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幻燈館殺人事件 後篇

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 赤碕は上機嫌にそう言って、大根と同様にぶつ切りにした肉を次々と大鍋に放り込んでいった。
「赤碕君。花明が重要参考人というのは、消息不明だから、なのかな?」
 蜂須賀に問われ、赤碕はばつが悪そうに後頭部を掻いた。
「理由の一つではあります。話せば長くなりますが……」
「九条の後継問題が絡んでいるのだな?」
「ご存知でしたか。端的に言えば、九条千代が跡目を継ぐことに対して、足利家が激しく反発しているのです」
「相続に口出しできるほど深い関係だったのか」
「四家の関係についてはそれほど詳しくないのですが……足利家の当主にも権利があるのだとかで……その、どうして権利があるのかまでは……」
「血脈を途絶えさせないための措置だな。九条の名はそれほど重要なのか」
「一つ言えるのは、この村では九条は絶対だということですね」
「ふむ。読めた。絶対である九条に逆らった足利の当主が殺された。これは九条による見せしめ。となれば、指示したのは当主代行の奇咲蝶子。奇咲蝶子の命を受けて殺害を実行したのが、帝国大学助教授の花明栄助。花明栄助の身柄は、奇咲蝶子との取引材料になる。警察は九条に大きな貸しができる。そういうことだな?」
 皆川が拳をぐっと握りこむのを、蜂須賀は視界の隅に捉えていた。
 赤碕は押し黙り、火箸を手繰って火勢の調節を始める。
 蜂須賀は仮定の肯定として受け取った。
「九条による見せしめは言い過ぎたとしても、障害を排除した線には説得力がある」
 蜂須賀が自身の仮定を否定したのは、警察側ではなく九条家側に視点を移したことによるものだ。蜂須賀が打ち立てた仮定は、あくまでも警察側はそう考えているだろうということでしかない。
「あからさま過ぎませんか?」
 控えめな、けれど、強い意思が込められた主張を伴って、皆川は蜂須賀の目を捉える。
「あからさま過ぎて、そんなことはしないだろうと考える。それが狙いだったとすればどうだ?」
 正面から受け止める蜂須賀は、変わらずの無表情で言った。
「では奇咲蝶子が首謀者ですか?」
 皆川は身を乗り出す。抑え切れない感情が、無意識に体を動かしているのだ。
「ただの憶測だ。証拠も何もない」
「尋問しますか?」
 九条に対して良い印象を持っていない彼は、当主代行である奇咲蝶子を取り調べできる機会をのどから手が出るほどに欲している。つい力が入ってしまうのも無理からぬ話だ。
 蜂須賀は表情を動かすことなく、視線を囲炉裏の鍋へと移した。
「尋問とは穏やかじゃないな。相手は淑女。賢き貴婦人だよ。言葉を選ぶべきだ」
「はあ」
 皆川は即座に萎縮した。これまで何度も窘められていた彼は、蜂須賀がこのようにいなしてくるときは、暖簾に腕押し、熱弁を振るっても無駄なことを学習していた。しかし、それは意識しての行動ではなかった。
「蝶子さまとは、その、お知り合いなので?」
 赤碕が、おそるおそる、といった口調で問う。
「ただの茶飲み友達だよ」
 蜂須賀は、さらり、とそう答えた。
 その声には、えも言われぬ冷たさがあった。『どこの誰であろうとも、犯罪者であれば逮捕する』と、そう告げている。
「蜂須賀警視! 自分は、蝶子さまが首謀者などとはとても考えられません! その、これは確証のない印象でしかありませんが……その……」
 最後まで続けられず、赤碕は肩を落とす。
「美人が罪を犯すはずがないとでも?」
「そういうわけでは……ありませんが」
「そういった根拠を欠いた期待が当人の負担となって犯罪に走らせる。そうして事が起きたあとにこう言うのだ、裏切られた、とな」
「そんなことは……」
「だが確かに、美しい女性は罪を犯さない」
 皆川と赤碕の二人は揃って驚きの顔を蜂須賀に向けた。
 当の蜂須賀は、二人の視線など意に介さずに、ふつふつと揺れる大根にのみ視線を注いでいた。
「いや、犯す必要がないとでも言おうか。自ら手を汚す必要がないのだ。美貌に平常心を失った男は、暗に邪魔だと示唆されれば排除もしよう。喉が渇いたと言われて飲み物を運ぶようにな。何より不快なのは、花明がそんな程度の低い男だと思われていることだ」
 蜂須賀が言い終えると、そこで会話が途切れた。
「そろそろ食べ頃じゃないですか? お腹空いちゃってて」
 坂上の明るい声が、重たくなりかけていた空気を打ち払う。
「た、確かにもう食べ頃かと」と赤碕。
「美味しそうです」
「独り身だで味気ねえかも知んねけども」
「駐在のお仕事をこなしながらだと、大変ですよね」
「よ、嫁に来てくれる娘がいるとありがたいんだどもな」
 そう言って、赤碕は頬を赤らめた。
「食事を済ませたら幻燈館へ行きたいのだが」
 蜂須賀がわざわざ行動予定を口にしたのは、自分がまだ容疑者の一人として扱われている自覚があったからだ。怪しまれる行動を避けるのは当然だが、所在地と目的を明確にしておけば、疑いは最小限で済む。
「そういえば、先ほども幻燈館に向かおうとしていましたね。何かあるのですか?」
 皆川は理由を問う。形式的な事由による質問ではあるが、皆川自身が蜂須賀の行動に興味を持っていた。
「荷物を花明に預けている。日没には戻ると聞いたからそのままにしておいたのだが、花明が戻らないのであれば話は別だ。初動捜査が落ち着くまでの間、容疑者の一人としてここに抑留されることに異を唱えるつもりはないが、さすがに着替えもないのは困る」
「それはそうですね。では自分が同行し、事件に関する証拠隠滅を行っていないことを確認させていただきますよ」
 皆川は自虐的にそう言った。
「あの、一緒に行っても構わないでしょうか?」
 坂上の申し出に、皆川は目を丸くする。坂上はつい先ほど幻燈館からこの駐在所にやってきたばかりだったからだ。
 皆川に、どうして、と問う間を与えることなく坂上は言葉を続ける。
「もしかしたら先生が戻っているかもしれないし、その……失礼な話ですけど、ここにはあまりいたくないんです」
 赤碕は驚きの表情で言葉を失っている。
 皆川は蜂須賀の反応を待っている。
 蜂須賀だけが坂上の言葉に込められた意味を察していた。
 現在、九利壬津村駐在所には被害者足利義史の遺体が保管されている。駐在所に赤碕と二人で残ることになった場合、何かの都合で赤碕が出払ってしまえば、死体と自分だけが残ることになる。坂上にしてみれば、無関係な赤の他人の死体と同じ屋根の下、という状況は決して歓迎できるものではない。
「赤碕君に緊急の要件があった場合、警官の職務に一般人を連れまわすことはできないし、容疑者の一人なのだから一人にすることもできない。となれば、我々と行動するのが最善だろう。赤碕君、それで構わないかな?」
「そう…仰るのであれば……」
 赤碕は見るからに落胆していた。その承諾が本心からのものではないことは、誰の目にも明らかだ。
 警察官だからといって、死体と同じ屋根の下に平気でいられるわけではないのだ。
「着替えを持ってくるだけだ。こことの往復であれば、そう時間も掛かるまいよ」
 蜂須賀はそう言って、椀の残りを一気にかき込んだ。

作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近