幻燈館殺人事件 後篇
使用人の女は奥に見える扉を示しつつ微笑んだ。
案内されたのは二階の最奥。当主代行である奇咲蝶子の居室だ。
「まずはお詫びを」
蜂須賀は部屋に入るなりそう切り出した。
「突然押しかけておきなから、こちらの身勝手でお待たせしてしまいました」
「構いませんわ。さぁ、お掛けになって」
身に纏った青のロングドレスが、冬の陽光を冷たく反射している。
黒塗りの壁、アールヌーボー調の家具、調度品、どこかの港が描かれた風景画。奥には寝室へと続くのであろう扉。シャンデリアに照らされたそれらは、ここが山奥にある集落であることを忘れさせる。
「改めてご挨拶を。捜査の指揮を引き継ぎました。蜂須賀です」
蜂須賀は進められた椅子に座すことなく、その背凭れの頂に手を添えた。
「まあ。警察の方でしたのね。花明さまからはご友人とだけしか聞いておりませんでしたの。大学の関係者か、個人的な後援者の方だと思っておりましたわ」
「本来ならば捜査に参加したりその指揮をするような立場にはないのですが、今回は特別です」
「では、事件に関わるお話ですのね」
二人の視線が交錯する。
「深津政重が殺されました」
奇咲蝶子は目を伏せた。目を伏せはしたが、そこに嘆きの感情はなかった。
「足利に続いて深津。両家は後継問題に異を唱えていた。そこで貴女が疑われている」
「そうでございましょうね。それは仕方のないこと」
「考えたのですよ。反対であれば、つまり足利や深津が九条を、というのであれば、とね。如何に異を唱えてみたところで、九条千代の継承は揺るがぬこと。それこそ、九条千代が命を落とさない限りは。であれば、九条がわざわざ足利や深津を排除する理由は何もない。何もないはずなのに、九条が疑われ、貴女は自身が疑われていることをも仕方のないことだとして受け入れている」
「それは、わたくしに原因があるからでございますよ」
「考えたのですよ。なぜなのか、とね」
蜂須賀は語調を強め、奇咲蝶子の言葉を封じた。
「外戚である貴女は村の者でさえない。足利や深津の立場から見れば、そんな貴女が当主代行、総裁代行までをも務めているのは面白くない。賢しい貴女のことだ。百も承知だったはず。しかし貴女はそれを受け入れた。いや、貴女自身に攻撃が集中するように仕向けた。幼い九条千代に悪意が向かぬように。悪意が届かぬように」
「否定はしませんわ。全ては千代さまのため。千代さまのご継承にあたって障害が発生すれば、どんなものであろうと排除するのが私の役目。当主の座も、総裁の座も、全て千代さまのもの。私はほんの一時だけその代役を務めているに過ぎませんもの」
奇咲蝶子の声にも表情にも乱れはない。
「そこですよ。そこに貴女の唯一の弱点がある。警察は九条の実権を握る貴女を今回の事件の犯人に仕立て上げ、それを利用して九条を操ろうとしています」
「まあ。事件の指揮官である蜂須賀さまがそのようなことを」
「恥ずかしながら、事実なのです。組織というのは難しいもので、指揮官が入れ替わったからといって急激な方向転換はできません。余所者が指揮している場合は特にです。前任者の方針を踏襲しながら少しずつ舵を切っていかなければ、簡単に崩壊してしまいます」
「分かりますわ」
「正攻法で貴女に太刀打ちできる人物はまずいないでしょう。しかし、貴女には九条千代という大きな弱点がある。九条千代は、事件の直前に被害者と口論していたところを目撃されています。問題なのは他に有力とされる手掛かりがないことです。このまま何の進展もなければ、九条千代を容疑者として取り調べることになるでしょう。そうなった場合、貴女は九条千代を守ろうとなさるはずだ」
「当然そうするでしょうね」
「そこに付け入る隙が生じる」
「分かっておいでなら、対処してくださいな」
「対処する方法はありますが、現段階でそれをやってしまうと、犯人が捕まえられなくなる恐れがあるのです。言ってしまえば、犯人は貴女かもしれないし、九条千代かもしれないのです」
「千代さまを疑っておいでなのですね」
「仕事ですのでね」
「便利な言い訳ですこと」
「犯人ではないと断言するに足る根拠が欲しいのですよ。そうすれば、容疑者から外すことができる」
「そうですね。『わたくしが犯人でないことはわたくしが分かっています。』これは十年前の花明さまの言葉ですわ」
「当然そうでしょう。しかし、周囲を納得させられるものでなければなりません。少なくとも、目の前にいる男一人をね」
「漠然と無実を証明しろと言われましても、どうすればよいものやら。十年前の花明さまもこんな気持ちだったのでしょうね……。蜂須賀さま、なぜ千代さまが疑われているのかを教えていただけますか? それを一つ一つ反証しましょう。例えば、事件の直前に口論していた件。あの二人は顔を合わせれば何か揉め事を起こすような二人です。私が九条の人間であることを差し引いても、足利さまの行動に何かしら問題があったかと。麗子さまと同じで、自分より年下の女子が次期総裁であることが気に入らない様子でした。これはわたくしの想像ですけれど、麗子さまがそのようにお育てになられたのではないかと」
「二人の口論は日常茶飯事だったということですか」
「ええ。当館の使用人だけではなく、出入りする村の者も知っています」
「日頃から積もりに積もった感情が爆発したのでは?」
「ないとは言いきれませんが、昨日は千代さまは幻燈館の外に出ておりませんので。そういった証言もお疑いなのでしょうけれど」
「館からは出ていない?」
「幻燈館の出入り口は全部で四つございます。一つは正面玄関。ここにはいつお客様がおいでになってもいいように必ず誰かがおります。他には厨房とリネン室にそれぞれ通用口がございますが、どちらも施錠を徹底しております。特に昨日はお客様をお迎えする準備中でしたから、厨房もリネン室も大忙しでしたわ。
最後は使用人が寝泊りする別館、といっても繋がっておりますが、そこに通用口が一つ。こちらも常時施錠されておりますし、別館への通路も施錠されております。
千代さまのお部屋は二階ですが、一階の窓から外に出ることは可能です。ただ、出ることはできても入ることはできないでしょう」
窓の位置は高く、飛び降りることはできても、よじ登ることはできない。踏み台になるような足場を使用すれば屋敷内に戻る子は可能だが、その場合は踏み台が回収できずに残ることになる。窓の外に踏み台になるようなものは発見されていない。
「幻燈館の誰にも悟られずに外に出ることはできても、犯行後また誰にも悟られずに戻ることは不可能だった……ということか」
「そもそも蜂須賀さま。足利さまのご遺体は目を背けたくなる惨状であったとか。女性の力でそのようなことが可能だと思われますか?」
「可能か不可能かの二択ならば、可能だと答えておきましょう」
「そう言われてしまっては、打つ手はございませんわ。人は空を飛べるかという問いにも‘可能だ’と答えられてしまいそうですもの」
「さすがにそこまでは申しませんよ。‘衝動性殺人行動’というものをご存知ですか?」
「いいえ。初耳ですわ」と奇咲蝶子は首を横にする。
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近