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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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「生きてるものは綺麗。でも、やがて死ぬ。すぐに死ぬんだ。死んで、もう色が駄目になる。あっという間だよな」つぶやくように言い、でもさ、と加えて、「だから、いいんだろ」
 ケオルは懸命に、キレスの語るイメージを追った。生きた血の色、死んだ血の色――確かに、色そのものがまるで生き物のようだ。
 彼の言うとおり、色だけでなくそこからさまざま連想し、勝手に遠ざけようとするのは、不当なことかもしれない。自と他、切り離して考えれば、それができれば、何も不思議な事はない。自分だって、同じだ。ただ、身近に思える範囲が違う、それだけなのかもしれない。
 キレスの声色が、表情が、彼のそうした感覚を素直に表すのを見て、ケオルは表情を緩ませた。確かに、自分と彼……いや、大勢のものと彼との間には、違いがあるのだろう。けれどそれは、大きな差に見えているだけで、実際はもっと、――見方さえ変えれば――近いのかもしれない。
 理解できず避けようとしたものが、時間をかけさえすれば、理解できるかもしれない。そんな希望が、心を軽くした。
「それにしても……見るたび変わるな、お前の飾り。その貴石とか、誰が調達するんだ? シエンか」
「ん。まあ、そう。それと、キポルオ――」
 直後、キレスはしまったというように口をふさいだ。そのしぐさに首をかしげながらケオルは、
「ああ、そういえばお前、慕ってたな」
 途端にキレスの瞳が見開かれる。彼はまじまじとケオルを見ると、
「お前――覚えてるのか……? キポルオのこと」
 ケオルは瞬く。奇妙な言い回しをするなと思った。
「そりゃあ……。話をしたことはないけど、兄貴といつも一緒にいたから……」
 キレスは、少し動揺したようすだったが、自分の中で何か納得できたというように、ゆっくりと表情を和らげた。そうしてしばらく、ケオルが紙に文字を書き付けるのを、黙って横目で見ていた。
「お前いっつも、書くか、読むかしてるよな。楽しいの?」
 不意に言葉を投げるキレスに、ケオルはペンを止めた。――“楽しい”とは、少し違う気がする。どんな言葉がしっくりくるだろう。……そう“したい”、だろうか。
「もっと、ゆっくりしようぜ」
 そう言って、キレスはベッドの上でゆったりと伸びをした。
「そうだけど」言いながら、ケオルは苦笑する。「あまり時間もないし」
「……何の、時間?」
 キレスの顔色が変わった気がした。その理由を捉えきれないまま、ケオルは答える。
「それは。戦が、始まるから……」
 キレスは、ああ、と軽く流すと、
「終わってからやりゃいいじゃん」
「――終わってから、が、あれば、いいけどな……」
 ケオルがぽつりと言う。と、キレスが身を乗り出し、その目をまっすぐこちらに向けて、訊ねた。
「お前。死ぬかもしれないって、思ってんの」
「そりゃ、……戦だからな。ある程度覚悟、するだろ。誰でも」
「死ぬの、怖いのか?」
「……そりゃあ、まあ」
「――。ふうん」
 それっきり、キレスは黙ってしまった。
 何が言いたかったのか、よく分からなかった。ああして瞳を向けられると、少しどきりとする。――以前は、あんな目をすることは、あまりなかった気がする。いつも影で覆い、ときに逸らされる。こちらを凝視するときは、鋭く研がれているばかりだった。
 素直な表情だ。それは、拒まれる恐れがないと信じられるためだろうか。
 ……途端に、ケオルはなぜだか落ち着かない気持ちになって、意味もなくキレスに声をかけた。
「お前、昼はどこに行ってたんだ?」
 キレスは何もない壁を指でなぞりながら、わずかに顔を向けると、
「中央にいたよ。お前こそ、どこ行ってたんだよ。部屋にぜんぜん帰ってこねえし」
「南に、行ってたんだ。兄貴と話がしたくて」
 ケオルが答えるが、キレスは相槌も打つことなく、無言だった。ケオルはまた落ち着かなくなって、
「そういえばお前、南の代表なのに、戻らなくていいのか? ジョセフィールも心配してるんじゃないのか。会わなかったけど……ああ、そうだ、兄貴にも礼を言っとけよ、お前の――」 
「うるせえな……!」
「!」
 突然、キレスが振り向き叫んだ。その声と同時に放たれた力が、ケオルの右腕を傷つける。
 押さえる指の間から鮮血が伝った。ケオルは慄然として弟の様子を捉える。
 紫水晶がぎらぎらと灯っていた。キレスは、過去何度も見せ付けたその、鋭く研がれた瞳をして、じっとケオルを見据えていた。
「お前……、いい加減にしろよ」
 低く唸る。そうして、キレスはその姿を消し去ってしまった。
 呆然と取り残されたケオルは、気を落ち着かせるため、ゆっくりと深く呼吸した。 
(何が、気に障ったんだ……?)
 こんなにも一瞬で気分が変わってしまうとは。激しい感情の起伏――幼いころの彼の様子そのままだった。
 変わったように見えていたのは、思い違いだったのか。分かると思ったのは、勘違いなのか。
「痛……」
 しくしくとした痛みが、思考を遮る。
 右腕を押さえたまま、彼はじっとその痛みに耐えた。治癒の術を用いることをせず、そうすることで彼の中に湧き出すキレスへの感情を、抑えつけていた。
 恐れ――それを自覚するわけにはいかない。自覚してしまったら、おしまいだ。
 そうしてまだ曖昧なうちに、その苦痛を現実の痛みで紛らわす。感情に名を与えないように。
 自覚が無ければ前には進まない。けれど同じ事を繰り返すほうがまだましだと、そう思えたのだった。