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トカゲを食らうホトトギス

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『トカゲを食らうホトトギス』

人も見かけによらない。美しい顔、美しい体、美しい声に、人は簡単に騙される。
ケイは二年前に派遣社員としてやって来た。美しい顔立ち、均整のとれた体をしていて、誰もが驚いた。その口さえ開かなければ、まるで美しいバラの花であった。だが、刺の刺さったものの言い方をするので、お高くとまり、さらに冷たい雰囲気もしたので、男を寄せ付けなさそうに見えた。それが昼間に見せる表の顔なら、夜に見せる顔があった。表とは正反対の顔である。まるで男を漁って食らうかのような顔である。飲み会があれば、必ず参加する。酒の席では、昼間とは打って変わって、陽気にはしゃぐ。終わると、仲良くなった男と夜の街に消える。それは随分、後になって知ったことだが。
初めてケイを見た時から強い憧れを抱いた。美しい容姿だけでなくその優しそう声にも魅了された。目の前に座るのに、ずっと仕事の話しかできなかった。そのせいだろう、自分でも気づかないうちに憧れが少しずつ高まっていった。まるで、砂時計の砂が落ちていくように。気づいた時、まるで少年のような、浮ついた恋の世界にはまっていた。

スナック『K』のママは類稀な美人だったが、長年のタバコと酒のせいで、声はしゃがれ、顔には、夥しい皺ができている。その皺はどんなに厚化粧しても隠せない。美しかったという過去の栄光は写真の中にしか残っていない。若い頃の写真はまるで女優のように美しい。「二十代の頃なんか、ハエ叩きが必要なくらい、うるさく男が寄ってきたわよ」と自慢する。いろんな経験を踏んできたので、人間的には実に魅力的だが、残念ながらママに引き寄せられてくる男の客はいない。スナックを維持できるのは、若かりしママにそっくりな美人の娘のミキと、二十四歳になったばかりで、ナイスボディを持つさとみがいるおかげである。そのスナック『K』の常連客になって、もう三年が経つ。
店に入ると、いつもママが隣に座り、キープしてあるウィスキーを勝手に飲み始める。その飲み方は半端じゃない。大きなグラスにたっぷりとウィスキーを入れてロックで飲む。
酔うと決まってウィスキーのグラスを片手に、「あなたに合うのは、この私よ」と言う。
まあ、娘やさとみには、「手を出すな」と言うのだろう。
 しばらくスナック『K』に行かなかった。十一月の終わり、金曜日の夜のことである。たまたまマンションに帰る途中、さとみと出くわした。
「どうした?」と聞くと、「お店に行くところなの。ねえ、最近、店に来ないでしょ?」
「最近、行ってないな。仕事が忙しくて。それに、いつもママが隣に座るから面白くもない」と正直に言うと、「じゃ、今夜、私が相手するわ」とさとみが微笑む。
さとみの笑顔に釣られて、スナック『K』に行くことにした。行ってみると、十人も入ればいっぱいになる店は混んでいた。仕方なくカウンターの隅に座り、ウィスキーをのグラスを片手にさとみと話をする。しばらくしてママがやって来た。
「久しぶりね」とママが微笑む。
「ママの顔が急に見たくなってね」と軽く冗談を言うと、図々しく、「隣に座っていいかしら? 他の客に、『ババアはあっちに行け』と言われたの。いいでしょ?」と切なそうに言う。
「いいよ」と応えると、「嬉しい。やっぱり好きよ」と本当に嬉しそうに言うので、思い切って言った。
「好きなのは嬉しいけど、俺にも好みがある。ママみたいな女性は残念だけど対象外だよ」
「私をどんなふうに思っているの?」
「猛禽類だと思っている」と言うと、ママは大笑い。
「昔、美人コンテストに選ばれたこともある私が、猛禽類?」
「昔は知らないが、今は、コンドルとか、そんな類の鳥だ。人間の皮を被った猛禽類だな。好きなものは酒と男だろ? どうみても肉食女だ。いや、人間の皮をかぶった恐ろしい顔の猛禽類だ。図星だろ?」
「まあ、随分と失礼な言い方するのね。でも、許してあげる。だって優しいから。でも、酒と男が嫌いで、夜の商売をしている女なんかいないわよ」
「俺が優しい?」
「だって、一度も、『ババア、あっちへ行け』と言ったたことがないもの」
 その言葉は何度も出かかったが、かろうじて抑えてきた。そのことをママは知らない。
「たとえ酒に飲まれても、そんな失礼なことは言えないな」と笑う。
 いつの間にか、さとみは別の客と会話をしている。
「本当に俺とママが似ていると思う?」
「いろんなところが似ているよ。本が好きなこと。シャイなところ、何よりも気が合う。それに歳も近い」とママは微笑む。
「歳が近いと言っても、五歳も離れている。それに俺は一度も結婚していない。ママは二度も結婚した。娘も作った」と笑うと、
「それでも、似ているの」
「俺はずっとサラリーマン社会を生きてきた。いわば、組織という駕籠の中の鳥だ。ママは曲がりなりにもスナックを経営する自営業だ。一国一城の主だ。天と地の差くらい開きがある」
「それでも似ているのよ。前も言ったでしょ、あなたに似合うのは私よ」とママと笑う。
冗談半分だということは分かっているが、まるで運命を操れるかのように自信を持って言うので、そんなこともありえるかもと思ってしまい、何だか急に空恐ろしくなり、慌てて店を出た。
 
 一週間後、会社の宴会があった。宴もたけなわの頃、隣にケイがいることに気付いた。体をこちら側に向けている。座っている姿が実に色っぽい。意識的なのか、それとも無意識なのか、脚が少し開いていて、スカートの奥が見えそうである。その視線に気付いたのか、「何か、顔についている?」と聞いてきたので、体を寄せ囁いた。
「何も付いていない。綺麗だから見とれてしまった。宴会が終わった後、一緒に飲むか?」と冗談半分に誘ってみた。すると、意外にも嬉しそうな顔でうなずいた。宴会の後、近くの居酒屋に一緒に入った。
 居酒屋に入り、個室で向かい合わせに座った。憧れていた女が目の前にいる。それだけで胸の高鳴りを覚えた。
しばらく雑談をした後、ケイが呟くように、「いつだったが、公園で、枯れたバラを見つけたの。今にも、散ってしまいそうだった。ふと、自分と同じだと思った」と呟いた。
 彼女の顔を見た。何ともいえない寂しい顔をしている。
「枯れたバラ? どういう意味?」と尋ねた。
「そんなことも分からないの? 鈍いわね」
「昔からどんくさいと言われた」と自嘲した。
「どんくさいから独身なの?」
 ケイは飲むと箍が外れるという噂があったが、正に箍が外れた状態であった。箍が外れると、棘のある言い方がより辛辣になる。まるで日頃のうっぷんを晴らすかのように。
「そうかもしれない」と少しむきになって応えた。
「怒っている? ごめんなさい」とケイは仰々しく頭は下げた後、「最近、誰からも誘われないの。このままでは独身のまま終わるかもしれない」と嘆いた。
「結婚したいのか?」
 ケイはむっとした顔で、「秋川さんは、結婚しないの?」
「しない……というよりも、『したい』と思わない」と答えた。
「どうして?」
「自由が好きだから」
「私も諦めてシングルで生きようかな? 最近、誰も口説いてくれないし」とこぼした。
「君はまだ綺麗だ。まだまだ頑張れると思うよ」