拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ―
「ウチが求める熱い体験ちゅうのは、こんなんやないねんて」
北アメリカ大陸西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルスでは、冬でも最高気温が二十度に達する。夏であれば当然のように暑く、それ以外の季節に日本から渡っても暑いと感じる。
空調の効いた到着ロビーから一歩外に出ると、早くも夏を感じさせるカリフォルニアの太陽が情け容赦のないハグを求めてくる。
葵は寒さが苦手なのだが、暑いのは好きではない。
だが、それだけだ。
まず最初に、暑いと感じている自分を認める。次に、暑いと感じている自分を受け入れる。それで終わりだ。特にどうということもない。
暑さ寒さを感じているのは、他の誰でもない自分自身なのだから、自分自身を律し、制するのもまた、自分自身に他ならない。
それは我慢や根性とは全くの別物であり、“火もまた涼し”とまでは言わないが、詰る所はそういうことだ。
San Diego FWY-i405(サン ディエゴ フリーウエイ)を北へ走ること、約二十マイル。ビーチ・シティからウエストサイドへ。東に一度折れて、ウエストウッド大通りを北上すれば、目的地は目と鼻の先だ。
葵はサンセット大通りの南にある、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に向かっている。更に東へと進めば、誰しも一度は耳にしたことがある住宅地ビバリーヒルズがある。
UCLAのモットーは“Fiat lux”そこに光あれ。その言葉を聞いてピンとこない者は世界的に人気のこの大学へ入ろうとは思わないし、その言葉の意味を見失った者は自然とこの大学という社会で孤立し淘汰されていく。
UCLAは、一九一九年に設置されたアメリカ合衆国の州立大学である。入学難易度は“Most Selective”とても難しいということだけ、無くなっていても気がつかない場所に保管しておくといい。あくまでも放置ではなく、保管だ。
「ここでえぇわ、あとは歩くによって」
日曜の昼間ということもあり、サンセット大通りの交通量は多い。渋滞はしているが、車が全く進まなくなるほどでもない。しかし、不思議とクラクションが鳴り止むことはない。
「釣りはチップや、とっとき」
葵は運転手に五十ドル渡してタクシーを降りる。
チップの相場は一割から二割であるため、タクシーの運転手は額不足の不満を顔に出していたが、葵はそれを爽やかに無視した。
さまざまな国のさまざまな人種が入り乱れ歩く街並みに、葵は一つの理想を見出す。
葵は、地球上のあらゆる場所で、このような光景が見られるようになればいいと思う。人種という言葉が無くなってしまえばいいと思う。民族を誇りに思うことと、他を虐げることとは全くの別問題であるはずなのだ。切り分けが出来ていない以上、それらの言葉は共存の弊害でしかない。
とはいえ、この光景の薄皮一枚隔てた内側に、ドロドロとした思念が蠢いていることは分かっている。目の前にあるものが、仮初めで、見せ掛けで、取り繕っただけの光景であったとしても、いや、偽物であるからこそ、葵はそこに希望を抱いたのだ。
葵がUCLAに到達したのは、十三時ちょうどであった。
広大な敷地に建設された百を超える施設と、職員と生徒を合わせた四万を越える先住人が、異邦人である葵を迎え入れる。
歓迎でも拒絶でもないのだが、葵には望むところだった。
極意は自然との調和。人間が自然から生まれたものであるならば、人間の営みも自然。人間が生み落とした想いもまた同義。
媚びることなく、拒むこともせず。ただ自己の存在を在りのままに掻き鳴らすのみ。他に併せるわけでもなく、否定するわけでもない。
それが調和だ。
葵は容赦なく照りつけてくるカリフォルニアの太陽を避け、木陰のベンチを選んで腰を下ろした。
直後、背後から声を掛けられる。
「空港で何かやっていたようですが?」
「相変わらず心臓に悪いなぁ」
「分かって座っておきながら何を仰いますやら」
依頼の円滑な解決を図るため、補佐を行う連絡員が付くのだが、不測の事態に対応するため、原則として行動を共にすることはなく、常に同性の者が選出される。
日本各地の主要都市には、神主や私立探偵、公務員などとして拝み屋の現地連絡員が配されている。今回のように現場がそれ以外の土地であったり、僻地や山奥、離島などの場所であった場合は、“姿無き者”と呼ばれる専門の連絡員が派遣される。
「あんたらに知られたらややこしゅうなることしててん」
「それは聞き捨てなりませんね」
