鶯谷の十蔵
舅は、安楽死あるいは尊厳死を妻に迎えさせてやりたいと思っていることを、咲には告げている。超高齢化社会に入ったこの国では、死の在り方を、医療機関が率先して議論すべきだと、舅は力説している。
「死を拒否することはできないのであるから、本人の意思で死に方を選べるように法を国が整備すべきだ。海外ではできていることを日本ではできないと決めつけていることに、時代錯誤を感じる。生命の誕生については、生殖医療が発達して、性交レスの体外受精の子を生んでいるではないか。両親が誰か解らない子が生まれている。移植医療も生命を延ばすために他人の臓器を利用している。iPS細胞も生命倫理への挑戦だ。生命の延伸にこれだけこだわっているのに、死の医学は進歩していない。死の世界の解明がおろそかにされている。西洋医学の限界だろう。私は、東洋医学と精神史のドッキングに期待している。」
舅がこのように話している時は、年齢を感じさせない若さがみなぎっている。咲はその表情に釣られるように話に聞き入っていた。この話をしている部屋は姑が療養している居間である。咲の一日はほとんどがこの部屋で過ごされている。姑が咲を離さない。舅が咲に交代すると言っても姑が承諾しない。
「咲さんを、自分の実の娘だと勘違いしているのだろう。昇の姉に当たる娘がいたのだが早く亡くなっているのだよ。」
舅は自分自身もその娘を思い出しているようであった。
舅が、早朝に谷をわたる鶯の声を聞いたのは、十蔵の谷間の家の開け放たれた窓からだった。この頃、舅は十蔵の招きで、この家に泊まっていた。姑の長期療養には、山岳に囲まれた自然豊かなこの地がいいと、十蔵が、姑をこの家に移すことを勧めた。舅もそれに大いに乗り気になって、咲と共に、三人が移転して来たのである。咲は、実家で実父の十蔵を助けて、舅姑の日常の世話をすることになって、活き活きとした姿を取り戻している。
(終り)
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