幻燈館殺人事件 後篇
「決定方法が命のやりとりだとしても、ですか?」
「それは穏やかではないな」
「この地域に残る衝動性殺人行動を仄めかす伝承は、それを隠すために後付けされたのではないか、と澤元教授は考えていたみたいなんです」
「なるほどな。花明がその仮説を証明しようとしていたのであれば、後継者のお披露目に立ち会わない手はない」
「花明先生は、澤元教授の仮説の真偽を確かめるために村を訪れた。そうして、お披露目の事実を知ってしまった」
「九条家の後継者・千代は、齢十四。十五から一人前として扱うのであれば、頃合ではある。だが、九条の名は大きすぎる。一族が不安を抱くのも無理からぬ話。そういった周囲を黙らせるための行為であれば、あの惨状にも意味がある」
「私、思うんです。花明先生は‘お披露目’を止めようとして失敗してしまったんじゃないかって」
「あの場所に呼び出し、辞退するように持ち掛けた。しかし受け入れられず、揉み合いになって殺害してしまった」
蜂須賀の言葉は、書いてある文面を読み上げたかの如く淀みない。
「その可能性も…ありますよね」
「それはない」
蜂須賀は断じる。
「偶発的に致命傷を与えてしまったのだとすれば、遺体があのような惨状になっている説明が付かない。九条千代が罪を犯さずに済むように説得を試みたのだとして、その九条千代がやったように偽装するのは矛盾している」
「九条千代や奇咲蝶子に頼まれたんじゃないでしょうか」
「頼まれたとしても引き受けない。人道的理由から‘お披露目’を止めさせようと考え行動するのは分かる。実に花明らしい。しかし、いくら後見人とはいえ、所詮は部外者である花明が介入してしまった事象からは、正しい調査結果は得られまい。それに、だ。自身の研究ならばまだしも、澤元教授の研究を穢すかな?」
「じゃあ花明先生は?」
「どこかに閉じ込められているかもしれないな」
蜂須賀の声に感情はない。
殺人を犯してもいない、殺されてもいない、綺麗な身体のまま生きている。そんな歓迎すべき答えに到達しておきながらも、喜びも悲しみもない。
「……九条の後継者が犯人なのでしょうか。あんな子供が…人を殺したなんて……」
坂上はそっと目を伏せ、震える自分の肩を抱いた。
「十四歳の所業とも思えないが、花明の無実を信じるのならばそういうことになる。だが大きな問題が一つ。現場から立ち去る犯人を見た者がいない」
それは、犯人が村ではなく山に入ったことを意味する。
「警察は、事件の犯人を捕まえられるのでしょうか」
坂上は力無く問う。
九条の当主となる人物を逮捕することができるのか、と。
「担当者には伝えておく。明日か明後日には村を離れる許可が出るだろう。それまで我慢してくれ」
「蜂須賀さん」
「何だ?」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。良い夜を」
*
一夜明け、村は物物しい雰囲気に包まれていた。
九条に貸しを作る絶好の機会であると鼻息を荒くした署の幹部が、大量の人員を投入したためだ。
殺人犯と思わしき人物・花明栄助の捜索隊が組まれ、日の出と同時に探索開始の号令が下された。周囲の山を草の根を分けて捜索せよ、とのお達しである。
そんな喧騒を遠くに、蜂須賀は駐在所の縁側に腰掛け、冬の寒空を見上げていた。
「やはり調子が狂う」
洋館に生まれ洋館で育った蜂須賀には、畳の上に布団を敷いて寝るといった経験がほとんどない。だからといって眠れなくなるほど繊細な男ではないが、何かもがいつも通り、とはいかない。
枕の高さや布団の硬さが合わなければ、首肩腰といった各部に悪影響を及ぼす。体の違和は、集中を妨げ思考を鈍らせる要因と成り得る。
「我ながら情けないことだ」
蜂須賀は首や肩をほぐすようにぐるぐると回した。
「枕が合いませんでしたか」
どてらを羽織った赤碕が急須と湯呑みとを載せた盆を持って現れた。
「畳の上で寝ることも随分と久方ぶりでね」
「茶、どんぞ」
蜂須賀は湯呑みを受け取ってすぐに一口含む。
今朝早く、日が昇る前のまだ暗い時間、警察署の使いの者が駐在所にやってきた。蜂須賀を含め全員が起き出したのだが、実際に話を聞いたのは皆川と赤碕の二人だけだった。
失礼ながら容疑者の一人である蜂須賀警視正にはお話しできない、と同席を拒否された蜂須賀があっさりと引き下がった際に、二人は蜂須賀の体調を心配していた。
そのときの蜂須賀はまだ自覚していなかったが、和式の生活に旨く順応できていないことによる行動の変化だった。
尤も、初日から順応しろというのも無茶な話ではある。
「赤碕君は山狩りに参加しないのか?」
言いながら、蜂須賀は皆川のことを考えていた。
今、この駐在所に皆川の姿はない。
自動車の運転手である皆川は、連絡係として捜索隊に加わるように要請された。しかし彼はそれを拒否した。勿論、蜂須賀の持つ権力を濫用してのことだが、署の捜査方針に従っていては犯人には辿り着けない、と彼なりに考えた上での行動であった。
自動車は捜索隊が使用することになったが、蜂須賀に異論はなかった。どのみち、捜査にある程度の進展が見られるまでは村から出ることはできないし、花明の消息が掴めるまでは村を離れる気がない蜂須賀にとっては、村を離れられない理由――村に留まる理由――となって、好都合であったのだ。
「普段通り勤務するように言われました」
村の駐在である赤碕が捜索隊に加えられなかったのは、九条に懐柔されている可能性を考えてのことであろう、と蜂須賀はすぐに思い至る。
「通常任務を疎かにはできないからな」
蜂須賀は赤碕へ気休めの言葉を掛けたつもりでいたのだが、当の赤碕に気落ちしている様子が見られないことに気付く。
「村のもんだったら、日没直前の山さ入ることはしません。何も知らん余所もんが山さ入ってたら、野犬に襲われるか寒さで凍死すっかのどっちかです」
「それは穏やかではないな」
「その……犯人は村にいるんでねえかと思うんです」
蜂須賀は、ほぅ、と息を吐く。
「何故そう思う?」
「村には空き家も使われていない納屋もたくさんあります。一旦、山さ隠れてて、夜の寒さに負けて下りてきたんでねえかと」
「捜索隊は山を優先して捜しているようだが、村内も捜索すべきと言うのだな?」
「その…見つかるまでは村の中も危険でねえかと思うんです」
「そうだな。確かに危険だ」
赤碕の言わんとすることを察し、蜂須賀は寒空を見上げたままひっそりと笑む。
赤碕は、坂上を一人にしておくのは危険だ、と主張しているのだ。
坂上が民宿に泊まることを聞かされた際の赤碕の落胆振り――この世の終わりを告げられたのかと思うほどの様相――を見ていれば、誰であっても推し測ることは容易だ。
そうして蜂須賀はひっそりと笑む。
この半分ほどの色気や色欲があいつにもあればな、と思いながら。
「もう一杯、もらえるかな」
蜂須賀の差し出した湯呑みが赤碕の手に渡る。
「安物の粗茶なもんで、お口には合わないかと思っていました」
「口に合うかどうかを決めるのは値段ではないだろう。旨いと感じるかどうか、ただそれだけだ」
茶が注がれた湯呑みからは、ほんのりとした湯気が立ち昇っている。
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近