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幻燈館殺人事件 後篇

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* 13 *


 生部神社の境内で死体が見つかった。
 被害者は四家の一つである深津家の嫡男、深津政重。足利義史と同じく惨殺体で発見される。凶器は未発見だが、棒状の鈍器で木刀と推定。うつ伏せの状態で発見され、背中を中心に背面に多数の殴打痕があった。前面に同様の傷が見られないことから、背後から襲い頭部へ一撃。周辺に血が飛び散っており、倒れたあとも執拗に殴打を続けたものと見られ、発見場所が殺害現場と思われる。
 発見されたのは正午頃。二人の村人が発見した。
 二人は三日おきに生部の家を訪れては囲碁を楽しんでいるそうだ。その二人を除けば、早朝に掃き掃除するとき以外に境内への人の出入りはなく、今朝の掃き掃除を行った際には何もなかったことから、掃除後から発見された正午頃までが犯行時刻と考えられる。
 現場と生部家の住居とは距離があるため、住人は何も気付かなかったという。
「それで?」
 蜂須賀は続きを促した。まだ求める答えは得られていない。
「足利に続いての深津です。両家とも九条千代の継承に不満を抱いています」
「話が見えないな」
「九条家には代替わりの際に行う‘お披露目’と呼ばれる儀式があります。これは九条の後継者を他の三家に認めさせるための儀式であり、他の三家は不満があれば異を唱えて後継者の座を賭けた勝負を挑めるのだとか。足利と深津は、その勝負に負けたのですよ。古来の伝統、風習、しきたり、何であっても、殺人は犯罪ですからな」
「仮にそうであれば、壬生家からも被害者が出ることになる。現時点で壬生家からも被害者が出ているのであれば、耳を傾けることもできただろうがな」
「壬生家は何代も前に継承権を放棄していまして、今は生部と名乗っています」
「では生部神社の宮司をやっているのが壬生家なのか。だからといって、証拠にはならんが」
「証拠が必要ですか? 館で働く使用人の証言は家族とみなして採用しませんから、犯行時刻にどこにいたのかを証明できる者はいません。動機と状況証拠だけで逮捕できるでしょう。あとは相手に出方を窺いつつ交渉に持ち込めばいいのです」
「言い掛かりも甚だしい」
「九条の血は殺人衝動を遺伝させる」
 副署長は得意気に口元を緩ませる。
「なんだと?」
「そもそも‘お披露目’とは、九条の後継者に芽生えた殺人衝動を解消させるためのものなのだそうですよ。継承争いを殺戮の隠れ蓑にしているのです。事後に代理として継承争い参加したということにしていたのですよ。殺された二人は十四の小娘に殺されることはないと高を括っていたのでしょうな」
「繰り返すがそれは何の証拠にもならん。第一、殺害現場からどうやって幻燈館に戻ったのだ」
「ですから尋問するのです。尋問の前に奇咲蝶子にこう言うのです。『凶悪な殺人事件ですから相応の厳しい取調べになるでしょう。十四歳のお嬢さんには辛いかもしれません』とね」
「自白を強要するつもりか」
「その場合はこう返します。『それは貴女の出方次第ですよ』と」
 蜂須賀は嘆きにも似た思考を一つの嘆息にして吐き出した。
「愚物が」
「は? …は?」
 言葉を失う副署長を尻目に、蜂須賀は颯爽と扉まで歩く。
「皆川君。館の者を呼んでくれるか」
 前置きなく扉を開くと、そう声を張った。
「先ほど呼びにきたところです。お二人の話が終わるのを待ってもらっていました」
 皆川の脇には、蜂須賀が知らない顔の女中の姿があった。
「蝶子さまがお待ちです」
「いや、こちらの都合が悪い。少しばかり時間をいただきたい。それと、早急に電話を使わせて欲しいのだが」
「すぐにお使いになれますが、電話機の前ま――」
「構わん。案内を頼む。急ぐ」
「ではこちらへ」
「蜂須賀さん」
 事態を掴みかねた皆川が、蜂須賀を呼び止める。尤も、蜂須賀以外に事態を把握できている者などいない。赤碕も、副署長の取り巻きも、全員が蜂須賀に説明を望んでいた。
 蜂須賀は足を止め振り返る。
「犯人を捕まえる。そのために必要なことをやる。それだけだ」

 *

「感謝します。それでは失礼します」
 蜂須賀は受話器を電話機本体に戻し、ゆっくりを背後を振り返った。
 そこには青ざめた顔でうなだれる副署長の姿がある。何事かを繰り返し呟いているが、意味が繋がらない。視点は定まらず中空を泳ぐばかり。一人掛けの椅子からだらしなく四肢を投げ出した姿には、威厳の欠片も感じられない。
 これが叩きのめされた男の姿。挫かれ、打たれ、砕かれたのだ。完膚なきまでに。
 蜂須賀が電話をしていた相手は中央警察の大幹部であり、警察組織の頂点付近にいる人物だ。蜂須賀は事件の捜査権、捜査の指揮権を副署長から奪った。勿論、そのための代償は払っている。体が馴染むには充分すぎる期間を官房付の席で過ごすことになるだろう。
「名を聞いていなかったが、名乗る必要はない。敵として認識してしまうからな」
 蜂須賀はそう吐き捨てて部屋をあとにする。扉が閉まるまでに返事らしい返事はなかった。
「たった今、指揮権の委譲が完了した」
 皆川、赤碕、そして副署長の取り巻きたちに向け、蜂須賀は高らかに宣言する。
「新たな指示を出す。各班長に幻燈館に集まるよう通達」
「ここにですか?」と取り巻きの誰かが口にする。
「幻燈館は村の中央にある。動きやすい」
 蜂須賀は間を置かず簡潔に答え、それ以上のあらゆるを遮断した。
「赤碕君。副署長はお疲れのようだから、駐在所にお連れして安静にしていてもらってくれ」
「了解しました!」
「皆川君。君は坂上蛍を連れてきてくれ」
「はい」
 一通りの指示を出し終えた蜂須賀は、少し離れた場所で待機していた使用人に目を向け、奇咲蝶子が待つ部屋までの案内を頼んだ。
 廊下に敷かれた絨毯を踏み締める音だけが耳に染み入る。
 だが蜂須賀はその静寂を嫌った。
「君はこの幻燈館に来て長いのかな」
「二年半ほどになりますでしょうか」
 階段を上るその背後で、皆川や赤碕や警察関係者らが玄関から外へと向かっている。
「それだけ居たのならば、ここでの生活にも慣れただろう」
「そう思えるようになったのはつい最近のことです。私は女中としての技能もなく、着の身着のままお屋敷に入ったものですから、あれこれを覚えるだけで精一杯でした。実は、お客さまとこういったことをお話しして良いのかどうかも分からなかったのです。ですから私、蝶子さまにお尋ねしたのです」
 使用人の女は饒舌に語り続けた。
「蝶子さまはこう仰いました。緑子さん、貴女自身の人間としての女としての尊厳が踏み躙られない限りは、お客さまの期待にお応えなさい。例えば身のうえを聞かれたとして、貴女が話しても良いと思う相手にはお話しして差し上げ、嫌だと思う相手には『わたくしの身のうえなどありふれた至極つまらないものでございますのよ』と微笑んで差し上げれば良いのですよ、と。そしてこうも仰いました。それでも構わないと食い下がるような輩には二度と幻燈館の敷居を跨がせはしないでしょう、と」
「それでは尋ねてみないわけにはいかないではないか」
「私のありふれた至極つまらない身のうえ話でよろしければ。けれど、お話しするには少しばかり時間が足りないようでございます」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近