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ある女の自画像

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 私は非常勤講師を続けているが、悲壮感は少し薄らいだ。常勤探しには疲れていたので休止することにした。履歴書は百通以上送ったが反応はゼロだった。ばかばかしくてやって居れない。大学勤めはハローワークのカテゴリーではない。公募はあるがそれを知るのにも伝手が要る。それに、公募は形式的で、実際は内々で決まっていることが多いのだ。大学は学閥だの何だのがあって閉鎖社会だということを実感させられた。
━非常勤を辞めるかも知れないよ
 私は茂に自分の気持を伝える。茂は頷いた。張り合いが無い。何とか言ってくれたらよさそうなものだが、私は言い出した事を後に引かないのを茂は知っているのだ。
━それでいいの?
  私は、それを承知の上で、重ねて言う。返事が無いからダメ押しをしたようなものである。返事を期待したわけではない。
 この日は、彼が自分の部屋で勉強していたので、休息のタイムを見計らって、お茶を差し入れた。そのときの挨拶言葉のようなものであった。重大なメッセージと言う意識はなかったので、無視されても平気である。
 私が専業主婦であれば子供の世話に専念しただろうが、キャリア志向の私は仕事に生き甲斐を見出していたから、犠牲になったのは子供かもしれない。気持の上では、夫・茂をも捨てていたのだろう。
 茂は、目を通していた設計図をたたむ。それから二人でコーヒーを飲みながら話をする。茂の仕事には触れなかった。それを聞いてどうすると言われても困る。猛と花のことが中心だった。学校の勉強や友だちのことを私の知る限りで話題にする。
━子供のことは英に任して置けば大丈夫だ、頼むよ
 茂は当然のように言った。彼は昔からそうだったが、子供の面倒を見たことが無い。仕事一筋の人間だと言えば格好いいが、要するに子育も家事一切も私に任せ切りである。これらを分担しようと言う発想が無い。家庭を守るのは主婦だという昔の因習を信じきって生きている。私がどう思っているかには無関心であった。私は「ふ、ふ」と嗤う。これは夫・茂を軽蔑しているのだろうか、哀れに思っているのだろうか、私の心の中ではどちらでもあるようだった。
 茂は再就職できたので当面はやれやれである。しかし、彼が一級建築士に合格する日は定かでない。四十歳を過ぎての人生のやり直しは生半可なものではない。だから、私は内心では夫に同情しているが、男社会のある意味での落伍者だと思っている。誰かが私の心を覗いたら何と言ったであろうか。私はまた、「ふ、ふ」と嗤う。
 
 こうした日々が幾日か続いたある日、桜の花も咲き始めて、梅、桃の季節の薄ら寒さから開放されると、ほっとしていた矢先に、茂に異変が起きた。病名は衰弱である。信じられない。私は耳を疑った。そんなことって聞いたことも無いと思っていたが、実際に、目の前にいるわが夫の身体が崩壊を始めている。
 茂の意識は確りしている。特定の病名のあるやまいは無い。骨が崩壊するので足腰が利かない。当然、トイレに歩いてはいけない。這うしかない。それが気になるのか、食事を取らなくなる。医者は流動食を与える。身体は衰弱して寝たきりになる。一日中、目を瞑って休むことが多くなった。顔はすでに老人である。日に日にやせ細って来るのが解る。
 我が家では世話を仕切れなくなったので、茂の実家に移ってもらう。古くからの農家で部屋数も多く、ベッドをしつらえるには充分な広さの部屋がある。両親はまだ健在だから面倒を見てくれる。田圃を潰して敷地にした新宅に義兄の家族が住んでいる。本宅と新宅は同じ敷地内にあるから隣り合わせである。
 私は今、止めども無い焦燥感と不安に襲われている。順調に行きかけた矢先に奈落に落とされたようである。どうしてこういうことになったのか、理由など解るはずはないが、すんなりとは受け容れ難い。私の周りが何故このように災難を引き起こすのか。私は自分の生活設計が頓挫しそうなので恐怖すら感じている。
━わたし、どうすればいいのよ
 私はそう叫びたい。私が茂に非情だという人があれば聞きたい、私の両親は私に非情ではないのか。夫婦や親子のことは外からはわからないことが多い。それを見過ごして批判や批評や陰口をするのが世間でしょう。私はそういうものを気にしない。だが、神や仏には尋ねてみたい。
━わたし、どうすればいいのよ。
                                (了)






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作品名:ある女の自画像 作家名:佐武寛