幻燈館殺人事件 後篇
「やっぱりそうか。ここ何年も姿を見なかったものだから、いまひとつ自信がもてなかったんだ。彼女のことは幼い頃から知っているよ。あの娘は義史君の後ろをずっとついて歩いていたんだ。兄妹かと思えるほどにね。狭い村だから、二人は将来結婚するものだと思っていたのだけれどね。こんなことになるなんて。一つ断っておくけれど、彼女が女にうつつを抜かすようになった義史君を殺した、なんてことはありえないからね。それで、聞きたいことというのは何かな? 政重君のことならすでに話したけれど」
どこかしら楽観的に聞こえる物言いだが、不謹慎だとも思えない。宮司という立場上から、多くの人の困難を見届けてきたのだろう。こういった雰囲気に慣れきっているようだ。
「次はご子息の番かもしれないことを伝えておくべきだと思いまして」
「俊継が? 確かに一理ありますな。幸か不幸か、俊継は今朝から部屋に篭ったきり出てこないのです。境内に横たわる政重君の姿を見てしまったのかもしれませんな。注意はしておきます」
「警官を数名ほど警戒にあたらせます。了承していただきたい。それからもう一つ、お披露目に際して客を招いていたりはしないだろうか」
「いいえ。明日の式には俊継と妻と私の三人だけが出席する予定でした。うちは他の三家と違って使用人を雇うような家柄ではありませんし、お招きできるような知り合いもおりませんのでね」
「お越し願った用件ですが、この村の伝承についてお聞かせ願いたいのです。宮司である貴方ならそういったことにお詳しいでしょう」
「なんだ、僕が疑われているのかと思って身構えていたよ」
法継は変わらぬ様子でそう言った。
蜂須賀も犯人が生部神社にいる人物である可能性を考えた。足利義史が殺害された現場も、深津政重が殺害された現場も、犯人が神社から来て神社へと戻っていれば、誰にも目撃されていない説明がつく。
被害者が足利義史と深津政重の二人だけであったならば、奇咲蝶子が壬生法継を使い二人を殺害、その罪を拉致監禁しておいた花明に被せる、そんな単純な構図を描き目の前にいる男を容疑者と考えて行動したことだろう。
被害者は二人ではない。決して揺らぐことのないその事実が、蜂須賀を真相へと導く追い風となっている。
「それで、聞きたいのはどういったお話かな。四家の成り立ちかな? 神社のご神体についてかな? それとも祟りについてかな?」
「祟りの話しは耳にしましたよ。なんでも、四家の当主が村を出ようとすると祟りが起こるのだとかで。九条家の転落事故がその祟りだと」
「ふむ。巷では祟りだ何だと騒いでいたけれどね、生前の九条大河は何度も帝都まで足を運んでいるし、足利にしても、幼い子供を名ばかりの当主の座に据えてあるだけで、実権はその親にある。人間が作った制度や名目なんか、神様には通じない」
「宮司の貴方が、祟りはないと仰る?」
揚げ足を取ったつもりなどない、ただ間を調整するためだけに発した言葉。否。法継によって発するように促された言葉だ。
それは会話の主導権を握っているのが法継である証左となる。つまり、蜂須賀が聞き出しているのではなく、法継が話したいことを話しているということだ。
「祟りの存在を否定しているのではなくてね、人間が作った物事が発生条件に組み込まれているのなら、それは神様の仕業ではないという話だよ」
「なるほど。言われてみれば至極尤もな話」
「分かるのかね?」
法継は心底楽しそうに問う。
「神様の仕業ではないならば、それは人為的なもの。村を離れられると困る理由があったということ。この土地には外部に漏らしてはならない秘密があり、それが権力の基盤になっている。その秘密を外部にもたらそうとした者の口を封じてきた歴史が、祟りと名を変えて伝承に残った」
「うん。それで終わりではないだろう」
瞳を爛々と輝かせながら、続きを催促する。
「困るのは誰かを考えれば、秘密の在り処と誰の手で守られてきたのかが分かる」
「素晴らしい、素晴らしいよ」
法継は拍手喝采を加えて蜂須賀を褒め称える。
「実はね、全く同じ推論を披露してくれた人物が一人いたんだよ。まぁその御仁はその道の専門家だったから、遅かれ早かれ辿り着くとは思っていたのだけれどね。刑事さん、忌まわしき因習は誰かの手で断ち切らなければならないと思わないかい?」
「一個人としては賛同しますよ。ただし、方法は厳選されなければならないし、一歩間違えば独善にもなりうる危険を認識している人物であるという大前提があってのことです」
「なるほど。では刑事さん自身は、そういう人物なのかな?」
法継の目がギラリと光る。
試されている。とそのように蜂須賀は直感する。同時に、この男は事件の核心に迫る何かを知っているという確信めいた閃きも起こった。幾らでもはぐらかすことはできるが、それでは解決にならないだろうと思いもした。村は封鎖してある。手段を選ばなければ、犯人を捕まえることはできる。だが、犯人の逮捕と事件の解決とは別物。それは四年前に思い知ったことだ。
だが蜂須賀は――
「どうでしょうか」
――はぐらかすことを選択した。
「誰かが断ち切らなければならないとしても、それは余所者がやっていいことではなく、余所者を頼っていいことでもない。責任を余所に押し付けるのは卑怯だ。先延ばしにすることもまた同義。事態を変えるために必要な知識を持ちながらそれを隠匿する行為もまた、責任逃れに過ぎない」
蜂須賀の無感情な物言いは些細な逸脱でさえも容赦なく責め、良心の呵責を呼び起こす。小物は思考を放棄する。大物ならば再考を選択する。答えが変わることはなくとも。
「こいつは手厳しい」
法継の仮面はまだ剥がれていなかったが、蜂須賀は意に介さなかった。
二人の会話は正義についての話だ。正義のあり方、正義を行う資格の話であり、犯人の逮捕とも事件の解決とも関係のない話。必要のない話であり、雑談と同じだ。
村には村の都合があるだろうが、警察には警察の都合がある。警察の都合は犯人の逮捕。その結果、村を形成する社会が崩壊することになろうとも、究極な話、知ったことではない。影響は少ないに越したことはないが、逮捕に優先することではない。それが蜂須賀の持つ考えだ。
どこの誰であろうとも、犯罪者であれば逮捕する。
無実の人間を逮捕しなければならなかった蜂須賀の、冤罪で投獄された友人を助けることができなかった蜂須賀の、贖罪だ。
「いま課せられている使命は犯人を逮捕することであって、それ以上でもそれ以下でもない」
この場に花明がいて、今の言葉を聞いていたらどうするだろうか――蜂須賀は想像する。
苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけてくるだろうか。それとも、異論があることをおくびにも出さず、人当たりの良い笑顔を湛えているだろうか。
アイツなら目の前の宮司を上手く丸め込んで、それでも利用したりせずに最大限の譲歩を見せただろう。だが俺はお前のようにはできないよ。
ほんの一瞬だけ蜂須賀の口元が緩む。それは誰かに認識されることなくすぐに消え去ってしまったが、その一瞬だけは確かに蜂須賀直哉本人が存在していた。
「同じ推論を披露したという人物に心当たりがある」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近