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幻燈館殺人事件 後篇

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 白く塗装された二階建ての木造建築は、どう贔屓目に見たとしても付近で一番大きな建物であったが、蜂須賀が眉を顰めた原因は署の外観にはない。
 蜂須賀は、署の玄関口で出迎えを受けた。
 中央に署長と副署長が直立不動で畏まっており、左右には袴姿の女性職員、その背後には詰襟制服の警察官たちが多数控え、停車と同時に駆け寄って二列に整列。蜂須賀が降車したところに号令が掛かり、その場の全員が敬礼。鼓笛隊が登場して演奏を開始してもおかしくない雰囲気であった。
 眉を顰めた蜂須賀は、足早に署長のもとへと歩み寄り、素直な疑問を口にした。
「何の騒ぎだ。これは」
「何か失礼でもありましたでしょうか?」
 恐る恐る。署長の様子を形容するのにこれ以上の言葉はない。
 そんな署長の様子から、蜂須賀はある程度の事情を察した。
 現在の蜂須賀は閑職とされている官房付の身であるが、地方警察の上層組織とも言える警保局に関係していることに変わりはない。
 警保局は、地方警察本部における幹部級の役職について人事任命権を保有している。従って、警保局上層部の覚えがめでたければ、警察本部長への就任も夢ではなくなる。
 詰まるところ、蜂須賀の来訪は媚を売る絶好の機会として捉えられているということだ。
「今は待機職にある身だ。こんなことをしても意味はないぞ」
「いえいえ、裏なんかありません。帝都からお越しくださった感謝を――」
「頼んでいた物は?」
 蜂須賀の声は、圧倒的無関心とそれゆえの冷たさを以て署長の言葉を切った。
 言葉を失った署長に代わり、脇に控えていた男が一歩前に歩み出る。
「ご要望の資料は全て揃えてあります。副署長のこのワタクシがご案内致します」
「頼む」
 蜂須賀の言葉を受けた副署長は、一度その場で恭しく礼をしたあと、未だに言葉を失ったままの署長を尻目に、颯爽と歩き出した。
 蜂須賀もそれに追従し、署の玄関口に取り残された署員たちは、ただその背中を見送るしかできなかった。
「資料は応接室にご用意致しました」
 道中に副署長が喋った内容で、蜂須賀の頭に残ったのはその言葉だけだった。
 蜂須賀は、署の床、天井、壁、そして柱を観察していた。
 皆川の話に影響を受けての行動ではないと言えば嘘になる。
 確かに、賄賂による癒着・買収は看過できない行為ではある。しかし、官房付である蜂須賀には、それを調査する権限はない。今の蜂須賀には、管轄外の案件なのだ。
 それでも蜂須賀には無視することはできなかった。
 賄賂に九条が関係しているとなれば、後継者の後見人である花明にも何らかの影響が及ぶ可能性がある。蜂須賀が憂慮するのは、花明が罪を着せられやしないかということだ。
 蜂須賀には、あの花明が不正に関与するなど天地がひっくり返ってもありえないことだ、という考えがある。
「どうかなさいましたか?」
 副署長の呼びかけを聞いた蜂須賀は、知らぬうちに口元が緩んでいたことに気付いた。
「あぁ。迎えに来た男のことを思い出してな」
 蜂須賀が自身の口元を隠すように一撫ですると、次の瞬間にはいつもの無表情無感情な蜂須賀直哉に戻っていた。
「何かご無礼が? 別の者と交代させることもできますが」
「いや、引き続きあの男に頼みたい」
「左様でございますか。分かりました。それから、こちらがご要望の資料でございます」
 蜂須賀が通されたのは、応接室とは名ばかりの至って簡素な部屋だった。
 傍目には花瓶か壷かが判別できない焼き物が飾られている他、筆書きされた大きな文字が額に飾られていたが、蜂須賀はそれがどんな言葉であるのかを読み取る前に興味を失っていた。
 今、蜂須賀の視線は目の前に置かれた冊子にのみ注がれている。
 表紙は黒塗りの厚紙で光沢はなく、糊付けされた白い紙に資料の分類を示す語句が書いてある。
「存外に少ないのだな」
 冊子の表紙を一通り眺めた蜂須賀は、そのように率直な感想を述べた。
 徹夜を覚悟していた蜂須賀には、拍子抜けしてしまうほどに少なかったのだ。
「平和だけが取り柄の田舎でございますので」
「平和なのはいいことだ。警察官が働かずに済んでいるのなら、それに越したことはない。尤も、税金泥棒だと罵られるのは勘弁だがな」
「仰る通りです」
「しかし、これだけ少ないのであれば車内で目を通すこともできたな。これらの資料は持ち出し禁止かな?」
「なにぶん、未解決なものも含まれますので」
「ならば仕方がない。何か飲み物を頼む」
「では珈琲をお持ち致します」
「あぁ、頼む」
「一つお尋ねしてもよろしいですか?」
 蜂須賀は、僅かに眉を顰める。
 その微細な表情の変化は、本人が意識して行ったことではないため、余人が気付くのは至難の業と言える。
 蜂須賀は、質問してもいいか、という質問を好ましく思っていない。かといって、忌み嫌っているわけでもないし、嫌悪を抱いているわけでもないが、やはりその言葉を向けられると無意識下の反応が起こってしまうのだ。
 質問してもいいか、と尋ねるぐらいなら、最初からその質問を投げかければよいのだ。
尋ねる側も答える側も、双方ともに二度手間だろうに。前置きなく質問を投げかけることが失礼に当たるのならば、質問ある、と宣言すればいい。
 蜂須賀はそのように考えている。
 尤も、自身の考えを他人に強要強制することが、狭量の成せる業であり、且つ、愚かしい行為であることを理解しているため、口に出すことはない。
 蜂須賀は、副署長に質問の許可を与えるでもなく、また、副署長の口から質問が発せられるのを待つでもなく、並べられた冊子の一冊を手に取った。
「突然の、それも非公式の査察だ。訝しく思うのも無理からぬ話だ。だが安心して欲しい。この資料の他には微塵の関心も抱いていないし、自動車での送迎以外には求めるものなどない。署長にも伝えて欲しい。この蜂須賀は権限のないことをするつもりはない、とね」
「で、ではそのように伝えておきます」
 副署長は、深々と一礼したのち蜂須賀に背を向けて、応接室の扉に手を掛けた。
 蜂須賀は何かを思い出したかのように副署長を呼び止めた。
「いや、すまない。もう一つだけ要望があった」
「何でございましょう?」
「珈琲はやめて、ほうじ茶にしてくれ」

作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近