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幻燈館殺人事件 後篇

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* 9 *


 衝動性殺人行動。
 澤元嘉平が行っていた研究を究極まで単純明快に表せば、この言葉になる。
 それは、殺したいから殺す、ということ。そこには殺したい理由など存在しない。大金を騙し取られた、裏切られた、恋人を汚された、そういった理由らしい理由はない。あるとすれば、殺したいと思ったときに目の前にいたこと。
 人は、殺人鬼と呼ぶ。
 殺人鬼の研究は民俗学の領分ではない。従って、澤元は殺人鬼を調査研究していたのではない。澤元の研究対象は、殺人鬼を内包して成り立つ生活共同体、つまり、九利壬津村そのものだ。
 伝承は、直接語り継ぐには都合の悪い出来事を婉曲的に記録したものと見なされることがある。その際たる例が、口減らしを神隠しと呼んだものだ。
 貧困に喘ぐ地域には、姥捨てに代表される口減らしが行われていたとされている。労働力にならない老人と女児を養う余裕などなかった時代の話が伝承として残り、その一部は人ならざるものの仕業として語り伝えられている。
 澤元嘉平が注目したのは、九利壬津村にまつわる伝承が‘人が人を殺す’という最も隠避されるべき事柄をそのままに伝えている点だ。
 事の発端は、一冊の日記。
 澤元嘉平が偶然見つけたそれは、武士の時代に書かれたとされる古い古い日記であり、晩年になって旅を始めた医者のものであった。
 とある山村で診察を行っていたときのこと。医者は、地下の座敷牢に幽閉されている一人の男を診察することになり、その男から、人を殺したことがある、と告白されたことが記されていた。
 医者は、余所者ですぐに村からいなくなる自分に話せば楽になるだろう、とそのように考えて、男の話を聞いた。
 男は、唐突に人を殺したくなった、と言った。
 男が手に掛けてしまったのは、村の者ではあるが男はその顔も覚えていない、そんな全くと言っていいほど繋がりのない相手であった。
 医者の問いかけに、男はこう答えたと記されていた。
『殺したいと思ったときに目の前いた。だから殺した』
 澤元嘉平は、医者の旅の足取りを追い、地下牢の男と出会った場所が九利壬津村であることを突き止めた。
 澤元嘉平の研究は、地下の座敷牢にいた男の素性を調べることから始まった。
 医者の手記を読めば、男が高い身分にあったことはすぐに分かる。労働力にならぬ者を囲う余力があること、地下牢という大掛かりな設備を保有していたこと、他にも手掛かりは幾つもあった。それらを総合して考えれば、凶状持ちであるにも関わらず大事に養われていた理由が見えてくる。
 地下の座敷牢にいた男は跡継ぎだったのだろう。澤元嘉平はそのように仮説を立て、当時この辺りを管理していた者の名前を調べることになる。

「お話できるのはここまでです」
 淀みなく話し続けていた坂上蛍は、そう言って唐突に口を噤んだ。
「衝動性殺人行動、か。快楽殺人とも別物のようだな。しかし澤元嘉平は心理学者ではないだろう。花明もだが」
「お二人が習得しておられる分野までは分かりません。でも、澤元教授も九利壬津村の衝動性殺人行動について調査を行っていたことは事実です」
 坂上は語調を強めた。
「失礼。懐疑的な物言いに聞こえてしまったかな。分野が異なる研究を行っていたことに疑問を持ったのだ。疑問というよりは興味になる。まだ続きがあるようだが?」
「これより先は未発表なんです。実証されていない仮説ですし、何より第三者に研究内容を話すことはできません」
 蜂須賀は、何かを言い掛けた皆川を素早く制した。
「尤もな言い分だが、人間が死んでいる。花明自身が疑われている状況でもある。その辺りを理解してもらいたい」
 蜂須賀の声は冷たい。感情の揺らぎなどはなく、付け入る隙もなければ、反論の余地もない、相手にそう感じさせる。
 緊迫した空気の中に、床板を軋ませて階段を下りる足音が響く。
「用意できたよ。火鉢には火を入れといたから、換気に気をつけておくれよ」
「助かります。さぁ行こうか坂上君」
 蜂須賀は、ちらと皆川に目配せをしてから、坂上を連れ立って二階へと上がった。
 普段は使われていない二階の部屋は少しばかりカビ臭かったが、ややもしないうちに火鉢で燻る木炭が塗り替えた。
 快適な夜を、とはいかないが、一夜を過ごすには充分な場所だ。
「せめて、研究の内容を話すことにどんな意味があるのかを教えてください」
 先に口を開いたのは坂上であった。
「端的に言えば、犯人を探す手掛かりになる。内容によっては疑いを深めることになるかもしれないが、花明への疑いを晴らす材料にもなる。だから尋ねているのだ。花明が完成させられると言っていた論文の内容は何か、と」
「さっき言ったように、おいそれと第三者に話すことはできません」
「そうだったな。失礼した。では憶測で話を進めよう。花明が調べようとしていたことだが、九条家に深く関わる何かであろうことは想像に易い。なぜなら、それ以外のことはいつでも調べることができたからだ」
「いつでも?」
「君は知らないのだな。花明は九条千代の後見人なのだ」
「先生が後見人!?」
「九条千代の後見人という立場にあった花明ならば、九条の屋敷・幻燈館にさえ立ち入ることが可能だったはず。となれば、論文の完成に必要だったものは特定の場所ではないということだ。お披露目という行事そのものかもしれないし、その際に使われる何かであるかもしれない。論文を完成させるために殺人を行う必要があったとして、注目が集まる時期に実行するのは捕まえてくれと言っているようなものだ。論文の完成という目的に矛盾する。言うまでもないが、逮捕されてしまえば論文も何もない」
「それは、花明先生は犯人ではないということですか?」
「我々に向けられている疑いと同程度だと考えてくれ。それよりも、わざわざ注目が集まる時期に実行しなければならない何らかの理由を持つ人物がいる可能性の方が遥かに高い。だがこれはあくまでも憶測でしかない。花明が何を調べようとしていたのかが分かれば、事態は何らかの進展を見せるだろう」
 坂上は真一文字に引き結んだ口を開こうとはしなかった。
 蜂須賀は立ち上がって上着を正す。
「どうにも畳の上は居心地が悪い。君が話さないということが、それだけで花明を不利にすることを覚えておいてくれ。明日以降もどこかに宿泊してもらうことになる。話す気になったら駐在所まで足を運んでくれたまえ。それでは、良い夜を」
 蜂須賀は微塵の迷いも感じさせない動きで坂上に背を向けた。
「待ってください。お話します」
 坂上の声は震えていた。
「ほう」
 蜂須賀は襖に伸ばす手を止める。
「今からお話しすることは、対象の名誉を汚すことになり兼ねないので、躊躇っていたのです。実証されていない仮説です。そのつもりで聞いてください」
 坂上は、か細く風の音にもかき消されてしまいそうな小さな声で続けた。
「本家の代替わり、つまり一族の新しい頭領を決める際、分家が後継者の資質に不満や不服があった場合、より後継者にふさわしい者を選出して後継の座を争わせたのだとかで」
「歴史を振り返っても、無能な当主を戴いたことで滅びた一族は数多い。旧家の風習としては取り分け珍しいものではない」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近