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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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 キレスがあれほど激しい怒りを見せたのも、相手が自分であるからかもしれない。幼少期も彼は、彼にとって最も近いものに対してのみ、特に激しく反応した――それが、母だった。ごく近いものにのみ心を寄せ、それゆえ些細なことが受け流せない。それしかない、だからこそほんの僅かでも引っかかると、すべてが駄目だと感じ、何もかもを覆そうとする激しさを見せる。抑える必要があるとも考えないのだ。感情のままさらけ出してもよい――それだけ、彼の狭い関心の内側に引き入れているということに違いない。
 その近すぎる距離が、必死でしがみついていたものが、少し離れるようになった。そんな感じがする。手を離しても大丈夫なのだと、少々では変わらないと、信じられるようになったのか。また自分も、それを信じさせるくらいには、受け止めてやれているのか。
 求められること。それに、応えうるということ。
 崩れないよう気をつけさえすれば。それを続けることができさえすればいい。それだけを願い、キレスが自室いる日常に慣れ親しむ。
 そうして、ケオルはこれまでどおり彼の仕事に戻っていた。
(……こっちも、うまくいけばいいんだけど)
 机上の、巻き直された書を一瞥する。
(頭の中そればっかり、か)
 たしかに、少し気分転換を図ったほうがいいかもしれない。ケオルは立ち上がると、部屋の外へと向かった。
 池に向かう途中、女性の、威勢のいい声が聞こえてきた。南側にそびえる壁は、中庭の柱廊である。技神カナスは今日も、中庭で基礎鍛錬をしているのだろう。おそらく毎日欠かすことなく。
 ケオルはふと、戦が近いという事実を思い起こした。
(明日はもう、満月だったな)
 ざぶん、と池に浸かる。陽は高い。きらきらと瞬く水面を、ただぼんやりと眺める。
(あと十五日……か。戦までに、「答」、見つけられるかな)
 ここ数日、予言書のはじめの節から注意深く見直そうと考え、すべてをもう一度書写し、訳を確認していた。これまであまり関心を払っていなかった、冥界ドゥアトに関する節――ほとんどが未だ明確な訳を与えられてはいない――も、何かのヒントになりはしないかと思い、欠くことなく写しとった。藁にもすがろうという心地で。
 意味があったかどうか、それはまだ分からない。ただ何か関係が疑われれば、すぐに引き合わせて考えようとしていた。脳内に無数に打たれた情報の点をさまざま繋げ、それらが線となり、形となるものを、探していた。
 その中心にあるのは、第51節のあの箇所だった。
(「ルウティ・レクウィ」……双頭の獅子、知るもの)
 ふたつの「知るもの」――それは、太陽神側と生命神側に分かれた「知神」、ジェフティとセシャトではないか。そうした考えは、以前からあった。父も、解釈の一つとして記している。しかしそうだとすれば、二神によって復活再生するものとはいったい「何」か、それが思い当たらない。そもそも、この二神が協力することがあるだろうか?
 そのほか、二頭の獅子という点で、双頭の神、獅子としても表現されうる地平の主「アケル神」、つまりジョセフィールの称号を表す可能性も考えられた。これは、北の解釈と近い。北がジョセフィールのもつ称号について、これが実現していることを知っているかどうか定かでないが、彼女は「ルウティ《双頭の獅子》」を地平の主アケルと捉え、その次の「明ける地平《アケト》」によってそれが強調されるとしたのだ。
 語呂合わせ――聖なる言葉において重要な手法。だからこそ、その説には確かな説得力があった。北はそれを個人と結びつけはしなかったが、ジョセフィールは確かに、月属の神としていくらか過去を「知って」いるようだ。ありえないとは言えない。
(ただ、ルウティにかかるレクウィが気になる……。知る《rkh》の語尾を、前のルウティに合わせてレクティ《rkhty》とせず、わざわざレクウィ《rkhwy》としたことが、双数であることを強調している感じがする。そうなれば、ここは『二つ』のものを示すはずだ)
 些細なことだが、そこが北の知神の解釈が納得いかない、もうひとつの理由だった。
(そういえば、アケルもルウティも、『大地』ととれるな。……『知る』『大地』と考えたら、どうだろう)
 たとえば、大地の記憶。シエンが西でみつけた古の書。千年前の神々……神王ウシルの二人の妻。争う地属神と火属神。叡智神ヘジュウルの不吉な予言と月の姫。特に、ウシルの息子である、生命神と太陽神。それらについてを、「再び」知る、ということ。
(……いや、それより、最新の52節と絡んで、生命神と太陽神、この二神の「再生」とすれば――)
 つい数日前明らかになった事実。これまでにない視点。これまでに劣らず確からしい説。
(考えてみれば、獅子は力あるもの、王者を象徴する聖獣のひとつじゃないか。ルウティがそれらを示す可能性は、高い)
 頭が快く回転する感覚。ケオルは興奮気味に辺りを見回した。ペンを用意していなかったことが悔やまれる。
 しかし。はた、と思考が止まった。
 最も気がかりだった、双頭の獅子ルウティを説明する「知るもの《レクウィ》」。これについての説明が、一切なされていないではないか。
 これでは、同じだ。ケオルは冷静さを取り戻そうとするように、頭まで水をかぶった。
(可能性、程度だな。決定的なものはない……どれもこれも)
 焦りが募る。さまざまな考えが浮かんでは消され、そうしてぐるぐると同じところをめぐっているようだ。
 こんなことをして何になるのか。そうした思いにとらわれる。
 息をつく。更地になった脳内に、水面へ落ちる雫の音が響く。
 ふと、兄の言葉が思い出された。――ひとは自ら望むことを仮定しがちである。真実を望むことは、その仮定、その望みを、砕くことになりうるのだと。
(北の勝利が予言されたものだという事実を、より確かにするだけかも、しれない)
 ……それでも。と、ケオルは顔を上げた。
 たとえ希望が絶たれても、事実でないことを信じるより、確かなことを知りたい。
 偽りは、省かれるべきであるから――。

      *

 日がずいぶん傾いてきた。
 自室で一息ついたケオルは、シーツの下からきょろきょろとのぞいている目に気づいた。
「ちゃんと眠れたのか?」
 声をかけると、キレスはニヤニヤと笑みを浮かべたまま寝台から降りる。それから大きく伸びをすると、
「いい夢見た」と、満足そうに言った。
 顔を洗いに外に向かう彼を目で送りながら、ケオルはまた予言書のことを考える。
 あの後いろいろ考えてみたが、うまくいかなかった。振り出しに戻ったのか。いったい何が、まずかったのだろう。他に、どんな方法があるだろうか――
「それ、そうやってずーっと考えてたら、答え出んの?」
 いつの間にか戻ったキレスが、肩越しに書を覗き込み、言った。
 ケオルは、何か、言い返そうと思った。――しかしできなかった。彼のその言葉は、あまりにも真実だった。
 そんな動揺をよそに、キレスは勝気な笑みを浮かべると、
「なあ、セネト・ゲームしようぜ。負けたほうが、勝ったほうの言う事を聞くやつ」