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井上 正治
井上 正治
novelistID. 45192
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仮想の壁中

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読書するときに集中力を高めて文字を追う、しかも同じところで何度も、何度も文字を追うというときは、目の筋肉が非常に緊張するのではないでしょうか。考える場合も、集中力を高めて何度も何度も同じことを考えれば、神経が非常に緊張するのではないでしょうか。しかもこの緊張には、文字が理解できない、考えが前に進まないという疲労感が伴っているのではないでしょうか。このようなことが毎日24時間繰り返されれば、いったいどのようなことが起きるのでしょうか。心の休まるときがないという言葉があるのですが、このようなときに使う言葉ではないでしょうか。人間の体は、適度の睡眠や休息によって神経や筋肉を弛緩させることで、再び緊張した社会生活が送れるのではないでしょうか。緊張をほぐす時間がなく、神経や筋肉を張り詰めた状態に常時保つと人間はどうなるのでしょう。周りの人間や事象が親和的に見えるでしょうか。その人を取り巻く世界に対して和やかに接することができるでしょうか。決してそのような生活はできなくなるのではないでしょうか。
今まではできていた、読書によって本の内容を理解することや考えて自分の意見をまとめることができなくなるというのは、目に見えない壁に突き当たった状態といえるのではないでしょうか。普通の人間であればそのような場合は、まだ努力が足りないのでもっと努力する必要があると考えるのではないでしょうか。そして渾身の力を振り絞って、何度も何度も見えない壁を乗り越えようとするのではないでしょうか。しかし、そういう努力をすれば、今までできていたこれらのことが再びできるようになるのでしょうか。あるいは今までできていたとしても、昨日できなかったことはやはり今日もできないのでしょうか。このような不安に駆られながらも、全身全霊を傾けて努力すれば人間はどのように変化していくものなのでしょうか。周りに自分を支えてくれるものが一つもない、心を落ち着かせてくれるものが何もない、そのうえ越えることができるかどうかわからない壁を乗り越える努力を休むことができない、そういう場合人間はどのようになるのでしょうか。
力の限り何度も文字に焦点を合わせていた視線が異様に鋭くなったり、繰り返し同じことを考えた神経が不安定になったりすることもあるのではないでしょうか。周囲の人声や視線に対し異様に神経が鋭敏になることや、外界から孤立的になり周りの状況を非常に悲観的に観るようになることもあるのではないでしょうか。次第に根気強く思考を巡らす能力が衰退して判断が極めて短絡的になってしまうことや、本能的な部分に思考が偏りがちになって内向的な心理状態になってしまうこともあるのではないでしょうか。そのような状態が継続することで感性の起伏の波が次第に大きく、かつ、沈んだ感情にとらわれる期間のほうが高揚した感情に満たされる期間よりも長くなるとともに、不安定な生活がもたらす不眠の傾向も強まって心身の疲労感を覚えるようになり、無気力感に囚われ始めることもあるのではないでしょうか。この病的ともいえる体調の変化がもたらす重圧に耐えかねて日々怠惰な生活に溺れつつ以前の健全な体調に戻るべくあがいたとしても、目に見えないこの壁を自分だけの力で乗り越えることはできないのではないでしょうか。そして周りから見ても普通ではない心身の状態が感じ取られるような外観を呈するようになるのではないでしょうか。
人は自分の見たい現実しか見ない、また、自分のききたい言葉しか聞かないということが一般的に理解されているのではないでしょうか。この時に見たかったもの、聞きたかった言葉というのは、果たしてどのようなものだったのでしょうか。それは今の社会で十分に実現されているとは言えない、人間を大切にする新たな価値体系に基づいた、持続可能性のある社会に関するものだったのではないでしょうか。しかし、皆が皆このような目標を夢見ているわけではないのではないでしょうか。異なる考えを持った人たちにとって今の社会に不足しているものを追求するこのような立場が、果たして自由社会の多様性というものによって認められるものなのでしょうか。その困難さを強く認識したのはこのような心身ともに追い詰められた状態の時ではなかったでしょうか。人をだますものは人に見捨てられる。人を傷つけるものは人に非難される。しかし、人に誠実である者は、人は静かに見守ってくれるのではないでしょうか。
乗り合い電車の中でいつものように悲観的な精神状態で堂々巡りの思考にとらわれていたそのとき、突然目の前を通った背広の人物が黒革の手帳を運転手に提示して下車したのではなかったでしょうか。その黒革の手帳の人物が通りすがりに放った視線と、悲観的な精神状態で見ているのにもかかわらず見ていない視線が合ったときに、社会の多様性の困難さを自覚したのではなかったでしょうか。その視線は強くはないがかといって弱いわけでもない、温かいものではないが冷たいものでもない、そして敵のものではないが味方のものでもない、ただ、対象との間合いを図りかねるというためらいが感じられた視線ではなかったでしょうか。
その数か月後から、耳の中で時間や場面を選んで故意に爪をはじくような神経をいらだたせる音がし始めたのではなかったでしょうか。こののちも続く体調の変化とこの耳障りな音がきっかけとなって、この国ではすべての国民の両耳の中に電波部品が埋め込まれていることを確信したのではなかったでしょうか。それによって敵とみなした人間の脳の活動を妨害したり、意思を盗聴したり、操縦したり、また、味方となる人間に伝達したりしているのではないでしょうか。そんな中、24時間365日国民の両耳の中に埋め込まれた電波部品を操作している者が、今後は大消耗戦に移るとほざいたのではなかったでしょうか。勿論耳の中の話なので証拠があるわけではないのではないでしょうか。それにしてもこれらの黒革の手帳を持った人物や電波部品を操作している組織がなぜ公然と姿を現したのでしょうか。伝統的に大消耗戦が大好きな、また、国民の両耳の中に埋め込まれた電波部品を操作するという暴力としか考えられない力をふるう実力組織は後回しにして、もう一方の敵とも見方とも決めかねている、指揮権者の判断で黒にも白にもなる司法組織のほうから考えて見たいと思うのではないでしょうか。こののちの人生には目に見えない壁が社会の続く限り行く手にそそり立っているということになるのではないしょうか。
第8
作品名:仮想の壁中 作家名:井上 正治