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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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中・知ること・1、透明の障壁



「眠れないんだけど」
 寝台の上で、キレスがわめいた。
 ここは、ケオルの部屋で、今は、真昼だ。けれど何も不思議なことはない。近頃ではこれが“普段どおり”である。
 そばで机に向かっていたケオルが顔を向けた。が、
「……眠る、セジェルか。セジェル、奉納。ジェルウ、境界――第4節他……門……」
「お前、またか」
 返事ですらないそれに、キレスは呆れたようすで、
「頭ん中そればっかりじゃねえか。『予言書』? 染まりすぎだろ。何でもそこに持ってくなよ。病気だろ」
 言ったそばから、ケオルはまた「持ってく、イニイ。もたらす……」とつぶやいている。こうなると何を言っても無駄だ。
「だから!」キレスは机上に開かれた書を勝手に巻き直した。「聞けよ、俺の話!」
 ケオルは特にそれを見ていたわけではなかったのだが、キレスの苛立ちが伝わったのだろう、やっと意識を向けて、
「眠れない? でも、お前そういう術もってなかったっけ」
「あるけどさ。ああいうのって、自分にかけても無駄じゃん」
「……暗示をかけるようなものだから?」
「そうそう、そんなかんじ」
 ケオルは唸った。以前からたびたび思っていたが、月属の力と知属の用いる力の一部は、性質は違えど、似たような部分があるのかもしれない。
 そうしてペンで書きつけていると、キレスが怪訝そうに覗き込んで、
「何やってんの。今度は」
「今大事なことを聞いた」
「何が大事なの? お前ほんと、意味わかんね」
「意味が分からないのはお前の術だろ。言葉なくどうやって暗示をかけられるんだ」
「それは、ほら。こう、意識を集中させて、相手を捉えてから、ぼやーっとさせたらさ……ああ、これ伝わんねえかな」
 と、キレスはいそいそとペンを走らせるケオルを見咎め、
「お前! こんなこと書く必要ないだろ、メモ魔か!」
「いや。月属の長『アンプ』であるお前の感覚を、情報として記しておかないと」ケオルは大事なことだと主張した。「千年だぞ、これほど長い間失われていたんだ。月に関することは、なんでも貪欲に記し伝えるべきだ」
「お前さあ……そうやってまた、俺を利用しようとするだろ」
 呆れたようすで言うキレスに、
「お前自身がそれを利用しない手はないじゃないか」
 ケオルが当然のように言い放つ。キレスがぱちぱちと瞬いていると、
「お前だけが知ってる、俺たちは知らない。――啓蒙するんだよ。知られないことは損でしかないだろ。俺たちが知らないために、お前だけが損すること、ないじゃないか」
 ケオルが熱弁することは、いつも意味がよく分からないが、そうなのかと説得させられる雰囲気がある。それでもキレスにとって、今度ばかりは、簡単にうなずけるようなことではなかった。
「……お前くらいだろ、そんなこと思うの」
「そうかもしれない。でも、今は、の話だろ。変わるかもしれない。文字があれば」
 自分が、文字によって情報を得、変わってきたために。ケオルはそうして、誇らしげに笑みを見せる。
「――お前、ほんと好きだよな」するとキレスはふいと目を逸らし、言った。「……兄貴、が、教えてくれたから。だろ」
(!)
 ケオルは思わずはっとした。記憶を戻してから、彼が自ら兄のことを口にするのは、初めてだ。
 兄貴と呼ぶのが、意外だった。意外すぎて、言葉がすっと入ってこなかった。ケオルは自身でも理由のつかない動揺の中にあった。
「そう、だから……」なんとか平静を装い、言葉を返す。「本当は、お前が自分で書くのが一番いいんだ。文字、覚えてないか? だいたい、お前が先に興味もったのにな。あの時父さん喜んで――」
 しまったと思ったが遅かった。キレスの顔色が変わる。――過去や家族に触れるのは避けたほうがいいと、数日の経験で学んでいたのに……気持ちが、及ばなかった。
 キレスは表情を硬くしたまま動かない。瞳は見開かれたまま、こぶしが握られ、呼吸に肩が揺れている。そうして、沸き立つ怒りや衝動を抑えようとしていた。
 いまは、言葉をかけてはならない。いや、目を合わせることすら憚られる。存在を感じさせないよう、僅かでも介入することがないようにと、息を潜める。
 ……しばらくすると、キレスはそれらを振り切るようにごろりと仰向けになり、
「そんなことより!」溜め込んだものを吐き出すように、声を上げた。「俺、いいかげん寝たいんだけど!」
 どうにか、保てた。ケオルは小さく安堵の息をつく。
「じゃあ、俺が子守唄、歌ってやろうか」
「はあ!? 子守唄って……お前、歌うの? お前が?」
「いや、だから、術をかけてやろうかって」
「えー」言いながらキレスはシーツにもぐりこむ。「お前の術ってさあ。なんか、呪われそう」
「失礼なやつだな」
 ケオルは誘眠の呪文を唱えはじめた。低く連なった音が、静かに、部屋を満たす。
 しばらくすると、キレスはもう、すうすうと気持ちよさそうに寝息をたてはじめていた。――思ったとおり、呪文はてきめんに効いてしまうようだ。
 無防備な寝顔。ケオルはそれを、静かに映す。
 ……今日も、あの力を見せることなく済んだ。あの日から、毎日繰り返される同じ流れ。キレスは昼までに必ずやってきて、ここで眠る。夕方には目を覚まし、夜にケオルが寝るまで、ここで一緒に過ごす。
 そうした不変の流れの中で、けれどキレスは確かに変わってきた。あの、突然の怒りとその表出が、ずいぶんと鳴りを潜めるようになったのだ。
 傷つけてやるという明確な意思。身に及び、恐れを抱かせる力。それはいつも唐突に襲い、避けようがない。……もう無理だと、拒絶してしまおうと、何度も思った。けれど――、後になって何事もなかったかのように現れ、懐こく頼ろうとする態度が、それを思いとどまらせる。そうした、手のひらをころころと返すような彼の行為に翻弄されながら、どうしても抜け出せなかった。
 変化は徐々にみられるようになった。怒りが突発的に現れることは変わらなかったが、直後に迷いを見せるようになった。そのとき、どうにか止めようとする意思を、わずかだが、たしかに感じたのだ。
 ……驚いた。抑えることは望まないだろうと、諦めていたからだ。意思を持つ他者を思うように変えることなどできはしないと知っているから――けれど、もしかしたらと、思った。そのとき結局は抑えきれなかった力にも、無力感を覚えることなく、もう一度、次こそはと祈るように賭けた。
 そうしたものが態度に出たのだろうか。力を止めるのは容易でない様子だったが、キレスはそのたび試み、その態度がまた、ケオル自身が次を信じる理由となる。
 好循環――それは天秤のバランスを整えようとするように、錘を右に動かし、左に動かしして、ようやく、今の状態に釣り合ったのだった。
 安定した状態が得られるなんて、思っていなかった。相手がキレスでなく他の誰かなら、とっくに拒絶していたに違いない。……なぜだろう。兄弟という絆は、それほどに強いものだろうか。