睡蓮の書 四、知の章
……二神の魂を喰らった魂、『鳥』。あれは、元はあんな赤い色をしてはいなかったんだろう。今、ブドウが取り出され、イチジクのみを内包しているために、赤い」
以前“二色”が宿っていた頃、それは赤と青をあわせた色であったろう。月の瞳と同じ、紫の色。
けれどそれは“月”ではない。その正体は、第4節一行目にはっきりと示されているのだ。
「その鳥は“王の魂”」ケオルは淡々と続ける。「地上では、幾人もの太陽神が王座に就いてきた。けれど、門――冥府の門、つまり死者の世界の入口――をくぐりゆき、その後もまた王であり続けるものは唯ひとり。
それは地上はじめの王にして、死後は冥界の王となった者。……ウシル神だ」
そう、あの鳥は紛れもなく、冥界《ドゥアト》の王ウシルの、霊魂である。ウシルは死してその魂を再び地上に向かわせ、息子たちの魂を喰らい、それを決して手の届かぬ場所――冥界へと、封じていたのだ。
「その鳥――ウシルの魂《バア》が停まることができる唯一の樹が、この森にある。柳の樹Trt《チェレト》がそれだ」
“地より伸びゆきし腕”。そこに宿る鳥のうちに、二人の息子、ハピとホルアクティの魂を“孕(はら)”む、その樹。
それはいったい何か。
第2節
古の「四」の主、王を喰らい
その支えの心臓を断ち割かん
王、その肉体をして門となし、
その左右に支えを得ん
「“その肉体をして門となし”――この門tiry《ティリ》が、柳Trt《チェレト》の語呂合わせであると考えれば、
“その肉体をして柳となし”――これもまた、真であるといえる」
つまりあの柳は、ウシル神の肉体の顕現なのである。
赤い鳥、ウシルの魂が宿る場所は、同じウシルの肉体である。……そうだ、当然そうなのだ。
「柳の樹と、赤い鳥。――ウシルの肉体が、今その魂と共に、この世に現れているということ――」
ゆっくりと、一言ずつをかみ締めるように、ケオルは言う。それが意味するところを、自分の内で再び確かにするように。
そして一度すっと息を吸うと、続けた。
「この第2節は、ウシルがこの世を発ち、冥界へと下った様子、そして『冥府の門』の成り立ちを表したものと考えられる。
一行目、“古の「四」の主”は、おそらく四属の始まりといわれる四柱の創造主」
四柱の創造主の呼び名は四属の長の称号に付帯される。それぞれトゥム、ケネムウ、ペテハ、アムンと。
「それらがウシルを『喰ら』った。第4節にあるとおり、食らわれ呑み込まれたものは、その存在を現世から隠すことになるはずだ。続く“心臓を断ち割”く、との表現は暴力的で、あわせて『死』を表現しているだろうと推測される」
ウシルの死。またその肉体が「門」となり、この世とあの世の境に置かれたこと。
「では、ここに繰り返し表れる『支え』とは、何か――」
ケオルは一度そこで言葉を切った。無意識に呼吸が浅くなり、息苦しさを覚えたために。
門となったウシルの肉体。
その左右に置かれた「支え」。
門に支えがあることに、特別な意味などないように思える。門という言葉が指し示すものが、ある境界の内外をつなぐ場所であるとすれば、その範囲を限るものが、当然あるはずだ。
「前半の部分を素直に読めば、この『支え』は王ウシルにとっての『支え』である」
王ウシルの、二つの「支え」。それは、
「二人の妻だろうか」
長男ハピの母と、次男ホルアクティの母。
「けれどホルアクティの母はウシルの死後も生き続けている。“心臓を断ち割か”れたという表現に当てはまらない」
では、他に何があるというのか。
二人の息子だろうか。――いいや、それも違う。
「王ウシルには、より『支え』と呼ぶにふさわしい者が、他に存在したはずだ」
そう、たとえば現王ラア・ホルアクティの、補佐のような。
王と補佐。常に傍にあり、その存在を支えるもの。……ひとつの図像が、いまケオルの脳裏にはっきりと浮かべられていた。言葉に成らざる、意識の底深く、その根にあたるところに。
「それはウシルの死と同時にこの世を去ったと言われる者」
ケオルは声色を沈める。そうして刻み付けるようにゆっくりと、しかし明瞭に言葉をつむいだ。
「ウシルと同じ時代を生きたという……知属の祖、叡智神ヘジュウル」
彼らが親しくあったなど、どの書物にも記されてはいない。根拠は、彼の意識の奥深くに刻まれている。――知神としてこのように曖昧なものを芯に論ずることは、恥ずべきことかもしれない。それでも……いや、実際にはどのような理論も、自身の感覚こそがその芯を成すものだ。それを深く信じる心が、その道をまっすぐに指し示す。言葉はそれをたどるために、ただ選ばれるのだ。
「……不思議に、思っていたんだ……ずっと」
ケオルはふっと、まるで独り言のように言葉を漏らした。
「ヘジュウルは、外套のように身を覆う髪が、その名の通り銀《ヘジュ》色であったと――それはどの文献にも共通して描写されている。けれど、その性格についての描写は、矛盾だらけだった。あまりに正反対のことが書かれている。まるで――
……そう。二人、存在していたかのように」
しかし、どの描写も常に、一人称で書かれているのだ。そうした矛盾のために、ヘジュウルとは、ただの伝説か作り話だと考えるものもあった。ウシルの知力を、人に喩えて表現しているのだと考えるものもあった。しかし……、
「“心臓を断ち割”くとの表現が、言い伝えどおりヘジュウル自身の死を示していたとして、その死が言葉通り、一つの存在をちょうど二つに『断ち割った』のだとしたら。
そうして死後は二つとなり、ウシルを左右から『支え』るものとなったのだとしたら……」
門の左右となるもの。二つに分かたれた同じもの。
「異界を隔てる“双門rwty《ルウティ》”となった、叡智神――“知るrkh《レク》”者。それは“背合わせに座する獅子rwty《ルウティ》”として、第51節に現れる」
ついに、ここにたどり着いた。
脳裏に行き交っていた多くの言葉が吐き出され、今は、ただひとつのイメージが残るのみ。
「語呂合わせによって強調された事実が指し示すもの、それは――」
そこを定めれば、後はするすると紐解かれてゆく。それは必然の一本道であった。
“双頭の獅子rwty《ルウティ》”がその背に掲げるものは、“恵み満ち行く果てに、座するもの”……この世を限る大河の流れ、その果てに、座するもの。
“知る-双者rkh-wy《レクウィ》”に「支え」られ、それは太陽のごとく、冥き地より再びこの世に出で来たるもの。
「それは……、冥王ウシル。その再生」
魂と肉体を以ってこの世に再生させているのだと。
ケオルは黙したまま向けられたフチアの、あの紅い瞳を、まっすぐに捉えて言った。
「はじめの王ウシル。その性質を称えて曰く、“ひとり自ら現れ出でるもの、言語と知性の創造主”」
まばたきもせず、喰らいついて離さないというように――そうして、微かな動きをも逃すまいとするように。
「khpr《ケペル》wa《ウァ》 Ds.f《ジョセフ》, ir《イル》 Hw《フゥ》siA《シア》……」
作品名:睡蓮の書 四、知の章 作家名:文目ゆうき