カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅴ
初めから叶わないと決まっている夢を六年以上も懸命に追い続け、自分には可能性がないと分かった時、夢に向かって歩き出す者たちを見ながら、自分ひとりだけその場から離脱しなければならなかった時、日垣青年は何を思っていたのだろう。
日垣と並んで夜の街を眺めながら、美紗は静かに泣いた。昼間のぬくもりをわずかに残す穏やかな風が、日垣の大きなトレンチコートの裾を、美紗の肩にかかる黒髪を、静かに揺らしていった。
「パイロットになれないと分かったら、なんだか気が抜けてしまって……。その後、要撃管制(防空専用の航空管制)の職に就いたが、戦闘機乗りを地上から見上げるのは、やはり辛くて、数年で辞めたくなった。それをそのまま当時の上官に言ったら、ここに連れてこられて、辞める前に飛行機以外の世界を一つだけ経験していけと言われたんだ。その時にすすめられたのが今の情報職、というわけ」
日垣は、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて、美紗のほうに顔を向けた。
「やってみれば、この仕事もなかなか面白くなってね。なんだかんだ言っても、結局、運はいい方だったと思っている。たくさんの素晴らしい人間に出会えたし、……君にも会えた」
大きな手が、美紗の目に光るものを、そっと拭った。
「君は……、優しいね。私は、自分の歩んできた道には満足している。でも、君が昔の私をそんなふうに想ってくれるなんて、望外の幸せだ。ありがとう」
もう一方の手が、ごく自然に、美紗の髪をそっと撫でた。
「日垣様。いつものお席、ご用意できましたよ」
バーの店員が屋上に呼びに来た。美紗は、アルコールが入る前から、何となく体がふわふわするのを感じながら、日垣の後についてビルの中に入った。
「そうだ、前から言おうと思っていたんだけど、職場の外にいる時は、普通に呼んでもらえるかな。階級付きで呼ばれると、街中ではどうも悪目立ちする気がするから」
「普通…って、どんな呼び方ですか」
防衛省以外で働いたことのない美紗には、どうもピンとこなかった。
「部員の宮崎さんみたいに、『さん付け』がいいかな」
美紗は、口の中で「日垣さん」と呟いてみた。とても奇妙な感じがした。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅴ 作家名:弦巻 耀