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幻燈館殺人事件 後篇

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 乗っ取るというのであれば、子ではなく自分の意思で自由にできる状態になっていなければならない。対外的に見れば、奇咲蝶子は九条千代の母ではなく叔母だ。意のままに動かすためには、九条千代本人が奇咲蝶子を母として認識していることが最低条件となる。
 九条千代が奇咲蝶子を母として認識していたかどうか。確かめるには会って話す必要がある。しかし――

「足利家の方がお見えになりました」
 不意に声を掛けられ思考の中断を余儀なくされる。
 ああ、だから帳場は嫌いなのだ。騒々しくておちおち考えごともできやしない。などという愚痴は臆面にも出さない。いつも通り無表情無感情。ただ蜂須賀警視正という役柄を演じる。
「通してくれ」
 現れたのは、駐在所へ遺体を引き取りにやってきた女だった。
 そのときと同じエプロンドレス姿ではあるが、後頭部にまとめていた髪が解かれている。
「麗子さまは未だお加減悪く、代わりに参りました。秋月と申します」
 お辞儀とともにはらりと垂れた髪は、結っていたあとが大きく波打っている。
「来客事情を把握している者なら誰でも構わない。早速だが、足利家はお披露目に際して客を招いていたりはしないだろうか」
「今回の参加者は基本的に四家の方々だけと聞いています。九条家では後見人や弁護士の方をお招きしているそうですが、足利家ではそのようなことはしておりません。麗子さまと坊ちゃ…義史さまが出席されると聞いておりました」
 垂れた髪を耳に掛けた際に見えた首筋が仄かに汗ばんでいて、絶妙な女の色気を醸していた。足利義史より幾らか若いのだろうが、頬に雀卵斑(そばかす)が目立ち、鼻も低く丸い。見目麗しいと言えばあからさまなお世辞となる。だが声が心地よい。
「それは深津家も同じなのだろうか」
「他家のことは分かりませんが、おそらくそうだと思います」
 分からないなりにも、可能な限りで答えるひたむきさ。事件の解決、犯人の逮捕を望む気持ちがありありと感じ取れる。
「ああ、すまない。深津家のことは深津の者に聞くべきだった。確認するが、足利家では特別に客を招いてはいないということでいいのかな?」
「はい」
「酷なことを聞くが、誰かに恨まれているような心当たりはないかな?」
「それは、義史さまが恨まれていないかという質問ですよね。少しばかり高飛車な方でしたが、命を狙われるほどのことはなかったと思います。昔は純朴で優しい方でした。村の人はそのことを知っているので……」
 秋月は言葉尻を濁しつつも、続きを聞いて欲しそうにもじもじとしている。
 蜂須賀は他に聞きたいことがあったが、気持ちよく話してもらうに越したことはないからと自分を納得させ、続きを引き出す言葉を投げた。
「豹変してしまうきっかけのよう出来事が?」
「はい。私は義史さまと一緒にこの村で育ちました。私は物心ついた頃から足利家で働いています。義史さまは一介の使用人である私にもとても優しくしてくださいました」
 秋月の物言いから、彼女が義史に恋心を抱いていたことが分かり、蜂須賀は胸の痛みを無視しなければならなかった。
「義史さまが変わってしまわれたのは、あの女が来てからです」
 あの女と発する声には憎悪が宿っている。
「あの女とは、奇咲蝶子?」
「いえ、蝶子さまではなく、代美さまです。十二年前、義史さまは代美さまに一目惚れしてしまったのです。叶わぬ恋だと苦しむ義史さまは、あの女に言葉巧みにたぶらかされて体を重ねてしまわれました。すぐに麗子さまに連れられて謝罪に向かったのですが、九条大河は『月に二度ほど代美の相手をしておくれ』と言ったのです。足利の当主に向かって、情夫になれ、と言い放ったのです。それから義史さまは帝都や関西から女性を呼び寄せ情婦として囲うようになりました。自分は情夫ではない、弄ぶ側だと誇示するように。義史さまは心に傷を負われてしまったのです」
 秋月は悲しげに、そして無念だと目を閉じる。その手は前掛けを強く握って。
「皆川君がそんなことを言っていた。つい最近新しく来たばかりだとか」
「私は会ったことがありません。義史さまは呼び寄せた女性を離れに住まわせていて、私が離れに近づくと怒るんです。一度だけ遠目に見ましたが、帽子を被っていたので顔も分かりません。きっと若くて綺麗な女性なのでしょうね」
 秋月は自らの力で平静を取り戻し、目尻の涙を拭う。
「…あの、深津家の政重さまも亡くなったと聞きましたが」
「ええ。今朝から昼前までの間で」
「犯人は同じなのでしょうか?」
「今のところはなんとも。短い期間に近い場所で事件が起きると、やはり同一犯の仕業であろうと考えてしまいますが、二つの事件を繋げる証拠はまだ見つかっていません。ただ、犯人はまだこの村にいます」
 秋月は言葉に詰まった。喜ぶべきなのか恐怖に震えるべきなのかで迷ったようだ。
「壬生家の方がお見えです」
 扉が開き、捜査員の一人が蜂須賀に呼びかける。
「では私はこれで」
 蜂須賀が捜査協力への感謝を示すと、秋月は使用人らしく美しいお辞儀を返した。
「絶対に逃がしません。足利家の皆様には、そのようにお伝えください」
「分かりました」
 秋月は、ぐっ、と唇を引き結んだ。蜂須賀に掛けられた言葉で、緊張の糸が切れ掛けたのだ。
「通してくれ」
 秋月を早く解放せんとして新たな客を呼び入れる。
 秋月と入れ替わりで入ってきたのは、四十路頃の男だ。二人は顔見知りのようで、すれ違う際には互いに足を止めて会釈を交わしていた。
「蜂須賀と申します。つい先ほどから捜査の指揮をしております」
 簡潔な自己紹介。早口にならぬよう、努めてゆっくりと声にする。
「生部法継(いけべ のりつぐ)です。生部神社の宮司をやっとります」
 長身痩躯。蜂須賀ほどの背丈はないが、痩せているせいか、背が高く感じられる。落ち着いたその物腰から、往年は優男であったろうと思われる。
「生部? 壬生家の方では?」
「そうですね。説明いたしましょう。壬生(みぶ)はもともと壬生部(みぶべ)でございましょう? ご先祖が相続権の放棄をした際に、‘壬’の字を外しまして、‘生’一文字では格好がつきませんもので、壬生部から生部と姓を改めたのですよ」
「はぁ、なるほど」
 公家方には壬生部という役職があり、その役職に従事するものが住む地域に壬生という地名がつけられたとされている。蜂須賀は直感で事件とは関係のない情報だと位置づけ、それ以上の追及を避けた。
「四家の一角として責務を果たす際には壬生を名乗りますが、普段は、というより四家以外の方々には生部姓を名乗っているのでございますよ。まったくご先祖もややこしいことをしてくれたものです」
 法継は今にも、あっはっは、と笑い出しそうである。しかし、目は笑っていない。
 蜂須賀は法継に自分と同じニオイを感じていた。本心を覆い隠す仮面を被っているという共通項を感じ取っていた。
「ところで、今のは足利さんのところの」
 法継は間を置かずに口を開いた。警察を前に微塵も物怖じしていない。
「ええ。お知り合いのようでしたが」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近