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幻燈館殺人事件 後篇

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 では澤元教授に九条千代の体を調べることができただろうか。それは否。九条千代に遠目からでも分かる身体的な欠損があるか。それも否。あったとしても、殺戮衝動の発症にどれほど関わるのか定かではないのだから、それを理由に研究を断念することは考えられない。身体的な原因ではないならば精神的な異常が原因か。
 殺戮衝動自体が精神的な異常と考えられていることから、なんらかの変調を見出していたとすれば尚のこと研究を続行していただろう」
 蜂須賀は相変わらずの無表情無感情で話し続ける。
「九条千代は九条の血を引いていない。九条代美の子ではなく、奇咲蝶子の子だ。そのため、澤元教授は研究を断念しなければならなかった」
「大胆な発想ですわね。けれど、花明さまのご友人とはいえ限度がございます」
「友人には違いありませんが、花明とはつい一月ほど前に再会したばかりなのです。知り合ったのは四年前ですがね。花明と知り合ったとき、別のある男にも出会いました。その名前は伏せますが、人相で人物を判断することができない男とだけ言っておきましょう」
 そうして一歩、奇咲蝶子に歩み寄る。
「父親を刺して騒ぎを起こし、その隙に恋人と駆け落ちしたと言っていました。娘を残して、ね」
「それは事件と関係のあるお話でございますの?」
 奇咲蝶子から僅かな苛立ちを感じ取り、蜂須賀はまた一歩踏み出した。
「いえ、直接は関係のない話です。ですが、出会いには別の繋がりが存在しているということですよ。貴女と花明が出会ったのも、澤元教授がいればこそ」
「何を仰りたいのでしょう?」
「分かりませんか。貴女を見かけたあのときも、別の繋がりが存在していたということですよ」
 蜂須賀は背後の絵を振り返る。
「この船に、横浜港から欧州航路を往くこの榛名丸に乗るはずだった男がいます。いえ、いました。親友でした。同時に好敵手でもありました。当時は認めることができなかったけれど、負けてなるものかと意識していたのは間違いない。
 だがあるとき、決定的な敗北が訪れた。それは恋人の存在。信頼しあう相手であり、紛うことなき家族であり、二人の間には新たな命さえもあった。その男に向けられた愛情は何より美しかった。だから覚えている。忘れはしない」
 奇咲蝶子の表情に力が篭る。しかし、背を向けている蜂須賀はそれに気付けない。
「彼から一通の手紙が届きました。『妻と生まれてくる子を頼む』とそのように書いてありましたが、さっぱり事情が分かりません。だからといって放っておくことなどできるはずもなく、彼の実家へと向かいました。彼は貿易商である父親の手伝いをしていましたが、禁輸品を扱ったとして拘束され、そのまま獄中で命を絶ったこと、妻も子もその所在が分からなくなっていることを聞かされました。手掛かりは女性の顔と名前、同じ年頃だということのみ。帝都だけでも数十人。全員と会って確かめた。そして今、ようやく見つけた‘蝶子’は、流産したと言う。不快と言わずに何と言おう。友との約束を果たせると思ったのに。この現実に。己の非力に。不快を抱かずにいられようか」
「……蜂須賀さま」
「冤罪だったのですよ。袖の下を通された担当捜査官が、別人の罪を被せたのです。張本人は今この瞬間ものうのうと息をしている。許せるはずがない。そして今、同じことが行われようとしている。殺人犯を放置して私腹を肥やそうとする輩がおり、貴女はそれに加担しようとしている。不快と言わずに何と言おう」
 蜂須賀は奇咲蝶子に歩み寄り、見上げる視線を真っ向から受け止めた。
「来島武人とは無関係だと誓えますか? 九条千代の前で、来島武人の娘ではないと宣誓できますか?」
 奇咲蝶子は答えない。
「貴女には貴女の都合があるように、こちらにはこちらの都合がある。九条千代に対し重要参考人としての取調べを行う。九条の後継者であろうが、十四歳の少女であろうが関係ない。署まで同行を願う。拒否すれば警保の名において身柄を拘束する」
「横暴……ですわね。見損ないましたわ」
 悲しみに満ちたその声は、聞く者に胸を締める想いを抱かせる。
 だが蜂須賀は、それでも平然と、平然を装って言の葉を吐き出す。
「権力とは、守るべきものを守るために振りかざされるものでしょう。九条千代が来島武人と無関係なのであれば、守るべきは奇咲蝶子ただ一人。亡者どもの餌食にならぬよう守って差し上げよう。それが友との約束なのだから」
「ならば、わたくしではなく千代さまをお守りください」
「来島武人の娘ならば、力を尽くして守りましょう。いや、手を出すまでもない。九条の血筋にのみ発症する衝動性殺人行動による殺人事件の解決に、九条と関係のない十四歳の娘子を取り調べる必要などないのだから」
「ああ、蜂須賀さま」
 奇咲蝶子は蜂須賀の手を取って懇願する。
「どうか、どうか友との約束を守る機会を」
 蜂須賀もまた、奇咲蝶子の手を握り懇願した。

 それから幾許かの沈黙の刻が流れたあと、奇咲蝶子が口を開いた。
「これは復讐でしたのよ」

作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近