睡蓮の書 四、知の章
中・知ること・2、ルウティ・レクウィ
翌日の夕刻。
キレスはふたたび、南の森に現れた。
ひとりだった。そうして、あの樹のそばに立つと、垂れ下がる枝をくぐらず、ぼんやりとただ目に映していた。
その日の午前――いつものように部屋を訪れたキレスに、ケオルは言った。「考えたいことがあるから、ひとりにしてほしい」と。
拒絶の言葉に煽られた感情が、瞬時に胸のうちを焼き広げた。久々の感覚だった。あの時吐き出した言葉が、今もまだ脳裏をめぐっている。
どうして今日なのかと。明日でいいじゃないか、と。
……ひやりとした夕刻の風が褐色の肌をなでる。キレスはゆっくりと瞬いた。
おもえば昨夕、この森に来た後から、彼の様子はいつもと違っていた。けれどそんなことに思い至る余裕などなかった。自分のことでいっぱいで……いつも、そうだった。
(別に、いいか。もう)
キレスはふっと短く息をつく。
以前とは、何かが変わった。キレス自身もそれを感じていた。拒絶の言葉が、実際には自分を拒絶しているわけではないのだと、落ち着けば理解できる。あの、体の底から勝手に湧き上がる黒々とした感情も、以前ほど急激に膨らむことがない。
抑えているのとは違う。それは、相手を許すということ。自分の望まぬ反応に、それでもかまわないと納得できるようになること、だった。
それができるのは、今かつてない平穏のうちにあるためかもしれない。
キレスにとっては、日々外界に触れる、それだけのことが、いちいち不快の種だった。些細なことが引っかかり、無意識に抵抗を覚える――不快だらけだ。まるで葦の小舟で大海に出るのと同じ、どこに向かおうとしなくても、そこにあるだけで消耗する。小さな波にも激しく翻弄され、いつ溺れるか分からない。そのたび、黒々としたものが嵩を増す。
不快な感情は怒涛のごとく押し寄せ、消化するすべは唯一、それを力に換えて吐き出すことであった。またそれを抑えようとすれば、耐えがたい苦痛となるのだ。
抑えることの苦痛――抑えよとされることも、自身で抑えねばと思うことも同じ、それを意識すればするほど不快は倍増する。ずっと深いところで、これ以上は無理だと叫び押し返すものがある。それが何か、なぜそうなのか、分からない。ただどうしようもなかった。
それならば、と、キレスは考えた。そうした状況を避ければよい。
(あそこ、けっこう楽だったよな)
周りを見る必要のない、閉じた世界。相手にするのは一人きり――それも、気持ちを揺すられる心配があまりない相手。抑える必要もない相手。一緒にいても、わざわざ意識しなくていい相手。
以前はまるで反対に、それは何より揺すられる存在であった。近さをたしかに感じながら、自分がそれを肯定できなかったから――そんなはずがないと、自ら拒んでいたからだ。
けれど今はなぜだか、自然に受け入れられる。
そこは、小さな池のよう。波立つことなく、ひっそりとそこにある。ときに水面が揺らいでも、すぐにそれは均される。遠くに流される心配もないから、留まろうと踏ん張る必要もない。ただ自然に、浮かんでいればいい。
なにより水の質が、ぴたりと合うような。そういう感じを、他に味わったことがない。心地よかった。
(でもあいつ、ときどきおかしなことを言い出すからな)
ケオルは言った。「月」の特異な性質を、多くに知らせ、理解されるべきだと。
理解だなんて。キレスは思う。理解されないのだと、やっとそれを周囲と、自身にも認め、仕方がないのだと諦め、どうにかやりすごしてきたというのに。そんなことができてしまったら、これまでの自分がなんだったのか分からない。
理解されないもの。たとえばそれは、赤い色への強い執着。
血の色、ほんとうの「赤」。それを目にし、そうと認識すると、意識がそこに強く引き寄せられ、頭の芯が瞬間的に熱される。そうしてぎゅっと視野が絞られると、それまでとらわれていた厭なもの、不快な何もかもを忘れ去り、ただそれだけを求めることができる。そして、押し込められ狭く窮屈だった自身の「場」が、スッと広げられたように感じるのだ。
理屈など知らない。だがそれは確かな“快”である。それはほんとうには人が恐れるようなものではないはずの、心をすくような清々しさに満ちたものだ。ぱっと胸に灯り、染み入るように広がる純粋な喜びの感情。慰めとすら思えるもの。
(お前だって同じだろ、ケオル)
共有する感覚。あの、快い衝撃を、覚えている。
幼少期信じていたように、すっかり同じというわけではないのだろう。けれど、周りのすべてが何もかも違うと思うからこそ、ほんのわずかな欠片でも――外から見えるものではなく、感覚のようなもの、それも、他には誰も持ちえないと思えるものを――確かに共有していると知るだけで、固く絞られていたものがスッと解かれるような心地がする。なんともいえない安堵感を、そこに覚えるのだ。
それは多くが得るものでなく、また、認めるものでもないだろう。同じものを求めれば、彼にもまた、自分しかいないのだ。
(そうだ、お前も、ここから逃れられはしない)
だからこそ、彼には完全に拒絶されることはないと。そう信じ、またそのことが、心を拠らせる理由となるのだった。
……しかしこれは、キレスにとって、それ以上に意味があるものだった。
自分にとって慰めとなるこの色が、他者には恐怖を呼び起こすものである事実――過去はただ不思議でならなかったそれを、今や威嚇のために用い、そうして不快なものを故意に遠ざけることを知った。それによって得られる快感を、知ってしまったのだ。
周囲に満ちる不快の種を、ただ避けたり耐えたりするだけでなく、自分の意思で排除する。押さえつけられてきたものに対し逆転した形勢、その興奮。キレスはそうして、小さな衝撃や違和感を覚えるたび積み上げてきた怒りの感情を、具現化し、昇華してゆく。
憎悪を引き連れ、立ち上がる殺意を抑えることなく解き放つ――その急速な転換が、言い尽くせぬほどの快となった。血が沸くという表現がぴったりなほど、体中がそれに支配される。対象を圧し、踏みつけ、引き裂くことが、確かな悦びとなる。
こうした感覚を知れないことが気の毒だとすら思えるほど、それは強烈な快感をもたらした。あるいはそれを知るからこそ、日常のほとんどが無意味で、退屈で、不快なもののように感じるのかもしれない。
(――分かるわけがない)
無意識、無自覚であった時には、あれほど恐れ遠ざけようとしていたこの感覚が、今は何より求めたい感覚である。どんなに厭おうとも、決して切り離すことができないのだと、心の底では知っていたに違いない。どんな「正しさ」を掲げられようと、自身のまことの感覚を押し曲げることなどできはしないのだ。
今はそれを抑えねばとも思わない。この平穏がそうさせるのか、あまり湧いて出ないようにも思えた……いや、おそらく形を変えて滲み出ているのだろう。それは別の形をとれば、わけもなく心を弾ませ、闊達自由な心持ちにさせるようだった。
(こんなもの、別に、理解なんかされなくていい)
作品名:睡蓮の書 四、知の章 作家名:文目ゆうき