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幻燈館殺人事件 後篇

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* 8 *


 カンテラの灯りが、煌々と夜を照らしている。
 地面に映し出される人影は三つ。
 道を知る皆川がカンテラを持って先頭を歩き、そのすぐ後ろに坂上が続く。
 蜂須賀は、数歩ほど離れた場所から二人の背を追うように進んでいた。
「――さん、蜂須賀さん」
 皆川が呼ぶ声に、自分が歩きながら考え込んでいたことを知る。
「あの家です」
 皆川が得意気に指差すその先には、戸口の隙間から明かりを溢す家屋がある。
「宿だと聞いたが」
 蜂須賀は、素直な感想を述べる。
 周辺の家屋と比べれば多少は大きいが、それでも大きな民家といった程度であり、蜂須賀が想像していたよりもずっと小さなものであった。
「もともとは、農業の傍らで空き部屋を使って宿を営んでいたようです」
「今は宿をやっていないのか」
「はい。閉めたのは二年ぐらい前ですね」
「なんだ、詳しいのだな」
「親戚が温泉宿をやっているもので、そういう話は耳に入ってくるんですよ」
 皆川は苦笑してみせた。
 辿り着いた戸口は、民家の玄関そのものであり、蜂須賀をさらに驚かせた。
「どちらさま?」
 皆川の呼び声に応じて戸口から顔を出したのは、四十路頃の女性であった。あからさまに不機嫌を乗せた声で、表情もまたそれを後押しするものだった。
「ど、どうも。お久しぶりです」
「おや、皆川さんとこの。こんな時分に何用だい?」
 この二人のやりとりから、蜂須賀は二人が顔見知りであることと、先ほど皆川が苦笑いをみせた理由とを察した。
「夜分遅くに申し訳ない」
 蜂須賀は皆川を手で制して前に歩み出る。
「あら、いい男」
「実は人を捜していまして、こちらに立ち寄ったのではないかと聞きましたので、夜分の無礼を承知でこうしてお伺いしたのです」
「捜しているのは、花明って人かい? 警察が来てしつこく聞いていったよ。本当に来てないか、隠してもいいことはないぞってね」
 擦り寄る猫なで声。しかし蜂須賀は微塵も反応しない。
「ということは、ここには来ていない?」
「少なくともあたしは見てないね。昼頃は出ていたしさ」
 見た目よりは幾分若いのだろう、と蜂須賀は分析した。
「ご家族の方は?」
「祖母が一人。他は外へ出稼ぎ。あたしもね、冬は外に出てたんだよ。皆川さんとこで働かせてもらってね」
「こちらも宿を営んでおられたと聞きましたが?」
「祖母の道楽でね。その祖母が呆けてしまったんで、宿はやめにしたんだよ。利用客なんていないも同然だったしね。考えてもみなよ。こんな何もない村に宿を取る物好きがいると思うかい?」
「その物好きな男を捜しているところでしてね」
「ああ、そうだったね。でもさっきも言ったけど、あたしは見てないよ。本当にうちに行くって言ってたのかい? 十年も前にたった一度だけ使った宿にわざわざ挨拶しようだなんてさ、考えられないよ」
「そういう男なのですよ、花明は」
「へぇ、随分と律儀な人だね」
「ところで、昼頃は外出なさっておられたようですが、その間に訪れたということは?」
「分からないねぇ。祖母が一人だったしね」
「お話を伺っても?」
「いいけど、もう呆けが進行してるから、話にならないと思うよ。警察も諦めてたし」
「是非お願いします」
「そうかい? でもあんまり長くは……」
「分かっております」
「じゃ、入っておくれ」
 土間を上がり、囲炉裏のある板間を抜け、上階へと続く階段の前を素通りして辿り着く、やや奥まった場所にある障子の前、ここですよ、という合図を受けて、蜂須賀は小さく頷いた。
