幻燈館殺人事件 後篇
「自分を含む後継者が邪魔だと考えていたのなら、逮捕または死ぬ覚悟があったのだろう。口封じの必要はない」
「何か予想していないことが起きたとか?」と赤碕が食い下がる。
「計画を暴露すると言われたのではないでしょうか」とこちらは秋月だ。
「お待ちなさい」
そう一喝したのは、足利麗子だった。
打って変わった凛とした声は、その場の全員の動きを止める力を持っていた。
「正直に申しますと、私は貴方のことを信用しておりませんでした。けれど、少なくとも蜂須賀さまは誰が犯人であるのか分かってらっしゃるのでしょう。それを私たちにも分かるよう順を追って説明してくださっているのですから、今は聞きましょう。言うべきことを言い、それ以外は聞きに徹するべきです」
顔色は悪いままだが、目に宿る光が別物に変わっていた。腐っても鯛。気高き貴婦人の姿がそこにある。
「話が冗長になりすぎたようだ」
蜂須賀は素直に反省を口にする。
「足利義史と壬生俊継に毒を飲ませ錯乱状態に追いやった人物、それがこの事件の黒幕であり、犯人と呼べる唯一の人物。壬生俊継に事情を聞けば、犯人が誰であるかは判明する。しかし、残念ながら彼は話ができる状態にはない。そうでしょう?」
「ええ。僕が誰か分からないようで、会話にならなかった」
蜂須賀の問いに壬生法継が簡潔に答える。
蜂須賀は三度一同を見渡す。
「のちに禍根を残さぬため、誰が何の目的で事件を起こしたのか、ここにいる全員に理解してもらわねばならない」
そこで蜂須賀は、懐中時計を取り出して時刻を確認した。
外は夕暮れが近い。
「犯人の目的は、この村に残る伝承を解明することにあった」
「それって、行方不明の男が調べていたことよね」
足利麗子が言う。確認するための質問であり、誰かをやり込める意図はない。
「澤元教授のもとで花明栄助が研究していたのは間違いない事実。しかし、今この場には、伝承の真相を知る人物がいる」
「真相を知る人物とは?」
「壬生法継」
足利麗子が問い、蜂須賀が答えた。
全員の視線を受け、壬生法継は大きく息を吸い込んだ。
「今ここでお話ししましょう。要点だけを掻い摘んで簡潔に」
壬生法継が話したのは、神通力を授かり野盗を追い払ったという伝説についてだ。
野盗の襲撃を受け毎日の略奪を受けていたとき、村人たちの願いに応じて降臨した人ならざるものが、野盗を追い払うための神通力を与えた。そういう伝説だ。
そのとき授かった神通力こそが、殺戮衝動の真相である。
村人たちが天に救済を願い、神仏に祈りを捧げていたのは嵐の夜。願いに応じて降臨したというのは雷。大きな落雷があったのだ。
「夜が明けると、そこには一面のキノコが生えていた」
それを食べた村人は、異常な興奮状態となって痛みを感じなくなり、普段の倍の筋力を発揮するようになった。理性を失って発狂するのではなく、あらゆる感情の抑制が利かなくなり、我慢や忍耐というものがなくなっていた。
キノコを食した村人は、積もりに積もった怒りを野盗にぶつけた。伝承には追い払ったとあるが、事実は皆殺しであっただろう。
村人にも多くの死者が出た。痛みを感じず倍の筋力を発揮できたとしても、所詮は争いを知らない農民。村は凄惨なあり様であったろうと推測される。
村を守ることはできたが、この力を良からぬことに使われてはたまらない。知れ渡れば次はキノコを狙う者に襲われるかもしれない。
生き残った者たちで話し合い、神通力を授かったということにし、真実を隠した。
これが、殺戮衝動の真相。血に宿った呪いなどではなく、外的要因によって引き起こされた中毒症状だ。
「そんな話は聞いたことがないわ。山本六郎太が採ってきた毒キノコが伝説にあった神通力の正体だというの?」
「麗子さん。貴女が知らないのも無理はないけれど、キノコは僕らの何代も前に全滅していて、今は手に入らない。足利や深津は、伝承の真相を知っていたからこそ、キノコが全滅したあとも語り継いでいく必要性を感じなかったのだろうさ。筆頭たる九条がどうしたのかは分からないけれど」
壬生法継は含みを持たせた。
九条の台頭を鑑みれば、無関係とは言い切れない。感情が自制できなくなるのだから、競合相手の飲み物に仕込むことさえできれば、あとは自滅するのを待つだけだ。
「壬生は継承権を捨てて生部姓を名乗り、神社を作って伝承を語り継ぐ決意を示した」
壬生法継は、誰かに対して語っているという様子ではなくなっていた。その場の全員がそんな彼を見つめながら静かに話を聞いている。
「誰かを殺すのではなく、誰かを殺させるのだから、本当に恐ろしい毒だよ」
感情を抑制できなくなる毒。最小を最大にする。目の前を横切った、後ろから追い抜いた、すれ違いざまに顔をちら見した、そんな程度の物事が、殺人へと繋がる。
殺戮衝動とは、普段ならばなんでもないことが、殺人の動機となってしまうほどに精神が不安定になる状態。あとから思い返しても、殺したいから殺す。殺したいと思ったときに目の前にいたから殺す。そうとしかならない。
「幻燈館がなぜそう呼ばれているのか、ご存知かな?」
館の外壁に取り付けてある燈籠に火を灯した際の、その幻想的な姿を指して幻燈館と呼ばれている。財界では有名な話だ。
「キノコの胞子がね、光るのだそうだよ。明け方になると建物を包んで、それはもう幻想的に。大昔は神通力の証だと言われ、九条は絶対のものであると畏れられた。
けれど、キノコが死滅したことで胞子が飛ばなくなり、それを誤魔化すために、外壁に燈籠を取り付けて火を灯すようになった。それは、十年前に当主代行となった奇咲蝶子が取り止めるまで続けられた。
山本六郎太が採ってきたあの毒キノコは、飛んで行った胞子が他の種を取り込み、或いは取り込まれて生まれた亜種なのさ。今となってはどっちが大元か分かったものではないけれど」
壬生法継は、話は終えたとばかりに目を閉じた。
代わりに蜂須賀が口を開く。
「薬物によって引き起こされる精神異常。それが殺戮衝動の正体。薬物を保持していたのが九条家であったというだけで、九条の血が殺戮衝動を引き起こすというのは全くのデタラメ。むしろ、生き延びることができた人物の子孫なのだから、耐性を持っているのではないだろうかとさえ思う」
殺戮衝動による殺人ではない、蜂須賀はそう断言した。
「そろそろ犯人の名を明かしてもらえないかしら?」
足利麗子はとても冷静だった。ほんの数分前まで金切り声を上げていた人物とは別人のようだ。
「その前に、もう一つだけはっきりさせておく必要がある」
蜂須賀は人差し指を一本立て、前後に小さく揺らした。
「それは十五年前、九条怜司が母親である九条吉乃を殺害した件について」
副署長がびくりと体を震わせる。
「記録上は病死となっているが、何者かに殺害されていたことは君も知っていたはずだろう」
「上からの要請で…仕方なく……」
たどたどしく答えるその姿には、警察署副署長としての威厳など感じられない。
「その件で君をどうこうしようというわけではない。九条吉乃は病死ではなく殺害されたという事実を認めてくれればいい」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近