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拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ―

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(一) 彼女の流儀に合わせれば(著:セールス・マン)


「ちょっと、ちょっと、もう少しゆっくり言えってば」
 ついにジョーは癇癪を爆発させ、電話の向こうへ叫びを上げた。
「小さくて猫目で、なんだって? 『蝶々婦人』?」

 昼過ぎのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)周辺は人が多い。特に今日は日曜日で、早々と迫りつつある夏の気配に、学生たちはすっかり舞い上がっている。車に恋人を乗せているプレイボーイ、暑苦しい集団を形成する体育会系の学生たち、水着の購入に勤しむ女たちと、見渡せばあたりにいるのは自らとそれほど年の変わらない「健全な」人間たちばかりだった。彼らの溌剌としたパワーが街全体を巻き込む喧騒の渦を作り、部外者すらも中へ取り込もうとする。おせっかいな力とひっきりなしに鳴る車のクラクションに倦んだ目を向け、ジョーは携帯電話の向こうで喋り続けるボブへ相槌を打っていた。



 普通の観光客なら圧倒される活気を、たった今サーティワン・アイスクリームの店から出てきた彼女は、平然と受け流している。受け流すという表現が悪ければ、取り込んでいるというべきか。彼女が歩くたび気温の高い空気は道を譲り、居場所を作っているように思えた。拒絶せず、なじみもしない。交差点で信号待ちをしている間も、澄ました表情で、コーンに乗ったアイスを時折口に運んでいる。


「ピエール・ロティは知ってるよ」
 今にも人ごみに埋まりそうな彼女をこっそり観察しながら、ジョーは興奮し続けるボブを正反対の口調で中和させようとしていた。
「とにかく、うん」
 車道の信号が赤に変わる。
「可愛いよ。ニホン人形みたい」
 車の流れと入れ替わりに群集が動き出す。彼女を見失い、ジョーは視線だけで必死に姿を探した。
「あ……うん、いや。なんでもないんだけど。どう、足のほうは。病院、慣れた?」
 止まるという事を知らない街では、一度なくしたものを見つけることは難しい。
「看護士? ブロンド?……お医者さんごっこ?」

「これやから、男はイヤやわ」
 突然背後から聞こえた声に携帯電話を取り落としそうになる。
「お帰り。早かったね」
「あんた、さっきから見てたやろ?」
 まだ鼓動の収まらぬ心臓の上で押さえつけるようにした電話から、甲高い声が続いている。ボタンを押してから、ようやくジョーは葵――現代に生きる陰陽師、彼がイメージしていた姿とはまったく違うお菊さん――を見下ろすことが出来た。
「昼間から話すこと、ちゃうやろに」
 見上げてくる葵の笑顔は親しみやすいものであったが、この場合逆に恐ろしい。
「出来たら聞かなかったことにして欲しいんだけど」
 へどもどしながら、ジョーは曖昧な笑みを浮かべた。
「そやなぁ。考えてもええで」
 一瞬視線が落とされたのは、既に半分ほど食べ終わったアイスクリーム。ミントの薄いグリーンは、暑い日ざしの中でもその涼やかさを失わない。顔を上げ、にっと白い歯を見せて笑った葵を包む夏の風からも、ジョーは同じ匂いを嗅ぐことができた。
「日本と少し味が違うんやな。他の味も、そうなん?」

 *  *  *

「けったいやね。こんな明るいところやのに」
 キングサイズのアイス二つを心底幸福そうに眺めていた葵は、何気ない口調でつぶやいた。見ているだけで胸焼けを起こしかけているジョーが、首をかしげる。
「ドコもソコも、怨念だらけや。つい最近の話だけやない。ずーっと、長い間溜まってきたもんや」
 上に乗っているストロベリー・チーズケーキ味を一口齧った葵の目は、微かに曇っている。
「こんだけ暗い気持ちでおって、ようみんな、生きていけるわ」
「ドロドロだから」
 ウエストウッド大通りを10分も歩けば、前方にアーマンド・ハマー美術館が見えてくる。石油王の秘蔵品を納めた建物は、今にも底から原油があふれ出しそうな、地層を模した縞の外装が特徴的である。
「ロサンゼルスにいる奴は、みんな何かのために争ってる」
 正確には、ロサンゼルスの北部にいる人間だが。そこでの戦いに敗れた者たちは、南へ落ち延びてくる。ジョーを含むロングビーチの住人が捨てることの出来ない怠惰と、ハリウッド近辺で暮らすチャレンジャーたちの脅迫観念である上昇志向を足して2で割ったら、この都市の犯罪率は大幅な減少を見せるに違いない。
「あー……ほんま、ドロドロ」
「うん。凄いよ」
「いや、これ」
 葵が持ち上げたワッフル・コーンの上では、そろそろストロベリー・チーズとキャラメル・リボンが混ざり合いはじめている。
「あぁ、ほんとだ」
「……」
「……」
「……」
「……」
 頬を暖かい風が撫でる。今日は湿度がそれほど高くなくてよかった、とジョーは心中思っていた。アイスは溶けるが、まだ過ごしやすい。
「ここ! 突っ込むとこや!!」
 耳元の大声に飛び上がる。
「え、えっ?」
「だから、『そっちかい!』やろ!?」
「なにが……」
 アイスを持つ方と反対側の手を振り回している葵を、ジョーは困惑の視線で見つめた。
「あーもう、アメリカ人はジョークわからへんのか。ジェネレーション・ギャップや」
「カルチャーショックのこと?」
「そやそや、その要領や。けどまだ生ぬるいわ。もっと盛大にビシーッって行かな」
 ため息を一つついて、再びアイスを口に近づける。通りを南下するにつれ交通量は増えていくが、彼女がボケとツッコミの定義を語る勢いは重なるアイドリングの音にも負けず、勇ましい。抱いていた日本人観を覆す彼女のエネルギーに圧倒されるが、先ほど飲んだリチウムが効いてきたのか、ジョーは苛立ちに襲われることなく、複雑な論を聞くことが出来た。


 騒がしい道路から外れウィルシャー通りに入れば、車の量も減るし店も少なくなる。何よりも街路樹の木陰が増えるのがありがたかった。太陽は少し傾いて来ているものの、暑さは変わらない。
「ここら一帯なんだけれど」
 歩道の一端で立ち止まり、ジョーは額に滲んだ汗を拭った。
「僕の知り合いが怪我した場所はここ」
 ジョーが指差した場所に、葵はじっと見つめた。
「また、強烈やね」
 既にその眼は真剣みを帯びており、包み紙を丸めていた手が動きを止める。
「もう少し行った場所に、墓地があるんだ」
「それのせい、って言いたいんやな?」
「僕は良く分からないけど、ヴァルは……知り合いは、そう言ってる」
「あながち間違ってへんかもな」
 ぐるりと辺りを見回した後、葵は冷静な口調で言った。
「ほんま、強烈やもん」