小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

謝恩会(前編)〜すれ違う手と手〜

INDEX|6ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 


 スタジオ「QUASAR」は駅から山側に少し行った路地裏にある。晴乃は店員に一声かけて奥へ入り、いつもの部屋の防音扉をゆっくりと押すと、ハイハットとバスドラムの小気味良いリズムが聞こえてきた。

「お待たせ――」中にいるのはドラムセットに座るサラ一人だけだった「あれ、悠里は?」
「ああ、悠里なら定時に来ると思うよ。MMの車で来るってメールが」
 サラは笑みを浮かべ立ち上がるとスティックを竹刀の握りで構える格好をした。晴乃は見ただけでもう一人が遅れている理由を理解した。
「そう――」
重い足を踏み出して出てきたのに3人が揃わない、それも学校で剣道の稽古ということは自分の彼氏と一緒ではないか。
 そう考えると間を切ろうと大きく肩から吐き出した息に、苛立ちのにおいを消しきることができなかった。 

「何か不味いこと言っちゃった?あたし」
「いや――」
 サラに悟られたと思い即座に否定した。でもサラの黒い目は晴乃の心の曇った部分に反応を示したようだ。
「キャプテンとうまくいってないの?」
 晴乃は言葉が出せずに黙ってしまった。

 サラの言う「キャプテン」は晴乃の彼氏である篠原健太のことだ。健太は晴乃と違って滑り止めで第二志望の大学に合格しているので、浪人するプレッシャーからは解放されていて毎日卒業後の高校に行ってはのびのびと剣道の稽古に参加しているのは同じく剣道部員の悠里から間接的に聞いている。第一志望とした大学については人事を尽くしてあとは天命を待つ身であり、おとなしくしなければならない訳ではないのは晴乃も分かっている、だけど根が真面目な晴乃は結果が出るまでそんな気分になれなかった――。

「まあ、現実はいずれ受け入れないとアカンわけやし」
 彼氏との間にある近未来が顔に現れる。それをサラは読んだ。
 晴乃にとって健太は小学校に上がる前からずっと気になっていた存在。そして高校を卒業する今までずっと近くにいた。今まで当たり前にあった幸せが形を変える。それは明日の試験の結果に関係なくやって来ることだ。晴乃は受け入れる以外にない現実に心の準備ができず、自分でも苛立っているのが分かると自然と人に会えないで今日までの日をほとんど一人で過ごしてきた――。

「道場通いはヨシとして……」
「それって、悠里のこと?」
こぼれた本音をサラは聞き逃さなかった。真面目な晴乃が思い詰めた顔を見てサラは泳ぐ晴乃の目を見てその動きを止めた。
「もしかして、妬いとう?」
「え?いやっ、そんなことは……」
 晴乃は思わず苦笑いをしたが本当の気持ちを見透かされたようで言葉が詰まった。

 健太は以前、悠里に告白したことがある。でもそれは彼なりの照れ隠しで、本当に好きな人に告白するのは躊躇するという彼の本音に嘘はないのは十年来見ているから分かる。
 引っ込み思案の晴乃は彼から悠里への告白の真意を聞いたことがないし、真相を知るのが怖くて聞くことができないでいる。だけど、自分が追い込まれている状況で伸び伸びと道場通いをする彼氏と親友をうらめしく思っていることは悟られたくなかったが、同じく親友のサラにはしっかり悟られたと分かると、晴乃は何も言えなくなった。

「大丈夫やって、悠里なら大丈夫。ルノを裏切ったりしない」サラは手にしたスティックをスネアの上に置いて声を出して笑った。
 晴乃はサラの目を見るとこちらが逸らしてしまうほどまっすぐで嘘がない。サラもそれを見落とさない。
「あいつ(悠里)は日本人以上に日本人なところがあるから」

 晴乃はハッとした。
 目の前のサラはハーフ、悠里はクォーターだ。以前彼女たちが自分たちについて、
「日本人じゃないから、日本人であるように努力してるんだ」
と言ってた事を思い出した。
 悠里については、剣道を通して自分という複雑な出自の存在を理解しようとしている。潔しを旨とし、仲間に背を向けるような事はしないと日ごろキッパリと明言している。
 人とは少し違う素性のために努力を怠れば、自分は宙ぶらりんな空虚な存在になりかねないと、同級生なのに自分より自分についてよく弁えていることに晴乃は少しの恥ずかしさを感じ、表情が暗くなった。

「それより明日、胴上げするために今日は腕立てしとくわ」
 サラはそんな暗くなりかけた空気を一掃するように笑った。

 明日はバンドの3人で合格発表を大学まで見に行くことになっている。サラはストレートの黒髪をかきあげて力こぶを作ってみた。ヒスパニック系アメリカ人と日本人のハーフであるサラは独特の雰囲気と陽気さで雰囲気を作り、神経質な晴乃と、大雑把な悠里を支えてきた。バンドが三人でまとまって来れたのはサラの性格と器量によるものが大きい。

「アカンかったらどうするの」
「それならこうしてあげる」晴乃の後ろに回りサラは背伸びをして長身の晴乃を抱き締めた「ルノはへこんだらアカン人やの――」

 晴乃は、サラが一時間早く自分を来させた本当の理由が分かった。ベースはケースに入ったままだし、段取りをしたMMは元の時間に来ると言っている。
「ありがとう、サラ……」
 晴乃は胸の前にあるサラの手に頬を乗せた。刺々しい自分の気持ちが和んで行くのが分かる。それだけでも今日ここへ来た意味があった――。

 ベースをセットし、音出しをしているといつものように慌てた調子で悠里が入ってきた。急いで用意したのだろう、いつも鞄につけている守破離の革鍔がない。
「おっ待ったせー!」
 悠里が来た途端に部屋に灯りが点いたように明るくなった。
「ありゃ?あたし、何か忘れた?」
「いいえ、いつものことやから」
サラが冷めた調子でなんとか言うと互いにドッと笑った。
「それより、ルノ」悠里が横で音を合わせていた晴乃に声を掛けた「明日は、ちゃんと胴上げできるようにちゃんと鍛えとうからね!」
 そう言うと左腕の力こぶを作って見せると、晴乃のこわばった顔は少し緩んだ。

 サラも、悠里も、自分を思ってくれての行動であることが晴乃には痛いほど分かる。自分でも認める心配性の晴乃は、日本人には作り出せないこの二人の雰囲気に何度か救われた。しかし、何も知らないで笑っている悠里の顔を正視できない今日の自分に何かが総括できなかった。