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幻燈館殺人事件 後篇

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「ただいま戻りました!」
 戸口が引き開けられると同時に、赤碕の大声が駐在所に響いた。
「お…おかえり」
 まさに目の鼻の先で赤碕の大声を聞かされた蜂須賀は、さすがに顔をしかめるしかなかった。

 *

「それで、そちらの女性は?」
 赤碕が戻ってきたことで、蜂須賀は幻燈館へ向かうのを延期していた。
 四人の男女が囲炉裏を囲んで座っていた。囲炉裏を挟んで、蜂須賀の正面には赤碕が、右側には皆川が、それぞれ座っている。そして、蜂須賀の左側には女性が静かに座していた。
 年は二十歳前後。秀でた容姿でもなく、外見には特筆するような特徴がない。しかし、彼女の目には光がある。見る人が見たならば、強い意思を持って勤勉に励む女性であることが分かるだろう。当然、蜂須賀はそのことを見抜いている。
「坂上蛍さんです」
 赤碕はなぜか恥ずかしげに紹介した。
「坂上蛍と申します」
 坂上は崩していた足をきちんと正し、両手を突いて挨拶した。
「失礼ですが、どちらが蜂須賀さんですか?」
 顔を上げた坂上は、蜂須賀と皆川を交互に見やりながら返事を待つ。
「そちらの方が蜂須賀さんだよ」と赤碕。
 坂上は、やはりそうでしたか、と言って蜂須賀と目を合わせた。
「君は村の者ではないのか」
 蜂須賀は、赤碕や皆川とは明らかに異なる彼女の語調が、訛りの少ない帝都近辺で聞き慣れたものであることに気が付いていた。
 この九利壬津村で帝都近辺の住人と同じ話し方をする人物を、蜂須賀は奇咲蝶子の他に知らない。奇咲蝶子に帝都近辺で使われる話し言葉を教わった幻燈館の奉公人と考えることもできるが、もし幻燈館の関係者であれば、名乗った際にそうであることを告げていただろう。九条を絶対とするこの村において、幻燈館の関係者であることを隠す理由は何もないのだから。
 となれば、自分と同じく村の外から来た者である、という考えに行き着く。
 尤も、蜂須賀は意識して考えた末に導き出したのではない。極自然に、普段の会話や行動から判断しているのだ。
「はい。帝国大学で民俗学を学んでいます」
「帝国大の学生か。ここへは花明を訪ねてきたのかな?」
「そうです。論文についてご助言を頂きたくて」
「それがこうしてここにいるということは、花明には会えなかったのか」
「はい。暗くなるし、お腹は空くし、泊まる場所もない。とにかくすごく困っていたところ、こちらの駐在さんに声を掛けてもらって」
「幻燈館で、蜂須賀さんがその先生とお知りあいだと伺いましたので」
 赤碕はそう言って少し誇らしげに胸を張った。だが蜂須賀は、そんな赤碕には微塵の興味も見せなかった。
「皆川君。今の話を聞いて、何か気付いたことはないか?」
 唐突に話を振られ、皆川は目を丸くする。
 蜂須賀は、そんな皆川に対して何かをすることなく、ゆっくりと話し始めた。
「昼過ぎに幻燈館を訪ねたとき、すでに花明はいなかった。そして、今もまだ幻燈館に戻っていない。そうだな? 赤碕君」
「はい」と神妙に答える赤碕。
「つまり花明は、事件の発生前から現在に至るまで、消息が掴めていないということだ」
 皆川が、あ、と声を発して息を呑み、それから赤碕と目線をあわせてともに頷いた。
「それってどういうこと!?」
 次の瞬間、不意に張り上げられたその声は、坂上のものだった。
「事件って何ですか!? 消息が掴めないから何だって言うんですか! そんなまるで花明先生が犯人みたいな言い方っ!」
 坂上は、誰に詰め寄るということもなく、全員に対して抗議する。
「重要参考人として捜索するとのことです」
 おずおずとそう告げた赤碕に、蜂須賀は、分かった、とだけ返した。
 それから、食事にしましょう、という提案が出されるまでの数分間、四人は重たい沈黙の時間を共有することになった。
「外の空気を吸ってくる」
 駐在所を出た蜂須賀は、目を閉じて思いに耽った。
 それは反省だ。一般人の前で事件に関することを話してしまったことは、蜂須賀にとって痛恨の失態であったのだ。
 なぜそんなことをしてしまったのか、蜂須賀はそれを考えている。
 ふと遠くに見える幻燈館を仰ぎ見る。
 闇に溶け込んだ幻燈館。窓から漏れでた光が、黒塗りの壁をほのかに浮かび上がらせ、闇と黒とは別物であることを示している。しかし、両者の境界は酷く曖昧だ。
 感受性が豊かな人物であれば、この光景に何かを思いもしただろう。だが蜂須賀には二の次のこと。
「あいつに限って……か」
 花明が犯人であるはずがない。蜂須賀はそう考えた。何の確証もなく、ただ花明栄助という男が殺人を犯すはずがないという自身が抱く心証を拠り所として、そう考えた。
 自己矛盾が失態を招いたことは、すぐに気付いていた。考えるまでもなかった。それを受け入れて改善するために、一人の時間を必要とすることも分かっていた。
 原因の分析とその対処行動。いずれも正常だ。だからこそ考える。なぜあんな失態を、と。
 蜂須賀が分からないでいるのは、自己矛盾に陥った原因だ。
「あの、少しいいですか?」
 坂上は戸口から顔だけを出している。
「あぁ、構わない」
 坂上は、星明りでも分かるほどに表情を明るくして、それでもそろりそろりと歩いて、蜂須賀の隣に立った。
「大声出してすみませんでした」
「気にすることはない。こちらも配慮がなかった」
「いえ、本当にすみませんでした」
「取り乱す気持ちは分からなくもない。だが、警察官とはそういうものだということも理解してほしい」
「知人も疑わないといけないって、辛いですよね」
「辛いばかりではない。自分の手で決着を付けられるのであれば、少なからず納得できるだろう。たとえ望まない結果であったとしても、な」
「あの……花明先生が犯人なのでしょうか……」
「それを調べるのが警察の仕事だ」
 調べることができるのは特権と言ってもいい。だが蜂須賀はそれを口にはしなかった。
「お役に立てること、ありませんか?」
「気持ちはありがたいが、民間人である君に捜査協力を頼むことはない」
「私……花明先生のことが好きなんです!」
「ふむ。本人に言ってはどうかな?」
「言えたらこんなところまで追いかけて来ません!」
「なるほど。論文の助言というのは口実か」
「確かにそれは嘘です。本当は、花明先生のお手伝いに来たんです」
「手伝い?」
「花明先生は、この村の伝承について研究していました。その研究を終わらせることができるって、論文を完成させられるって喜んでいたんです。だから……だから! 先生が殺人なんてするはずがないんです!」
「するはずがない、は無実の証明にはならない」
「じゃあ! 花明先生が研究のために人を殺したとでも!?」
「その疑いがある、というのが現状だ」
 蜂須賀はあくまでも冷静に事実のみを述べ続けた。
「…あ、また大声を……」
「気にすることはない。そろそろ戻ろうか」

 *

 囲炉裏に吊るされた大鍋の中で、ぶつ切りにされた大根がふつふつと揺れていた。
 大根の他には、白菜や人参、水菜などの野菜類が同じ鍋で煮込まれている。
「署長から頂きまして。お二人はお肉は大丈夫ですか? 菜食主義だとか、そういうのはありませんよね?」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近