳後半かと思われる屈強な男が犬を連れて近寄って来た。この男は佐伯といって、二人の老人の大学の後輩であり、職場の後輩でもある。大学の同窓会では毎年会っている。
「犬の散歩も大変やね。佐伯君は我々より十歳は若いから、まだまだ、仕事もできるのに」
 と、四角い顔の男が言った。
「増本さんは、今でも会社に関係あるんですか。後輩が世話になってると言ってましたが」
「顧問だよ」
 四角い顔の男が軽く答えた。
「増本は辣腕の営業部長だった。常務を最後に退いたのよな」
 丸顔の男が思い出したように言った。
「鈴木さんは、経理部長だったですね。専務でお辞めになった」
 犬を連れた男が、丸顔の鈴木を見て、思い出したように言う。鈴木はそれには頷いただけで、全く別のことを言い出した。
「佐伯君は、再就職する意向があるかね」
  鈴木からの予期しない質問に、佐伯は吃驚した。
「俺達のような後期高齢者は御用済みだが、君のような前期高齢者にはまだまだチャンスがあるよ。世のため人のためにもう一度役立ってみないか、介護施設で働き手を探しているのだよ」
 鈴木は、施設を運営している法人の理事長が旧制高等商業学校時代の友人で、その人から最近、人探しを頼まれたのだと言った。
「前期高齢者とは、初めて聞いたな」
 増本老人が驚いたように言う。
「七十五歳以上の後期高齢者は、医療保険上の厄介者だが、六十歳から七十四歳までの老人は、前期高齢者と言っていいだろう。医療的にはメタボ症候群だよ。この年代の代表格が団塊の世代だった。この世代を今一度、戦力化すれば社会が明るくなる。リサイクル世代だよ」
 鈴木老人は、とたんに能弁になった。佐伯に出会って元気を取り戻したらしい。
「後期高齢者というカテゴリーを行政が設けたことで、にわかに高齢者にスポットライトが当たったね。俺達たちが社会の注目を集めた。高齢者の医療保険料も自己負担金も高めに移行する。高齢者はカネ持ちだという前提で制度設計したようだ。若い役人のやりそうなことよ。若者世代の負担を軽くするためだと言っていたな。少子化で高齢者が重荷になったのよ。昔のように子沢山ならこんな問題は起きなかったね」
 鈴木老人が増本老人の顔を見て話しかけた。それを受け取ったように、今度は、増本老人が話題に参加した。
「家や家族や子孫といったコンセプトが無視されている。自分だけの人間になったのだな。究極の個人主義に陥ったのやないか。娘が嫁入りしない。嫁になっても子を産まない。産みたくても三十歳後半の晩婚では可能性は低い。一般論じゃなくって、僕の家がそうなってるのよ。長男の嫁はキャリア・ウーマンで、仕事と結婚したようなものだ。このままでは我が家も息子の代で絶家だよ」
「この頃は、先祖代々の墓を守る後継者がいなくなったので、個人の永代供養墓が増えてるそうだね。お墓の個人主義だ。戦後、家族制度が廃止されて、その影響が墓にまで及んだということよ」
 鈴木老人が話の後を引き取っていた。
「私たちは、定年後もこちらに住んでいますから、郷里の先祖の墓は整理したのですが、こちらに持って来ることも出来ませんので、お寺さんには、永代供養塔に合祀するように頼みました。私たち夫婦には子供がありませんので、死後は永代供養塔に納めてもらうつもりです。個人主義とかの選択の問題ではなくて、遺骨の処理をお寺に託すしかほかに方法はないのです」
 佐伯が増本の説に逆らうのではなくて、現実はこれしかないということを説明するように話したので、先輩の老人たちは頷くしかなかった。
 戦後の家族制度崩壊も、制度の廃止から六十年以上も経つと、現実にその影響を具体的に顕示し、日本人の心の中までが、個人主義に傾斜し、先祖信仰を守れなくなっていても、当然のように受容している。佐伯がそのよい例である。
「佐伯君、先の話に乗ってみようと思われたら、私の携帯に電話してください」
 鈴木は、別れ際にこう言って、佐伯の決断を求めた。佐伯が去ってからも、二人の老人はベンチに腰掛けて、話し続けていた。半日座っていても平気なのである。
 
 鈴木は昭和世代の生き残りである。昭和は今年で八十五年。最初の二十年が戦争時代であった。鈴木は数え年十八歳のときに赤紙召集で入隊したのである。
「あれは、ほんとにひどい軍隊やった。腰の短剣は竹光よ、もうあかんと思ったね」
 鈴木が思い出しているのは、昭和二十年の新緑の頃の陸軍である。原爆が投下されるまで数カ月であったろうか。制空権も制海権も失ってしまった日本軍は本土決戦をまじめに想定していたらしい。だから鈴木は上陸米軍戦車を迎え撃つ任務につくはずだった。尤も、そのことは、復員して数年後に耳にしたことである。部隊にいた時は、命令以外は一切伝わってこない。いつ何が起きるか、何処で何が起きているか、そうした情報から遮断されて、ただ黙々と命令に従うのが兵隊であった。
「タコつぼに地雷抱えて隠れる自爆やったのやな」
 鈴木はそれを知った時、驚きに身震いした。だが、それはないままに終戦になったのである。
「俺たちの負い目は戦地で実戦してないことや。戦地から帰って来た先輩には勝てん」
 鈴木は、昔の仲間に会うとよくこう言っていた。そもそも鈴木は、戦争の生き残りであることに、悔いを抱いて生きて来た。親族には、戦死したものが五人もいたのである。父方に三人、母方に二人であった。親族が集まれば、鈴木が戦地に行かず、内地勤務で無地に復員したことを喜んでくれた。だが、それが、鈴木にとっては肩身の狭いことだったのである。今でもその気持ちは変わっていない。それで、戦地に行っていないという後悔を引きずっている。
作品名:逆光 作家名:佐武寛