小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

幻燈館殺人事件 後篇

INDEX|15ページ/44ページ|

次のページ前のページ
 

* 7 *


「お待たせしてしまいましたね」
 深い青のドレスに身を包んだ淑女――奇咲蝶子――は、しずしずと絨毯を踏みしめて進む。
 唇を真一文字に引き結んで立ち上がった皆川は、相手に警戒を抱かせないために習得した刑事の仮面を被り、淑女に向かって一礼し、その脇をすり抜けた。
「気を遣っていただきましたのね。感謝しますわ」
 誰にも向けられていないその言葉が終わると同時に、部屋の内と外とを隔絶する扉が閉められた。
「早速ですが、お話というのは?」
「あら、蜂須賀さま。昼とは違って性急ではありませんか」
 蜂須賀は皆川が立った椅子を勧めたが、奇咲蝶子はそれを辞した。
「美しいご婦人との会話は大歓迎ですが、夜は己の獣を抑えねばなりませんのでね」
「まぁ。それでは手短にお話させていただきますわ」
 奇咲蝶子の視線が、蜂須賀を射抜く。
 話をする、と言いつつも相手を値踏みする視線を遠慮なく投げている。
「まずは、当館の騒々しさについてお話いたしますわ」
「よしなに」
「単刀直入に申しますと、千代さまをお探ししております。相続の件で、いろいろと心労が重なっていたのでしょう。状況が状況でございますから、一刻早く探し出さねばと使用人を総動員して屋敷内を探しているのございます。この幻燈館の外には出ていないはずですから」
「そうですか。てっきり花明の奴を探しているのかと思っていましたよ」
「……なぜ、そう思われます?」
 蜂須賀は部屋の入口脇を指し示す。
「花明のインバネスが掛けられたままだ」
 奇咲蝶子が微笑み、蜂須賀が腕を下ろす。
 そうして、何事もなかったように会話が再開された。
「表向きは千代さまをお探ししているという名目で、花明さまをお探ししているのでございます。本日、村では痛ましい出来事がございました。もうお聞きになったかと思いますが、警察は花明さまを重要参考人として捜索するそうでございます。状況が状況ですから、わたくしが花明さまを唆した、とそのように考えているのでございましょう。無理からぬことです。わたくしはともかく、花明さまへの疑念は早々に晴らさねばなりません。そしてもう一つ、申し上げにくいことで、先ほどはつい躊躇ってしまいましたが……」
「花明は事件に巻き込まれている可能性がある、ということですか」
 蜂須賀は直接的な表現を避けたが、事件に巻き込まれている、という言葉には、殺されている、という意味が含まれている。そしてその隠された意味は、相手に確かに伝わっていた。
「その通りでございます」
 奇咲蝶子はそっと目を伏せる。
 悲しみに濡れて肩を落とす淑女を前にして、手を差し伸べない男は紳士ではない。
 憂いを秘めて漏れ出る嘆息は、男を虜にする甘美で艶やかな凶器。
 それは、何の後ろ盾もなく当主代行を務めることになった奇咲蝶子が、戦うために手に入れた武器。身につけざるを得なかった武器。そして、九条千代を守るためだけに磨き上げ、研ぎ澄ました凶刃。
 蜂須賀がその影響を回避できた理由は、奇咲蝶子が蜂須賀を敵として認識していなかったことと、元より異を唱えて抗う内容ではなかったことの二つだ。
「こちらも気を遣わせてしまいましたね。今この幻燈館を包んでいる空気は異常だ。如何に花明が朴念仁であったとしても、この騒々しさに気付かないとは思えない。その上で、自ら姿を現さず、これだけ捜しても見つからないとなれば、十中八九は事件に巻き込まれているのでしょう」
「存外に悲観的ですのね」
「ぬか喜び、というものが嫌いでしてね。気を遣っていただきましたが、ご覧の通り花明が事件の関係者であったとしても、何ら気落ちするようなことはありません。どうかお気遣いなく」
 蜂須賀は、敢えて‘被害者’という言葉を避けた。
「ご無礼を働いてしまいましたわね。何かお詫びいたしませんと。そうだ、お食事への招待を受けていただけませんか? お連れの方も一緒に」
「ありがたいお誘いですが、生憎と今夜はすでに済ませてしまいました」
「それは残念です」
「また差し迫った事情がないときに、ゆっくりと。代わりと言ってはなんですが、一つ質問を。花明が以前世話になった方というのはどなたです?」
「川辺さんのことだと思いますわ。農家の傍ら宿をなさっておられましたから、そういったご縁ではないかと」
「澤元教授が使っていた宿、ということか」
「澤元教授をご存知なので?」
「名前だけです。花明に何度も聞かされました」
「では教授が研究なさっていた内容も?」
「ええ。まるで我が事のように、得得と誇らしげに話していましたよ。話し始めると止まらなくなるので、ほとんど聞き流していましたが……おっと、今のは内緒に」
 奇咲蝶子は笑んでみせ、蜂須賀もまた笑み返す。
 ただ、両者ともにその目は笑っていない。
「これからその川辺さんのお宅へ伺おうと思います」
「水を差すようですが、すでに警察の方が確認なさったようですわ。道中を目撃した者もいなかったそうで……」
「念のため、ですよ。…それに、花明が犯人だと思われているのなら、その誤解を解いてもおきたい」
 蜂須賀は立ち上がる。
「それはわたくしからもお願いいたしますわ」
 微笑む奇咲蝶子の脇を抜け、話は終わった、と廊下に待機していた皆川を招き入れる。
 入れ替わるようにして部屋を出た奇咲蝶子の背を見送り、蜂須賀は再び椅子に腰を下ろして目を閉じた。

 *

「いかがでしたか?」
 皆川がそう声を掛けたのは、たっぷり数分が過ぎてからだ。
「花明は事件に巻き込まれた、と言っていた。招待主として誤解を解く責務があると考えているようだ」
「そう言うでしょうね」
 花明が事件に巻き込まれているだけだとすれば、言葉通りに招待主として花明を守ろうとしていることになり、花明と結託して事件を起こしていたのであれば、共犯者から疑いを逸らすための言葉となる。
 どちらにせよ、奇咲蝶子は花明を擁護することになる。
「予想はしていた。だが勘違いしてはいけない。花明の無実は奇咲蝶子の無実を証明するものではない」
「どういうことです?」
「二人が結託していなかったことを証明するに留まる、ということだ。二人の結託を前提に捜査を進めてしまえば、どちらかの無実が証明された段階で行き詰まることになる」
「確かに、‘警察’は二人の結託を前提に捜査を進めているようですからね」
 皆川は、皮肉たっぷりに、あるいは自虐を込めて、他人事のように言う。
「奇咲蝶子はそれを感じ取った上で、花明栄助を擁護しているのでしょうか?」
 皆川の発言を受けて、蜂須賀は、ふむ、と小さく唸った。
「一度、お互いに立場をはっきりと認識したほうがいいようだ」
「立場ですか?」
「そう。立場、だ。花明栄助の知人である蜂須賀直哉は、花明栄助が無実であることを願っているし、無実であると信じている。一方、事件とは無関係な全く別の理由から奇咲蝶子を快く思っていない皆川君は、奇咲蝶子が犯人であればと考えている」
「否定は…しません。しかし、今の物言いでは蜂須賀さんも先入観を持っていることを認めたようなものではありませんか」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近