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幻燈館殺人事件 後篇

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 目に映る景色は、冬の山と田畑のみ。葉色ではなく土色が視界の半分を占める。
 一ヶ月前の蜂須賀であれば、ほうじ茶の茶葉の色だ、などという感想を持つことはなかっただろう。
 無言のまま遠くの山を眺める二人の背後では、その二人が乗って来た汽車が今まさに発車するところであった。
 二人の視線は、遠退いて行く汽車の黒煙に注がれる。妨げる物のない視界の中では、汽車の上げる黒煙は極めて異質の物であった。
 そう思えるほどに、駅の周囲には何もない。
「やはり手配しておいて正解だった」
 蜂須賀は得意気に言い放つと、くるりと体を反転させて駅舎に戻り、待合の一席に腰を下ろした。
「蜂須賀さん。急ぐ旅路ではありませんが、座っていてもどうにもなりませんよ」
「まぁ座れよ、花明。駅から遠いと聞いていたからな。ここから村までの送迎を頼んでおいた。汽車の通過を確認してからでいいと言ってあるから、そうだな、十五分はかかるまい」
「送迎……ですか? 付近にお知り合いが?」
「知り合いというほどではないが、内務省の役人でもあるからな。顔は広い」
「それって職権濫用ではないですか」
「なあに、村への道を尋ねただけだ。そうしたら、相手が送迎を申し出てくれた。その厚意を無碍にするわけにはいかんだろうが」
 呆れ顔で絶句した花明を見て、蜂須賀はくっくと笑う。
「それにしても、ここは不思議だな。無人駅なのに清掃が行き届いているし、周辺とは不釣合いな駅舎がある」
「以前は待合なんてなかったんですよ」
 花明はその声に懐かしさを滲ませた。
 花明が澤元嘉平と共に訪れる予定だったあの日から、九条家と、幻燈館の人々と関わることになったあの日から、実に十年の歳月が流れている。
「十年前、だったか?」
「ええ、そうですね」
「聞かせてもらえるのかな?」
「そういえば、まだ話していませんでしたね」
 花明はそう言って、持ち前の人当たりの良い笑顔を見せる。万人に対して遠すぎず近すぎない適正距離を保ってきたその表情も、このときだけは悲しみの色を隠しきれていなかった。
 しばしの沈黙を挟んで、花明はゆっくりと話し始める。
「十年前のことです。当時の僕はまだ学生でした――」
 それは、幻燈館で起きた恐ろしくも悲しい話だ。

作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近