「ばあちゃん、開けるよー?」
 幼子に語り掛けるように、けれども返事を待つことなく障子が開かれる。
 年老いた女性が一人、火鉢の前に静かに佇んでいた。
「あぁら、お客さんーかいーねぇ。部屋のぉじゅんーびぃをせんとのー」
「ばあちゃん、この人たちが、ばあちゃんに、話を聞きたいんだって」
「あー?」
 蜂須賀たち三人を置き去りにしたやりとりをしばらく続けたあと、こんな調子だけどそれでも話すつもりかい、と言わんばかりの顔を向けた。
 蜂須賀は無言で進み出て、老婆の前に正座する。
「お初にお目に掛かります。蜂須賀と申します」
「ごていねいにどうもー。なんのもてなしもできねけど、どんぞゆっくりくつろいでいっておくれぇよぉ」
「花明栄助という男を捜しています。ご存知ですか?」
「かぁめぇさん?」
「はい」
「こりゃーごていねいにどうもー。なんのもてなしもできねけど、どんぞゆっくりくつろいでいっておくれぇよぉ」
 にこやかに笑む老婆の前で、皆川が蜂須賀に耳打ちする。それは、これ以上は無駄という意を告げるものであった。
 蜂須賀は僅かに頷いて同意を示し、目の前の老婆に向かって退室の挨拶を行った。
 そうして蜂須賀が片膝を立てたとき、一番遠くに座っていた坂上が震える声を発した。
「先生は…本当に来てないんですか?」
 頭を垂れ、膝上に置いた両の拳を強く握り絞めているその様は、感情が爆発する寸前であることを如実に表していた。
「思い出してください! ちゃんと!」
「やめないか。失礼だぞ」
 蜂須賀の制止も効果はない。
「ねぇ! 先生は! 先生を…!!」
 皆川は絶叫を続ける坂上を室外に連れ出さんとして、その腕を掴んだ。
「‘先生’?」
 別人のような老婆の声。と同時に表情から笑みが消える。
「あんたら、先生の教え子かい?」
 老婆の突然の変貌に、その場の誰もが息を呑む。
 唯一人、蜂須賀を除いて。
 蜂須賀は立てていた膝を戻し、左手を挙げて全員に口出ししないように促した。
 いち早く理解した皆川が、蜂須賀の意向をより明確に二人に伝える。
「はい」
「失踪者が出たって? それで研究との関係を調べてるんだね。でもね……」
 老婆はきゅっと目を細める。
「それを調べた所でなんも有りはしませんですよ」
「何かご存知なのですね? 話していただけませんか?」
「帰っておくれ。もうここには来ないでおくれ。ここは九条の土地、九条が絶対。先生、もう来ちゃいけない。先生のためだよ。寂しいけれど、もう来ないでおくれ」

 *

 狼狽でも激昂でもない、感情の噴出。そんな老婆の変貌振りに驚いた家人によって、蜂須賀たちは部屋を追い出されたのだが、蜂須賀は抵抗することなく、むしろ率先して部屋を出ていた。
「‘先生’とは花明のことではないようだった。坂上君、誰か心当たりはないか?」
 囲炉裏のある板間へと移動した蜂須賀は、腰を落ち着ける間もなく口を開く。
「え……その、花明先生ではないのなら、澤元教授ではないでしょうか」
「ふむ。花明が師事していた教授か。ということは民俗学、この村にまつわる伝承の研究か」
 それぞれが思い思いに囲炉裏を囲んで座る。
「あの反応を見た限りでは、この村で失踪者が出ることと澤元教授の研究とは深い関係があり、そして、それには九条家も無関係ではないようだ」
 九条という言葉に皆川が反応を示したが、口を突いて出る言葉はなかった。
「村に住む者には既知の事実であっても、それを外部の者に口外するのは反旗を翻すことになる。調査に協力することも同じ。それでも宿泊させていたのは、研究の進捗を把握しておくためだろう」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近