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謝恩会(前編)〜すれ違う手と手〜

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六 坂井湊人



 練習が終わると、サラは晴乃を引っ張るように連れ出し、ロビーには悠里と湊人だけになった。湊人はほんの数分前のサラの去り際を思い浮かべた。不必要に目をぱちくりさせていたあの顔とわざとらしく晴乃を誘った意味が分かると、悠里に背を向けポケットに手を突っ込み次の言葉を模索した。

「帰らないの?」
「うん。今日はね、お兄ちゃん待っとうねん」
 兄の陽人は近くでラジオの収録に出ていて、程なく帰ってくる。その番組が湊人もよく知っている要の番組と聞いて目を丸くした
「えーっ?お前の兄貴、要のラジオに出るの?」
「そう『神戸の伝説のバンド列伝』的な内容だってMMが」
「はは、そりゃあないでしょう」
 お互いが笑い合うことでこの場が一気に和むと、湊人は気分が軽くなって悠里に話しかけやすくなったと思えて嬉しくなった。
「んで、グレッグはここに戻って来るの?」
「うん」悠里はしっかり頷く「卒業記念に新しいギターを買ってくれるねん」
「ギターをか?」
 悠里はエアギターを弾いて見せた。誕生日も近いので今日はプレゼントを貰えることになってるようで気分がうきうきしているのが湊人にも分かる。

 湊人にとって悠里たちの曲は聞いたことはあったががギターを弾く姿を見たのは今日が初めてだった。去年の文化祭でゲリラライブをしたのは知っているが、学校に安住を求めない湊人はここぞとばかりにアルバイトに励んでいたからだ。
 悠里のギター、晴乃のベース、サラのドラム。初めて見たスリーピースには決定的な見た目の違いがあった。
「そうだな、倉泉のは特注品だもんな」
「そう。でも、お兄ちゃんが良いの見つけてくれるから助かっとうよ」
 見た目の違い、悠里は左利きだ。
 ギターの持ち方が左右逆なのである。それだけに彼女のギターは絶対的に数が少ない。初めて手にした時以来、悠里は兄にギターをあつらえてもらっている。ギターを職業道具として使う陽人だけに目利きもコネもじゅうぶんある。
「お兄ちゃん子なんだな?倉泉って」
 兄の話をしている時の彼女の顔は明るい。ギターにしたって兄の影響を強く受けているのは聞かなくても分かる。その顔は今まで自分と話をした中で見たこともないほど自然なそれだ。

「うん」悠里はそれを否定しない
「娘ってのは理想のタイプを自分の父親を基準にすることって、あるでしょ?」
「ああ、聞いたことあるな」
 悠里はソファから立ち上がり、窓の外を見るといって湊人に背中を向けた。
「あんまり言いたないねんけど……ウチはワケアリやから、近くにいる異性はお兄ちゃんくらいしかおらんねん」
 悠里の両親は離婚して、父はアメリカに帰ったことは湊人も知っている。いつだったか、父は日系二世で一緒にいた時間も少なく、母語も違うから親よりもきょうだいの方がつながりが強いのよと説明したことを湊人は思い出した。
「でも、小学生の頃は家もお兄ちゃんも荒れてて口も聞かない時期が長らくあってん」
 思っていたものとは違う次の言葉に驚いて湊人は顔を上げた。
「そうなんだ――」
「でも……」
「でも?」
「あたしが六年生の時に親が離婚して家が変わって、部屋が一緒になっちゃって、互いにぎこちなかってんけど、そんな時お兄ちゃんは一度あたしを助けてくれて――、現在に至ってるねん」
「ってことはきっかけがあったんだ」
「そう」

 湊人は窓をのぞく悠里の後ろ姿を見つめた。自然な焦げ茶色の束ねた髪に複雑な家庭環境が見えた。
 聞けば答えてくれるだろうか、湊人はその先の質問をしようとしたが、結局彼女の表情を見つめるだけで時間が過ぎた。

 彼女が望んでも近くにいない父親を兄に重ねて求めている。そしてそんな兄を理想の基準にしていることも湊人は感じることができた。

「坂井くんはお兄ちゃん、知っとう?」
悠里は目を開いて湊人の顔に真っ直ぐ視線を合わせた。
「ジャンル違うから少しだけだけど……」
 悠里と話して以来、彼女についての情報を知ろうとすると真っ先に出てくるのが陽人の事だ。
「お兄ちゃんは小学生のころまでは毎日ピアノに没頭してたような人やねん。あたしも併せて歌って『神戸のカーペンターズ』とか言われたりしてね……」
「へえ、そうだったんだ――」
 湊人は初めて知った風に反応を示した。

 彼女にとって兄は一番近い肉親であり、それでいてミュージシャンであるという共有できる話題を持つ人物だけに、湊人は陽人について調べていた。
 メディアで見られる悠里の兄は妹と違ってアメリカ生まれのアメリカ国籍で、Greg Kuraizumiという本名で国内外で活動しており、ジャズとは対極に位置しそうなパンクロッカーである。しかし、彼は勢いだけの若者ではなく、音楽の基礎と技術をしっかりと身に付けた、実力は決してその場かぎりだけでないことを知った。初めて彼の音楽を聞いて、同じピアノを弾く者として思ったことだ。

「お兄ちゃんは、ああ見えていつも自分のビジョンを持ってるんよ」
再び窓の外に目をやり、下の道路を往来する人に注目する。
 メディアで見られる陽人は概してやる気がない。妹の目にはそのやる気の無さが兄の譲れないビジョンだという.。
 悠里の話ぶりと表情、窓にはね返って見える自然な笑みに湊人は会ったことのない彼女の兄に嫉妬に似た複雑な感覚を覚えた。
「倉泉の兄貴は、どんなビジョンを持ってるんだ?」
湊人の口から無意識に質問が出た。いつもなら一拍置いて考えて様子をうかがうのが自分の性格と把握しているのに、不思議と言わされたような気になって口が動いた。 

「お兄ちゃん?」悠里はそう言うと体をクルッと反転させ、湊人の目を見つめた。
「何て言うんやろう――、こだわらないことにこだわる、と言うか、その――」
眼鏡の縁をかきながら一度視線を逸らし何やら考え出し、そして向き直った。湊人はその視線に刺されたように動きが止まった。

「人にはこだわらへんねんけど、自分には一切妥協を許さない人やねん。あたし自身もその考えに影響を受けた、そして、好きだ。だから――」
「だから……?」
悠里は一拍置いてから答えた。湊人は、彼女がその一拍に何か思うところがあるのが朧気に見えた。
「坂井くんも目標に向かって限界を作らずに挑戦し続けて欲しい」

 湊人は眼鏡の奥に見える濃い茶色の瞳に何も言い返せなかった。そして無言の時間が続き、奥のスタジオから音が漏れているのを聞いていると後方の入り口の扉が開く音がし、悠里の表情がパッと明るくなった――。