睡蓮の書 四、知の章
上・兄と弟・2、兄の背
南の神殿の入り口から、ケオルは森に目を馳せる。
兄は部屋にはいなかった。おそらく森にいるのだろう。狭い神殿内は一通り見て歩いたが、やはり姿が見えなかった。
息をつく。森に立ち入る気にはなれなかった。これまで森の中で、兄を探し出せたことなど一度もない。兄だけではない、ここで人を探すのは容易ではない。
(いつ、戻るだろうかな)
ここへ来たのは、先刻の戸惑いの理由に思い当たったからだった。
シエンと話したとき、自分の父が、同時にキレスの父であるのだと、改めてそう認識したことで、わずかに覚えた戸惑い。
キレスとは、ずっとあの地下の部屋で一緒だった。兄弟ふたり、そして、母。その三人だけの空間。幼いころは、それだけが、自分の世界だった。父はめったに顔を見せることがなかったために、あまりキレスと共有している気がしなかったのだ。
兄については、特に、それを強く感じる。
自分だけの兄であったのが、キレスの兄でもあるということ。それを考えるとき、なぜだか、両親について思うときとは明らかに違う戸惑い、ざわざわとした落ち着かない思いが湧き上がるのだ。
理由はいくらか、分かっていた。
幼い頃、ケオルが兄の存在を意識するようになったのは、あの部屋を出てからだった。いなくなればよいのだと叫んで、自分の世界からキレスを、母を切り離し、無関係だと線を引いた、その後だった。
閉鎖的な、狭い世界。それ一つきりだった世界を自ら抜け出、そのときケオルは、一人ぼっちになってしまったと思った。もう、誰もいないのだと、そう思っていた。
だから兄の存在は、驚きであったし、慰めであった。
自ら線を引き、切り捨ててきたというのに、慰めとはおかしなことだ。けれど事実、大きく煽られ収まりのつかなかった感情が、そのとき、ずいぶんと凪いだように感じたのだった。
そのときはまだ、兄がどういった存在であるのか、はっきりとは分かっていなかった。ただ自分はひとりぼっちではないと、そう思わせる存在であり、またそれは、大人ではないが自分と近くもない他者として、興味の対象でもあった。
あの頃から、兄はちっとも変わらない。まるで一人別世界にいるように、弟であるキレスが同じ――大して広いともいえない――家の中であれほど騒ぎを起こしても、反応を見せることはなかった。いつも書物を開いて、誰とも親しもうとしない。その鋭く射抜くような眼は、人を遠ざけるためにあるようだった。
無関心な態度。それは自分と兄との距離を無言で示しているようだった。声をかけても反応が返らない。ただ、返事がないことは母で慣れ、多少の不満はあっても違和感はなかった。それよりも、本当にひとりぼっちではないという事実のほうが、大事だったのだろう。またその態度は、キレスと母の騒動に関知しなくて済む唯一の方法であるように思われ、真似ができればとさえ考えていた。
そこは、すっかり安らげる場所とはいえなかったが、少なくともキレスのいるあの空間の緊迫感、何が起こるかわからないと常に気を張っていなければならない状態に比べれば、ずいぶんと平穏だった。
その兄への認識を変えさせたのは、父の態度だった。
月に一度家に戻る父の、兄に対する態度は、自分たちに対するものと明らかに違っていた。それは親と子というより、人と人として言葉が交わされているように見えた。その言葉の端々から、兄に寄せている期待の大きさというものが知れた。大人とほぼ同等に扱われる兄に、初めて憧れという思いを知った。
それからだった。ケオルは態度だけでなく、兄のやっていることは何でも真似しようとした。あまり乗り気でなかった書写もまじめにこなし、暗唱も率先してやった。猿真似同然であった、と今では思う。やっていることの意味など、考えてはいなかった。ただ兄のようになりたかった。
あるとき、学校で個別に与えられた宿題が、ケオルにとって相当の難問で、ずいぶん頭を悩ませたことがあった。これまでのように、書き取りや読み取りの訓練などというものでなく、それは問答のようで、与えられた文の後に続く「べき」文を記すよう指示されていた。そこには何のヒントも読み取れず、ケオルは途方にくれていた。
今にして思えば、当時の知属神のひとりである教師が、彼らの長となった人物の息子がどれほどのものか、一度試してやろうといった気持ちだったのかもしれない。しかし兄の態度をただ真似るだけのケオルに、深い思考力が身についていたわけではなかった。そうした思惑にも、自身の至らなさにも気づくことなく、当時はただ与えられた――下部を欠いた未完の――文を、声にすることしかできなかった。何度も何度も、繰り返し。
そのときだった。ケオルは初めて兄が、自分に対して、言葉を発するのを聞いた。
「え?」唐突すぎて、それが自分に向けられたものだと、すぐには分からなかった。「今、なんて言ったの?」
恐る恐る訊ねたとき、兄はやっとその目を、一度だけこちらに向け、ある書の存在を、棚の位置を示しながら知らせた。
ケオルは言われるがまま書を探し、手に取る。見たこともない書。幼い子供にとっては、長く難解で、意味などつかみようもない。けれど、途方にくれかけたとき、ケオルは気づいた。書の中ごろに、問題とよく似た文が繰り返し、一部を変えながら記されていた。直接の答えはなかったが、それは解答に繋がるヒントとなるものだと、わかった。
――嬉しかった。
ヒントを得られたことよりも、初めて兄の関心を引けたことが、嬉しかった。
求めても返らない。最も身近な存在であった母が、あの頃はずっとそんな調子だったから。幼いながらも、ケオルにはその理由がちゃんと分かっていた。母の関心は、常にキレスに向けられており、向けざるを得ず、また、母はそれで精一杯だったのだ。分ける余裕など、なかったのだと。
手に入れたくても叶わないと、諦めかけていたそれを、兄から得られると、知った。
そのことが、どれだけ自分を支えてきたか知れない。
一方的な干渉ではない。こちらの意図を正しく汲まれ、それに応じられること。
そしてその軸が、決してぶれることがないということ。
他の何もかもが変わっていっても、兄だけは変わらない。――それが、兄に強く信頼を寄せる理由となっていた。
実際、あのとき反応を得たのも、兄が変わったからではないのだと、すぐに気づいた。ちょっとした声かけ、挨拶や雑談などに、変わらず応じなかったからだ。兄は、何か勉学に関することを訊ねたとき、ただそれに答えるというだけなのだ。
得るためにはどうすればいいかを、必死で考えた。これと思えば何でも兄に訊ねるようになった。ときには、ただ関心を引きたいがために、分かっていることでも訊ねようとした。けれど兄は、そうしたことを簡単に見抜いてしまう。あまりに表面的なことを聞くと、それも相手にされなかった。代わりに、考えに考えた末訊ねた事柄には、確実に応えがあった。
揺らぐことのない姿勢。甘えや妥協は許されないが、自ら深く探ればそれだけ、多くの言葉を引き出せる。ケオルはそうした兄の態度から、勉学の姿勢というものを養ってきた。
作品名:睡蓮の書 四、知の章 作家名:文目ゆうき