魔獣つかい【サンプル】
「忙しいんだって。早く来てほしいって言われてるから」
上着と手袋をつけ、さくさくと雪を踏んで青い屋根の家を目指す。大きな門は五色の護符と赤い実と金色の葉の造花で華やかに彩られ、通りからも見える大窓には、金糸銀糸の縫い取りがまばゆい紅色の衣装が飾られている。香鈴の祝い装束なのだろう。
連枝は表門をくぐらず、裏から家畜小屋に回った。
「こんにちは、手伝いに来ました」
「ああ、よく来たね。牛の乳がはちきれそうだよ、早く絞ってやっておくれ」
「はい」
家畜小屋は動物の体温でほのかに暖かい。乳を搾り、敷き藁の交換など、体を動かしているとたちまち汗がにじんでくる。
「一番奥に新しい馬が入ったよ。まだ落ち着かないようだから、不用意に近づいて驚かさないようにね」
「はい」
隣の囲いの馬にブラシをかけてやりながら柵越しにちらりと覗くと、まだ若い馬が落ち着かなげに蹄を鳴らしながら囲いの隅にいた。明るい艶のある栗毛に、すらりと細く長い脚。農耕馬ではない。
(香鈴の馬か)
まだ子供っぽい、気の強そうな顔の真ん中に大きな白い星があった。
「お疲れさん。今日の給金と、ほら、おっ母さんに」
まだほんのりと温かい乳の入った硝子瓶と、藁に包んだ卵を手渡された。
「ありがとうございます」
「妹にしっかり食わせてやんなよ」
「明日もおいで。仕事はいっぱいあるからね」
「ありがとうございます!」
夜まで仕事が続く大人たちより一足早く仕事を終えて、連枝は家畜小屋を出た。空は灰にうすく紫が混ざった色になっていた。瓶と卵の包みを落とさないようにしっかり抱え、雪を踏みしめ踏みしめ歩いていると、
「待ちなさい」
聞き覚えのある声に呼び止められた。
「……香鈴」
雪の表に出るには薄すぎる部屋着のまま、駆け出してきたらしい。
「風邪引くよ」
「あなた、成年式には出るんでしょうね?」
連枝の言葉を無視して、香鈴は切りつけるようなきつい口調で言った。息が白く流れた。
「……出るつもりだけど」
「支度はできてるの、魔獣は?」
無表情を通そうとしたが、頬が引きつるのが連枝自身にもわかった。
「分相応に何とかするよ」
「何よ、その言い方!」
色白の頬にさっと血の色が上った。
「君には関係ないだろう。早く家に入らないと、ほんとに風邪引くよ」
「今は関係ないでしょう、そんなこと!」
明るい栗色の髪を振り乱すように香鈴はかぶりを振った。ああ、子馬の毛色と同じだ、と思いながら、連枝はさくりと一歩を踏み出した。
「早く帰らなくちゃ」
「ちょっと!」
きゃあ、と小さな悲鳴が上がったが、もう立ち止まらない。雪に足をとられて転んだのだろう。
「待ちなさい! こら連枝! 無視するな!」
やれやれ、と吐き出した溜息は大きな白い塊になって流れた。
「あらまあ有り難い。大事に食べようね」
母は連枝の差し出した土産を拝むように受け取った。
「牛乳は今日の搾りたてだよ。栄養があるから、温めて清風に飲ませてやって」
靴底についた雪を戸口で払い落とし、かじかんだ手を炉にかざす。姉はまだマントの縁をかがっていた。
「清風は?」
「眠ったよ。疲れたんだろうね」
「お祝いを手伝えるのが嬉しいようだけど、根を詰めすぎないようにさせないとね」
「じゃあ、母さんと姉さんだけでも飲んでよ、牛乳。明日もまたもらえると思うから」
「おまえ、ご飯は?」
「食べさせてもらった」
ようやく指が滑らかに動くようになってきた。
「……僕、長のところで働かせてもらおうかな」
何か言いたげな母と姉を制するように言葉を継いだ。
「いろいろ家畜の仕事させてもらってるけど、僕でも結構役に立つみたい。僕にその気があるのなら、親方から旦那様に推薦してくれるって」
「……でも」
「牛も馬もかわいいし。春になったら畑も始まるから、人手はいくらでも欲しいんだって。家から通えるし、知ってる人だし、よそに働きに行くよりいいよ」
「だって、学校は」
思い余ったように言葉を挟んだ姉に、連枝は小さくかぶりを振った。
「学校はもう十分だよ。姉さんも成年式までで卒業したんだし」
沈みそうな空気を断ち切るように、母と姉に笑顔を向けて、
「僕ももう寝る。明日は朝から手伝いに行くからね」
おやすみ、と一方的に話を切り上げ、屋根裏の自分の寝台に潜りこんだ。
重く垂れ込めていた雲が晴れ、夜空は明るい。小さな明かり窓から星を眺めながら、連枝はなかなか眠れなかった。
作品名:魔獣つかい【サンプル】 作家名:みもり