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謝恩会(前編)〜すれ違う手と手〜

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「待った?」 
 湊人は後ろを振り返った。入り口に立つのは、さっきまで話題になっていた倉泉陽人、悠里の兄だった。悠里と湊人の視線がほぼ同時にこちらを向いたので、ちょっとビックリした顔を見せていた。
「お、友達?」
「え――?うん。坂井くんっていう高校の同級生で且つピアノのプレーヤー」
 悠里が横に立つ湊人を手で紹介すると、湊人は扉の前でギターを背負っている陽人に会釈をした。
「初めまして――」
「兄のグレッグです。妹がお世話になってます」
 湊人はスッと出した陽人の右手を取った、悠里と同じ肌の色だ。間近で見るとメディアで見る姿とは印象が違う。
 見た目は本当に悠里を男にしたような顔立ち、目と髪の色が同じでかなり度の強い眼鏡が特徴的だ。ステージではギターを叩き壊したりする荒くれたパンクロッカーも、今ここにいる姿は自分が接してきた人の中でも理知的で紳士的な方に入る。
 
「グレッグさんもピアノやってたんですよね?」
「ああ、でもピアノはレベルが高すぎて僕ではとてもとても」
 解けた右手を頭の後ろに置いて笑い出した。湊人は何かを見透かされた気になって、次の言葉が出ずに兄妹が並んでいる姿をボーッと見ていた。
「ピアノは誰かに勝とうと思って、そこで頭打ちになった。そもそも音楽は自分が楽しむものが大前提なのにね」
「それで今の音楽ですか?」
陽人はしっかりと頷いた。
「これはカッコ悪いから他所では言わんとってな」眉間に手を当てて眼鏡を直して続ける「音楽も、妹の剣道もそうやけど自分の中で何かを完成に近づけたいというのが、ある」
「あたしも一緒。剣道は勝つだけとちゃうねん」
横にいる妹はこめかみに手を当てた。
「音楽ってのは結局はすんごい内面的な作業なんだよね」

 並ぶきょうだいの考えは似ている。お互いに申し合わせた訳でも、同じ教育を受けた訳でもないのに。二人は複雑な家庭環境で育った中で辛さとほろ苦さを味わったものにしか分からない優しさと気丈さを持っていると湊人は感じた。
「だから、坂井くんもとことんまで自分を突き詰めるといいよ。って僕が言えたことじゃないんやけどね」
 そう言って陽人は眉を下げた。ステージでは元気よく暴れ回っているのとは真逆の姿と喋り口に、湊人は無意識に構えていた全身の力がスッと抜けていくように感じ、からだが楽になるのがわかる。

「今度ライブするのは君かい?」
「――はい」
「僕もOBやから、5年前謝恩会に出た。宮浦とそんな計画はしたけど、結局実現できなかったっけなぁ」
陽人はクスクス笑う。つい先程MMから悠里たちの計画を聞いたことを明かした。
「やっちゃえ」
「え?」
「飛び入りだろうが計画的だろうが、自分たちがその場を作れるだけのものがあれば必ず印象に残る。結果云々じゃなく、やるんなら妥協したら、あかん」
 陽人は唇を横に伸ばしながら湊人の胸元を指差した。
「ありがとう――ございます」
 眼鏡で陽人の目が大きく見える。ステージでは見られない普段着の彼の目を見ると、湊人は実際にはいないが兄に言われたような気になって不思議と自信のような気持ちがわき出し、自然にお礼を言っていた。

「――っちゅうことで。ほな行こか、悠里」
陽人は横にいる妹に話しかけると、悠里はゆっくり頷いた。湊人の目には彼女は早くここを出て楽器屋に連れていって欲しそうな表情が見てとれる。
「あ、そうや。明日もリハするやんか、もし車でココに来るんやったらこっち寄ってよ」
「こっち、って倉泉の家にか?」
 本番迄に機材を搬送する必要がある。湊人はすっかり足がわりに使われているが嫌でもないけどプライドがぶっきらぼうな返事をさせる。
「ううん、今日はお姉ちゃんの実家に泊まるから」
「お姉ちゃんの実家ぁ?」
 不思議そうに問いただす湊人に構わず悠里はメモを取り出してせっせと地図を書き出した。兄が実家に泊まると部屋が狭くなるから、悠里は時おり嫁いだ姉の実家に泊まることがある。
「ここに西守医院っていう診療所があるからこっち来て」
「倉泉は字も左で書くんだ」
「うん」
 悠里は返事をすると、彼女の性格を表すような大雑把な地図を湊人に渡した。逆に、地図の右下に彼女が書いた「お迎えよろしくね♪」の丁寧な文字が目に留まり、悠里の説明はほとんど湊人の耳に入っていなかった。
「じゃあ、明日ね」
 似たような衣装をした兄妹は湊人に手を振って出口に向かった。

「悠里、メモ忘れたらアカンで」
「もぉ」
「だってお前メモするけどメモ忘れるやんか」
「楽器屋のあとは美味しいの食べさせてよね」
「エエで。焼き肉焼き放題ってどうや?」
「そうそう、焼いて焼いて焼きまくって……っていつ食べれるんよ!」
「お、お約束のノリツッコミ。時給850円出すで」
「それバイトやん」

湊人は兄妹のやり取りをただ見ていた。最初の方は日本語で話せば答えは英語といった調子でなんとか分かる程度だったのが、やがて会話は英語と日本語が入り交じりもはや湊人には全くわからないテンポで会話が進んでいた。

   * * *

 湊人は肩で息を吐き出して、去り行く兄妹の後ろ姿を見た。思い出したが悠里の着ていたダボダボのシャツは兄のお下がりで、最近見た陽人のMVで着ていたものだ。
「理想の基準はお兄ちゃんなんだな、あいつ」

 二人の姿が見えなくなると、湊人は今日ここへ向かう時から悠里と別れるまでのことを最初から思い出した。話の内容、その仕草、眼鏡の奥に見える焦げ茶色の大きな瞳――。
「妥協を許さない人、か」
 そう呟くと、さっきまで少し強張っていた湊人の顔が緩んだ――。