幻燈館殺人事件 後篇
皆川は、おそるおそる歩を進める。その一歩が絨毯に与える損耗は、自分の給金より高額なのかもしれないのだ。
「尊敬する教師が人殺しかもしれんのだからな。見知らぬ我々の前でこそ気を張っているが、ふとした拍子に抑えが利かなくなることもあるだろう。そっとしておいてやれ」
蜂須賀は、サイドボードの横に几帳面に並べられた鞄類の中から一つを掬い上げ、寝台脇の丸テーブルに音も立てずに降ろすと、鞄を開け、手早く中身を確認し、閉じた。
そんな蜂須賀の軽やかな振る舞いは、皆川の目にどこか悲しげに映った。
「お知り合いの方は…その、犯人…なのでしょうか?」
蜂須賀は鞄を床に降ろすと、丸テーブルとセットになっている椅子に腰掛けた。
「どうも床に座るのは落ち着かなくてな。皆川君も座ってはどうだ」
背凭れに身を預け、目を閉じる蜂須賀。
そうして、皆川が腰掛けると同時に口を開く。
「被害者の状態を覚えているか?」
「はい。頭部と両手両足に大きな損傷がありました」
「犯人がそこまでやったのはなぜだと思う?」
「苦しめるため……でしょうか?」
「そうであれば動機は怨恨。村の者ではなく、被害者との関わりが薄い花明には、そこまでやる必要がない」
「失礼を承知で言わせてもらいますが、苦しめて殺すように頼まれたのでは?」
「それは、誰に?」
「奇咲蝶子です」
「では奇咲蝶子が殺害を目論むその目的は?」
「それは、相続の邪魔に……あっ」
「つまり怨恨ではない。疑いの目を逸らすために怨恨に見せかけた、という見方もできるが、そうであればなぜここに花明がいない? 姿を消せば疑われるのは当然だ。わざわざ怨恨に見せかけた工作の意味がない」
「確かに」
「加えて言えば、被害者の状態からは、意図せず殺害してしまい怖くなって逃げ出した、というような状態ではないことも分かる。これらは花明が犯人であることを否定する明確な証拠ではないが、現時点で花明が犯人だと言われても納得はできない」
「なるほど」
「奇咲蝶子が部屋に来たら、君は席を外してくれ」
「なぜです?」
「君は奇咲蝶子に敵意を持っている。それでは彼女が警戒してしまう」
「否定はしませんが、何も追い出さなくても」
「話が終わるまで誰も入ってこないように、入口で見張っていて欲しいのだ」
皆川の表情から、ふっ、と力が抜けた。
「余計な詮索はしないのでは?」
「あぁ、その通り。だから必要な詮索をするのだよ」
蜂須賀はゆっくりと目を開き、薄く冷たく笑んだ。薄氷のごとく。
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近