「ほら、ウチには難儀なペットがおるやんか?」
「それは……」
しばしの沈黙の後、『聞かなかったことにします』という弱々しい声が葵の耳に届けられた。
「では、今回の件について説明します」
「十三時間もお空を飛んで来たばかりやで? 人使い荒いわぁ」
連絡員は、心がこもっていない葵の愚痴を聞き流す。
「到着が遅れたことで、依頼人との接触は本日十八時以降に延期されました」
「ほぇ〜 売れっ子さんなんやね。忙しいのはえぇことやけど」
つい先程『人使いが荒い』と言ったことを完全に忘れている。
「ですので、先に別件の依頼を片付けてください」
「前言撤回や」
忘れていなかったらしい。
「はい?」
「りょーかいやー。ほんで、ウチはどないしたらえぇの?」
「ここで待っていてください。もうすぐ依頼人が来ます」
周囲を見渡した葵の視界に映りこんだのは、太陽に熱せられたタイルやアスファルトが生み出している陽炎ばかりであった。
暑さばかりが強調される光景に、口がへの字に曲がる。
「せやから、ウチが求める熱い体験ちゅうのはこんなんやないねんて」
「ジョーという名の男です。年齢はハタチ」
「なんや、年下かいな」 ついでにため息を一つ。
「リチウム常用のヘロイン中毒患者です」
「そーいう情報は要らへんよー」
葵はぶらぶらと手を振り、柔らかくそれ以上の情報を拒絶する。
「アイス屋でキャラメル・リボンとストロベリー・チーズをキングサイズで注文してください。“キャラメルは下で”と。そこで電話を受け取ってください。夜にこちらから連絡します」
「トッピング選ぶ権利ぐらい与えて欲しかったわ」
葵は不満を口にしたが、連絡員も本気で言っているわけではないことが分かっているらしく、聞き流していた。
「来ました。彼です」
その言葉を残し、連絡員は何処ともなく消え去る。
どことなく気だるそうな空気を纏った男が近づいてくる。
男の名前はジョー。今回の依頼人の代理人。
「ほな、二つ目をやっつけに行こか」
葵はジョーの前に立ちふさがった。
早くも夏を感じさせる日差しが、葵に無駄な時間の短縮を決意させたのだ。
「ウチが、あんたがお探しの、拝み屋さんや」
葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
― 『拝み屋 in LA』 了 ―
北アメリカ大陸西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルスでは、冬でも最高気温が二十度に達する。夏であれば当然のように暑く、それ以外の季節に日本から渡っても暑いと感じる。
空調の効いた到着ロビーから一歩外に出ると、早くも夏を感じさせるカリフォルニアの太陽が情け容赦のないハグを求めてくる。
葵は寒さが苦手なのだが、暑いのは好きではない。
だが、それだけだ。
まず最初に、暑いと感じている自分を認める。次に、暑いと感じている自分を受け入れる。それで終わりだ。特にどうということもない。
暑さ寒さを感じているのは、他の誰でもない自分自身なのだから、自分自身を律し、制するのもまた、自分自身に他ならない。
それは我慢や根性とは全くの別物であり、“火もまた涼し”とまでは言わないが、詰る所はそういうことだ。
San Diego FWY-i405(サン ディエゴ フリーウエイ)を北へ走ること、約二十マイル。ビーチ・シティからウエストサイドへ。東に一度折れて、ウエストウッド大通りを北上すれば、目的地は目と鼻の先だ。
葵はサンセット大通りの南にある、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に向かっている。更に東へと進めば、誰しも一度は耳にしたことがある住宅地ビバリーヒルズがある。
UCLAのモットーは“Fiat lux”そこに光あれ。その言葉を聞いてピンとこない者は世界的に人気のこの大学へ入ろうとは思わないし、その言葉の意味を見失った者は自然とこの大学という社会で孤立し淘汰されていく。
UCLAは、一九一九年に設置されたアメリカ合衆国の州立大学である。入学難易度は“Most Selective”とても難しいということだけ、無くなっていても気がつかない場所に保管しておくといい。あくまでも放置ではなく、保管だ。
「ここでえぇわ、あとは歩くによって」
日曜の昼間ということもあり、サンセット大通りの交通量は多い。渋滞はしているが、車が全く進まなくなるほどでもない。しかし、不思議とクラクションが鳴り止むことはない。
「釣りはチップや、とっとき」
葵は運転手に五十ドル渡してタクシーを降りる。
