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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

INDEX|46ページ/48ページ|

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 こんなことがあってよいのか。まるで望んでいたようではないか。彼の死、この結末を。
 自分自身が信じられないと思った。自然に抱いた感覚を、自分自身で本当に嫌悪したのは、これが初めてだった。
 こんなことは到底受け入れられない。赦されるはずがない……キレスは苦々しげに目を閉じる。
(……あの時の――)
 今はっきりとわかった。ドゥアトのあの大樹の下でケオルが手渡したもの、それは、自分が欠いていた小さな「かけら」。
(こ、んな……)
 彼が返すと言ったのは、自分がそれを戻すことを、望んでいたからなのか?
 自分はそれを、ほんとうに望んでいたのか? 失ったことを悔やみはした、けれど……。
 "――逃れられない、この性質"
 そのとき眼裏の闇から染み出すように湧いた言葉。途端にさっと冷めゆく胸のうち。
 キレスは自身の内に何度も繰り返したそれを、今また飲み下した。
「……分かっていたことじゃないか」
 肺が黒々と染まり、低く声が漏れる。
 そうだ、分かっていたはずだ。決まりきったこと、当然の結果だ。
 生きていく限り、決して引き離すことのできない己の本質。これを負い続けるほかないのだ。
 なくしてしまうなんて幻想だ。逃れられはしない、決して。
 キレスはだらりと腕を下げ、彼の兄弟を無感情な目で見下ろすと、言った。
「分かってただろ、お前も」
 
      *

 月が欠けてゆく。
 千年前のホルアクティの封は解かれ、南の中庭にはラアが一人残る。彼はヤナセらが作り出した結界の中で、眠るようにあった。その傍らにはカムアがひとり付き添っている。彼自身が言った通り、目覚めるまでもう数日かかるだろう。
 シエンも、日が昇る頃にようやく役を解かれたが、彼の神殿に帰ろうとはしなかった。中央での出来事を考えれば、できるだけ早く戻ったほうがよいとは思った。しかし彼の友人を弔う時間がほしかった。 しかしその日、キレスが葬儀を行うことはなかった。
 静かに夜が更けた。月が雲に隠され、その光は幽かに漏れるばかりだった。
「やはり同じものであるのだな、お前たちは」
 森の奥、柳の下に立つ人物に、ジョセフィールが声をかけた。
「そのように互いに交わる様子が見られるとはな」
 口元に浮かべる微笑がいつもより柔らかなのは、それが彼と歩みを同じくする旧来の友に向けられたものであったからか。
 フチアは黙って樹を見上げた。彼らのよく知るその原木に比べ、ずいぶんと若く悠々と広げられたその枝ぶり。
「お前が求めたのであれば、その通りになるだろう」
 それがウシルの臣たる我々の性質であるのだから。フチアがそう答えると、ジョセフィールはその瞳に僅かに影を落とした。
「そうだ。わたしは確かに、変化を望んだ。お前たちの間に揺らぐものを、互いに交わるものを持てればよいと、そう望んだ。そうして事実、そのとおりとなった」
 だが、と彼は言う。「そのために、お前たちをずいぶんと苦しめたようだ」
 一つの身に二つの相反する「真」をもつ叡智神ヘジュウル。二つの真はまさに双頭の獅子のごとく、背合わせで分かちがたい。それぞれ同じ場所にありながら、一方が未来を、他方が過去を見ている。
 未来を見るもの、キポルオはよく揺らぎ迷った。彼のまなざしは人に向けられ、その心によく寄り添うために。事実がどうあろうと、それが人の心を無闇に揺るがすものであるなら当然隠されるべきと考える。受け取るものの心を守るために事実を曲げることもいとわない。
 しかしフチアはそれを決して認めはしなかった。事実は事実であり、それを受け取るものがどう捉えようが問題ではない。その結果選択を誤ることがあっても、必然であるとそれを是とする。過去を鑑み指し示された道をただ進み、選択されないものはただ切り捨てられる。多くの心が伴わなくとも、状況がそれを示せば当然そうなるべきと彼は考えた。それをキポルオは、どうにか納得できる道へ向かわせようと腐心するのだ。
「お前たちが本当にひとつになることはあるまいよ。それもまた私の望みであるのだろう」
 相容れない「真」を掲げながら、ただひとつ、主ウシルの「望み」こそが共有する柱となった。それは彼らの「背骨」であった。ヘジュウルの二面性はまさに天秤の両皿であり、その中心軸はウシルである。ウシルはその錘の位置を思うまま定めるのだ。
 二つが激しく拮抗するさまを、ウシルは好意的に眺めた。その揺れこそが生の証なのだと彼はいう。変化は地上に生きるものの特権である。時の流れることのない冥府の玉座にある彼は何よりそれをよく知っている。
「つまり争いはわたしの本質かもしれん。衝突し変化するさまを望むのは、混沌へと帰さんとするためかな」
 ジョセフィールが言う。この戦の「終結」のためこの世に仮現する事になったとき、月をフチアに、聖樹と聖鳥をキポルオにとそれぞれあてがったのも、この本質の故であるのだろうと。
 果たして両者の破綻は明らかだった。
 例外的に開いた「門」を、閉じさせる役を負うべき「大地の剣」の主。キポルオはそれのごく近くにあり、しかしそれに心を傾けすぎたために、彼の役について――その代々の願いを、父の思いを振り切る形で――自覚させることができなかった。切り捨ててでも選び取る、そうした厳しさを欠いていた。
 そして月の場合はまるで逆に、守るべきとされた月それ自体が脅威となった。自死へと向いたその意識を、フチアはどうすることもできなかった。初めの計画をとりやめ、記憶を取り出すことで「ハピ」の目覚めを促し、同時に月の命を守る、そうした強引な方法に転換するほかなかった。
(あれは俺の過誤だった)
 それは過ちをも是とするフチアが唯一悔恨を覚えたことであった。
 キレスが千年前の月の姫と違うのは、外界を知り、その差を認識できるということだった。そのため些細なことに過剰に不安を覚え、受け入れを拒み閉じていた。未熟な自我が映し出す世界はなにもかもが歪んで見え、それこそが彼にとっての真実となっていたのだ。
 虚偽の世界に生き、それに翻弄され引き起こす歪み。それを、矮小なことと切り捨ててきたのはフチア自身である。しかしこの時これを切り捨てることは、ウシルの命に背くことになるのだった。
 閉じた個の「世界」には、彼らの支配する「言葉」がそのまま通りはしない。それを開かせ、世界を通じさせるために、キポルオは言葉を用いようとしてきた。世界を定義し動かす以外に言葉を用いるその意味が、愚かにもこのときようやく知れたのだった。
 キレスの存在はフチアにとってひとつの楔である。自身の決断を揺るがし、より確かな理《マアト》へと近づくため、その身に打たれた懐疑の芽。
 彼の姿を目にするたび、楔はより深く打ち込まれる。それが自身への戒めになるのだった。
「此度の月は、ただ守られるだけではなかったな。いや、まったく、やってくれる」
 かけらが戻された今、初めて明るみになったその企て。ジョセフィールはまるで幼子の成長を喜ぶように目を細めた。