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幻燈館殺人事件 後篇

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* 2 *


 目の前には開けた盆地。見下ろす視界の先には千人規模の村落。
 その中央には一際大きな洋館があり、藁葺屋根の木造建築がそのほとんどを占めている村落において、圧倒的な存在感を放っていた。
「黒い建物が見えますか? あれが幻燈館です。僕はあそこに宿泊することになっています」
 そう告げる花明の隣には、花明と同じように村を見下ろす蜂須賀の姿がある。
「本当にここから歩くのか? 館の正面まで送ってもいいのだぞ?」
「僕は蜂須賀さんも一緒に幻燈館へ行くのだとばかり思っていましたよ」
「そうしたいのはやまやまだが、立場というものに少しばかり振り回されておかねばならんのでな。明日の朝には合流できるだろう。尤も、魅力的な女性との出会いがあればどうなるかは分からんが、な」
 蜂須賀は身を翻し、停車させていた自動車へと足を向けた。
 運転席に座っていた男は、蜂須賀の行動に気付くと慌てて運転席から飛び出し、蜂須賀を正面に捉えての直立不動の姿勢をとった。
 彼は警察官であり、その彼が属する警察組織とは、階級社会である。
 彼が配属されている警察署の署長よりも蜂須賀の持つ階級が上となれば、一見やりすぎのように見えるその行動にもある程度の理解が生まれる。
 蜂須賀が彼に対する不満を一言でも漏らそうものなら、彼は何らかの処分を免れることはできない。それが始末書であれ訓告であれ、警察官という職を辞すその日までついて回る汚点となる。その影響は彼だけに留まらず、彼の上司や署長にも及びかねない。
 そういった事情もあり、些細な非礼もあってはならぬ、と厳命されていた彼は、緊張のあまりクラッチ操作を誤ってしまった。
 出発早々に演じてしまったその失態に追い詰められた彼は、顔面蒼白なまま運転を続けることになり、それを見かねた蜂須賀は、村を俯瞰したい、という口実を作って彼を休ませていたのだ。
 蜂須賀は、自分に最敬礼する男に気取られらぬよう、密かに安堵した。
 もう少し肩の力を抜け、と声を掛けるには、互いの年齢が近すぎた。
「そうだ、花明。さっきの話で一つ聞きそびれていた」
「何でしょうか?」
 蜂須賀は上体を振り返らせて花明が追いつくのを待った。
「当主代行をしている奇咲蝶子は、美人か?」
「僕が知っているのは十年前だけですが、とてもお綺麗な方ですよ。でも、どうしてそんなことを?」
「やはりそうだったか。いやなに、彼女について話をしている間だけ、顔がにやけていたのでな」
「なっ!?」
 あっという間に赤く染まった花明の顔を、蜂須賀は楽しげに眺めた。
「朴念仁の花明が十年も忘れられないほどの美人だとすると、いよいよ会うのが楽しみになってきた」
「蜂須賀さん……お願いですから口説いたりしないでくださいよ」
「安心しろ。どんなに美人でも、親友の女なら手を出したりはしないさ」
「そうではなくてですね」
 蜂須賀は、困り顔の花明を置き去りにして歩を進め、扉を開けんと動き出した運転手を手で制したあとに、おもむろに花明へと向き直った。
「もう少し近くまで乗っていけ。汗臭い体では感動の再会が台無しだ。それとも、凍えた体を温めてもらう算段か?」
「違います」
 自動車の扉を開いた蜂須賀は、まるで貴婦人を誘うかのようにして、花明に乗車を勧めた。

 *

 九利壬津村のほど近くで花明を降ろしたあと、蜂須賀はさらに一つの山を越えた。
 季節は冬。全ての葉が散り、その落ち葉も疾うに風が運び去っている。雪が積もっているわけでもなく、色合いは単色に近い。
「あの、警視正。質問してもよろしいでしょうか?」
 その声は、運転席から後部座席に座る蜂須賀へと流れた。
「階級で呼ばれるのは好きではないんだ。蜂須賀で頼む」
「はっ。失礼しました」
「いや、君に非はない。こちらのわがままだ。それで、質問というのは?」
「こちらにはどのようなご用件で?」
「裏がないか探るように言われたか?」
「いえ、決してそのようなことは」
「目的と呼べるものはないな。表向きは非公式の視察となっているが、実のところはちょっとした旅行気分なのだよ。気分転換に、帝都では難しい体験をしたくてね。ところで、君はこの付近の生まれか?」
「そうです。もう少し南になりますが。このあたりは、温泉の他には何もないところですよ」
「温泉か。帝都にはないな」
「もしよろしければ、ご案内しますよ。親戚が温泉宿をやっているもので」
「せっかくの申し出だが、今回の予定は決まっている。またの機会にお願いしよう」
「九利壬津村に行かれるのは、お止めになったほうがよろしいかと」
 その言葉は、間合いを計ったかのような一瞬の沈黙を挟んで発せられた。
「ほう?」
 蜂須賀は運転手の指に力が込められたのを見逃さなかった。
「あの村は不気味です」
 強い口調で言い切られたそれに対し、蜂須賀はたっぷりと間を持たせて口を開く。
「ふむ。皆川(みながわ)君、だったかな?」
「はい」
「感心しないな。公職に身を置く者が、そういう発言をするのは」
 敢えて感情を乗せることはせず、ゆっくりと平淡に。
 蜂須賀はそうやって相手の反応を注視し、運転手――皆川に反骨を見出した。
「あの駅、田舎には不釣合いな駅舎だと思いませんでしたか? 費用を出したのは九条なんです。それだけじゃない。このあたりにある橋や崖沿いの道に、転落防止の柵を取り付けています。この道を自動車で行き来できるよう整備できたのも、九条の資金提供があったからなんです」
 皆川は食って掛かるように口早で並べ立て、蜂須賀はまたも感情を乗せることなく冷静に返す。
「村へ向かう者はあの駅を使う。それはつまり、九条を訪ねる者もあの駅を使うということだ。九条にとって、あそこは玄関口のようなものなのだろう。それを考えれば、控えめなほうだろう。そして、九条家は過去に転落事故による死者を出している。身銭を切って周辺の道を整えても不思議ではない。行政がやるべきことだという指摘に対しては異論はないが」
「この自動車も九条から署に寄付されたものです。さらには庁舎の建て替え費用も」
「まてまて。君は九条が行政や警察に賄賂を贈っている、つまりは、官憲と癒着している、とそう言いたいのかな?」
「そうとしか考えられません」
「強引かつ短絡的な意見だな。賄賂を贈るのなら、裏で秘密裏にやればいい。公に大々的に行う利点は?」
「より大きな額を動かすためです」
「個人単位ではなく組織ぐるみでやっていると言いたげだな」
「それを調べに来たんじゃないんですか? そうなんでしょう!?」
「軽率だな」
 声を荒らげる皆川とは対照的に、蜂須賀はどこまでも冷静だった。
 無表情無感情。足は組まずに腕を組み、座席に体を預けて微動だにせず。蜂須賀の皆川に対する姿勢は一貫している。
「相手が不正に加担している者だったらどうする? 不正を暴きたいのなら、慎重に行動することだ」
「……肝に銘じておきます」
「それで、署までどれぐらいかな?」
「もう間もなくです。この林道を抜けると見えます」
「分かった。引き続き安全運転で行ってくれ」
 蜂須賀のその返答を最後に、車内は沈黙に包まれた。

 *

 警察署に到着した蜂須賀は、思わず眉を顰めた。
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近