チップの相場は一割から二割であるため、タクシーの運転手は額不足の不満を顔に出していたが、葵はそれを爽やかに無視した。
さまざまな国のさまざまな人種が入り乱れ歩く街並みに、葵は一つの理想を見出す。
葵は、地球上のあらゆる場所で、このような光景が見られるようになればいいと思う。人種という言葉が無くなってしまえばいいと思う。民族を誇りに思うことと、他を虐げることとは全くの別問題であるはずなのだ。切り分けが出来ていない以上、それらの言葉は共存の弊害でしかない。
とはいえ、この光景の薄皮一枚隔てた内側に、ドロドロとした思念が蠢いていることは分かっている。目の前にあるものが、仮初めで、見せ掛けで、取り繕っただけの光景であったとしても、いや、偽物であるからこそ、葵はそこに希望を抱いたのだ。
葵がUCLAに到達したのは、十三時ちょうどであった。
広大な敷地に建設された百を超える施設と、職員と生徒を合わせた四万を越える先住人が、異邦人である葵を迎え入れる。
歓迎でも拒絶でもないのだが、葵には望むところだった。
極意は自然との調和。人間が自然から生まれたものであるならば、人間の営みも自然。人間が生み落とした想いもまた同義。
媚びることなく、拒むこともせず。ただ自己の存在を在りのままに掻き鳴らすのみ。他に併せるわけでもなく、否定するわけでもない。
それが調和だ。
葵は容赦なく照りつけてくるカリフォルニアの太陽を避け、木陰のベンチを選んで腰を下ろした。
直後、背後から声を掛けられる。
「空港で何かやっていたようですが?」
「相変わらず心臓に悪いなぁ」
「分かって座っておきながら何を仰いますやら」
依頼の円滑な解決を図るため、補佐を行う連絡員が付くのだが、不測の事態に対応するため、原則として行動を共にすることはなく、常に同性の者が選出される。
日本各地の主要都市には、神主や私立探偵、公務員などとして拝み屋の現地連絡員が配されている。今回のように現場がそれ以外の土地であったり、僻地や山奥、離島などの場所であった場合は、“姿無き者”と呼ばれる専門の連絡員が派遣される。
「あんたらに知られたらややこしゅうなることしててん」
「それは聞き捨てなりませんね」
「ほら、ウチには難儀なペットがおるやんか?」
「それは……」
しばしの沈黙の後、『聞かなかったことにします』という弱々しい声が葵の耳に届けられた。
「では、今回の件について説明します」
「十三時間もお空を飛んで来たばかりやで? 人使い荒いわぁ」
連絡員は、心がこもっていない葵の愚痴を聞き流す。
「到着が遅れたことで、依頼人との接触は本日十八時以降に延期されました」
「ほぇ〜 売れっ子さんなんやね。忙しいのはえぇことやけど」
つい先程『人使いが荒い』と言ったことを完全に忘れている。
「ですので、先に別件の依頼を片付けてください」
「前言撤回や」
忘れていなかったらしい。
「はい?」
「りょーかいやー。ほんで、ウチはどないしたらえぇの?」
「ここで待っていてください。もうすぐ依頼人が来ます」
周囲を見渡した葵の視界に映りこんだのは、太陽に熱せられたタイルやアスファルトが生み出している陽炎ばかりであった。
暑さばかりが強調される光景に、口がへの字に曲がる。
「せやから、ウチが求める熱い体験ちゅうのはこんなんやないねんて」
「ジョーという名の男です。年齢はハタチ」
「なんや、年下かいな」 ついでにため息を一つ。
「リチウム常用のヘロイン中毒患者です」
「そーいう情報は要らへんよー」
葵はぶらぶらと手を振り、柔らかくそれ以上の情報を拒絶する。
「アイス屋でキャラメル・リボンとストロベリー・チーズをキングサイズで注文してください。“キャラメルは下で”と。そこで電話を受け取ってください。夜にこちらから連絡します」
「トッピング選ぶ権利ぐらい与えて欲しかったわ」
葵は不満を口にしたが、連絡員も本気で言っているわけではないことが分かっているらしく、聞き流していた。
「来ました。彼です」
その言葉を残し、連絡員は何処ともなく消え去る。
どことなく気だるそうな空気を纏った男が近づいてくる。
男の名前はジョー。今回の依頼人の代理人。
「ほな、二つ目をやっつけに行こか」
葵はジョーの前に立ちふさがった。
早くも夏を感じさせる日差しが、葵に無駄な時間の短縮を決意させたのだ。
「ウチが、あんたがお探しの、拝み屋さんや」
葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
― 『拝み屋 in LA』 了 ―
作品名:拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ― 作家名:村崎右近