睡蓮の書 四、知の章
上・兄と弟・1、同じでない
「まったく、損な役回りだ」
北の輝神、プタハは自室へ向かいながら誰にともなく愚痴をこぼした。
以前も主神の命で、大地神セトを人間界から連れ戻したが、このたびは一筋縄ではいかなかった。プタハは自身の腕の状態を確認するように、そこに触れる。
つい先刻まで、彼の片腕は凍りつき、壊死した状態だった。彼らが主、生命神ドサムの力で、今はすっかりもとの通りだが、違和感はある。慣れるまでしばらくかかりそうだ。
その原因について問うものは居まい。物質を凍らせる力を持つのは唯一、水属の長だけである。――そう、生命神が側近の一人、水神デヌタである。
敵の炎神と対峙したデヌタは、その怒りに比例してすさまじい凍気を放っていた。四大神同士の争いは周囲へ甚大な影響を及ぼす。プタハはネイトに忠告したように、彼自身も巻き込まれぬようその場を離れようとした。
そのとき、彼らが主神ドサム・ハピより命が下された。直ちに戻り、神々全てを召集するようにと。
プタハに聞こえたそれが、同じ側近であるデヌタに届けられなかったはずはない。しかし彼はいつもの彼ではなかった。まるで我を忘れたかのように敵を映し、攻撃を休む様子がない。プタハも一度は、それを放置し一人戻ろうとしたが、主神がそれを許さなかった。共に戻るようにと強く言い渡され、――結果この負傷である。プタハは自嘲気味に笑った。
神々の前で、主神ドサム・ハピは、これまでの彼自身の言葉を翻した。
「月」を追うことを禁ずる――その言葉に神々は戸惑い、異論を述べたものもあった。月が、あの力が太陽神に渡ることは、戦で大きな不利益となるのではと。
しかしドサムはきっぱりと言った。時を待たねばならない、と。
彼の、ケセルイムハトの瞳が示すとおりに、戦の「確かな」終結、それを求めるのであれば。
過去繰り返してきたように、太陽神を討ったのち、再び別の存在が太陽神の名を得るような、そうした悪しき循環を断ち切りたいと願うのならば。
今は、月を求めてはならない、と――。
(無駄な犠牲……か)
ほんの数刻のうちに払われた犠牲。主神ドサム・ハピはいつものように、それらを再生者として蘇らせると、早々に神々を解散させた。プタハ自身もこうしてその場を後にしたが、棒のように立つ再生者らとともに、水神デヌタはその場に残っていたようだった。――終始、気味悪いほどの無言で。
(いまだ怒り冷めやらず、といったところか)
最愛の妹をあのような形で「確実に」殺されたうえ、生者であった知神レル――彼がもうひとりの妹のように可愛がっていた――を失ったのだ、無理もあるまい。
一方、主神ドサム・ハピの様子は、いつもの通りに戻ったようだった。この神殿にあり、彼の下に集う全ての神々と、その未来のために、犠牲を省みず目的に邁進するその姿は、月へ激しい執着を向けていた彼とはまるで違う。
思えば、まるで千年前の「生命神ハピ」にとり憑かれていたようではないか。そう、おそらく、あの宝珠のために。
あの宝珠は、戦を終結させるために不可欠であり、その完成に、月が必要であると、そう聞いたはずだ。しかし……それは、宝珠とともに封じられ、蘇った千年前の「ハピ」個人の意思であったのかもしれない。愛する妹姫を、手に入れるために――。
しかし、そもそもは「月」のあの得体の知れない、強力な――事実、プタハ自身とデヌタの力をもってしても、破ることのできなかった――力を、太陽神側に与えるべきでないと、そうした理由であったはずだ。放置することは、危険ではないのか。
――いや、生命神ドサムは“時を待て”と言ったのだ。つまり、“いずれは”手に入れるつもりだということだろう。
(……まあ、いい。そんなことよりも)
プタハは足を止めた。ふ、と笑いがこみ上げる。
(火属の長の称号が、ついに、我がものになる)
先代の老神メリトゥがその汚い腕でしがみつき離そうとしなかったこの地位が、やっと。
(太陽神らに、感謝せねばなるまい)
炎神マヘス=ペテハ。この称号を得ることは、運命であるのだと、彼は考える。彼の固有の名が、火属の大いなる長の二つの名のうち一つと、同じ響きを持つために。
生命神の神性が戻され、王権が正当にその御許に戻されるのと同様に、プタハ自身もまた、その名を火属の長のそれと重ねる――それが、あるべき形というものだ。
デヌタと対峙していたあの、太陽神側の炎神――その力を示さずとも、開かれた瞳に灯る炎の色。それが、自身のものとなるのだ。その名と共に、力を手に入れ、そして――あの炎神と対峙する時。いったい、どちらの力がより勝るだろうか。
(そう、もうすぐだ――)
*
ドサムは水晶で閉じられた睡蓮の傍らに座り、竪琴を爪弾いていた。
ただ独りで。そこにある睡蓮を慰めるために、いや、自身の心の平穏を保つために。
――月を手中にすることは、今は、叶わない。
そうだ、そうなのだ。彼は……いや、彼ら北神は皆、初代のハピの“奪われた”神性を蘇らせ、太陽神を滅ぼすことで、千年続くこの戦を終結させようと考えていた。そうすることによって、彼らの望む理《ことわり》が実現されるのだと、そう考えていたのだ。
なぜ、戦が繰り返されるのか。それは、ハピがその神性の根源を封じられていたため……つまり不完全な神性であるため、生命神ハピが王とみなされることがなかったのだと――そう信じられてきた。
しかし、事実は、そうではない。
封印が意味するものは、神性の「欠け」ではなかったのだ。
ドサムは知る。初代の生命神ハピと共に、弟・太陽神ホルアクティの魂も、封じられていたのだと。
そして、そのことこそが、この戦を繰り返させてきたのだ、と。
ドゥアトへの封印は欠けではなく、その逆に、変化なく保たれることを、意味していた。
生命神の神性。それは、「どこまでも繋がりゆく時」。その象徴である唯一の大河の流れのごとく、途切れることなく流れ続けるもの。時の「永続」である。
対して太陽神の神性とは、「いつまでも繰り返す時」。その象徴である太陽のごとく、昇りまた沈むことを繰り返すもの。時の「循環」。
何度太陽神を、その血筋を絶やしたところで、再び現れた新たな太陽神。しかしそれは、生命神とて同じであった。そしてまた、保たれてきた両の神性、つまり「永続し」「循環する」時、それこそが、現状を保持し、戦を繰り返させてきたのだ。
千年繰り返される戦。それは、ハピとホルアクティ兄弟の争いを、幾度も再現するのと同じに。
しかし――今、月が変化を求めた。このままであってはならないのだと。
月の意志は、守られている。今を生きる「月神」の意思を超え、それは約束されたものの手で、確実に。
その意志が、戦を終結へと導くものであるのなら、尊重しない理由などない。それどころか、ドサム自身の目的のためにも、それは必要不可欠である。
保持された現状、続く戦、それらを、断ち切るために――、
千年前のホルアクティの意思を、蘇らせねばならないのだ。
作品名:睡蓮の書 四、知の章 作家名:文目ゆうき