小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

竜が見た夢――澪姫燈恋――

INDEX|3ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

第一章   投じられた一石




 水の竜はひどく情が深く、そして気まぐれで――残酷だった。
 水の竜に現在仕える巫女は、竜の力の器として最適だった。不幸なほどに。
 あまり長じないうちに巫女となり、不老長寿となったその娘は竜の力があまりになじみすぎていて、感情の起伏がほとんどなかった。水の竜はそれを哀れんでいた。けれどどうしようもないこと、と達観してもいた。
 所詮は神と人。あり方など違って当然なのかもしれない。
 それでも竜は竜なりに己の巫女を慈しんでいた。巫女を守る守が表情の変わらぬ少女を厭えば遠ざけ、巫女を宮から必要以上に出さないことで彼女を守る。
 ――そう、水の竜に仕える当代の巫女に、守は存在しなかった。


「……」
 薄暗い宮の一室。
 水の竜に仕える巫女は、一人の男を看ていた。
「っ……」
 男の額に汗が滲めば布でぬぐい、水分がほしかろうと思えば水差しを口元に。人と接することの少ない彼女なりに、精一杯看ていた。

『……巫女よ、その男は峠を超えそうだの』

「主(あるじ)さま……」
『この傷でたいしたものよのう』
 おかしそうに笑う少女の主。何が面白いのか、彼女には分からない。男を見つめ、ことりと首をかしげる。

 村人たちが扱いに困って運んできた男。何があったのかひどく傷だらけで。
 目を開いてはいたがはたして巫女や他のもののことを認識していたかどうかは怪しい。
 ただ……。

『のう、わが巫女よ。何故この男を助けようと思うたか?』
「……わかりませぬ。ただそうするべきと……」
 巫女は、巫は、ただ竜のために。
 世の儀など、知らぬと。
『ほう』
「……いいえ、違います」
 苦しそうに頭を振る。自分でも何を言いたいのか分からなくて。
 竜は少女の言葉を待つ。
「……怖いのです、主さま」
『何を恐れようか』
「この方の、目が……」
 開いていたその目には、怖いほどの強さが。
 どれほどの深い情なのだろう。推し量れないほどに強い、光があった。
 何をそれほどまでに思っているのか。
 それは憎しみなのか。悲しみなのか。
 情に疎い少女には分からなくて。ただ恐怖する。

「主さま、わたしはこの方が怖いのです。なのに助けてしまったのです……」


 自分にしては珍しく、泥のようにと比喩される眠りにあったらしい。
 眠りからさめてまず、そう思った。
 彼――戒は寝起きがいい。有事の際にすぐに動くため。
 いつもなら目を覚ましてすぐに身体を起こすが、今回はうまくいかない。
 断続的な痛みに、自分が何をして、どうなったのかを思い出す。――どうやら生き延びたらしい。
「……ここは」
 どこなのかと呟きかけて止める。誰かが近づいてくる気配に目を閉じた。見慣れぬ天井が見えなくなる。
 手当ての施された傷。うっすらと記憶に刻まれた、自分を看る手。
 覚えてはいるし、近づいてくるのもその人物だろうとは思う。だが戒はその人物を信用する気にならなかった。
 手当てしてもらったことは感謝するべきかもしれないけれど、意図が読めない。

 室内に入る気配。戒が眠っていると疑っていないのか、無防備な足取り。
 音がほとんどしないのはならばただの癖か。
(子供か……?)
 伝わる僅かな情報にそう判じた――子供とて、彼の部族と同じような育ちならば油断できないけれど。
 衣擦れの音とともに気配は彼の枕元に座る。
 そっと伸ばされたのは恐らくその人の手。
「――っ」
 掴んだ手は予想以上に細かった。引き倒した身体は彼にとって信じられないほど華奢で。襲う傷の痛みも予測以下。
 牽制のために右手で抑えた首も細すぎて、簡単に折れてしまいそうなほど。
「……な……」
 戒は、息を呑んだ。
 それは自分が押さえつけた人物がまだ少女だったからだけでなく。
「……」

 絹糸のような黒髪。
 だのに蒼い、双眸。
 押さえ込んだ男を見返す無力な、存在。けれどその表情はなんの感情も浮かべず。
 ただ、瞳の奥で「何か」が揺れている――。

 蒼い瞳の奥に宿る感情の名を思い出すより先に暴れだす危機感。戒は激痛を堪えて少女から距離を取った。
 何が起こるのか分からぬまま、己の勘に従って構える。左手と右手を十字に交差させ、心臓と喉を庇う。
 即時に判断を下した戒は、しかし次の光景に目を見開いた。
 少女が持ってきたのだろう水差し。
 誰も触れていないのにそれが勝手に揺れだした。転瞬、中の水が飛び出した。意思を与えられたかのようにあるまじき動きをするそれは、明確な意図を宿して戒めがけて襲い掛かってくる。
 蛇のように。
 あるいは水の刃のように。
「……くっ」
 新たに生まれるだろう痛みに備えるしかない戒。彼は細めた目で水を見つめた。

『……やれやれ』

「――!?」
 男にしては高く、女にしては低い声が響いた直後、水は突如動きを止めた。
 戒の目前で留まる水たち。
 それでも安全を確信できずに目を放せない戒の耳に、先ほどの声が届く。
『危ない男よの。警戒を怠らぬはそなたの自由だが、自らを省みないもほどがあろうて』
「あなたは……」
 視界の隅に映ったのは高く結い上げてもなお長い髪を持つ、恐ろしいほどに美しい女。その瞳は少女と同様に蒼いが、それ以外は何一つ似ていない。
 何より身体の底から溢れる感覚が戒に教える。
「これ」は、人ではない。
 ではなんなのかと考えに浸りそうになる己を、頭を振ることで戒は止めた。それより先にしなければならないことがある。
 彼は少女に視線を戻した。
 戒が寝ていた床から身体を起こす華奢な娘。乏しい表情の中で一番雄弁なのは瞳で。それでも微かなそれが何を伝えているのか、戒は気づいた。
 苦痛を伝える身体になおも鞭を打ち、彼は両手を床につく。
「――ご無礼をいたしました」
「……?」
 頭を下げた戒に少女の顔は見えない。だがそれは別にいい。
「助けていただいた礼も述べず恩知らずの振る舞い、痴れ者と言われようと返す言葉もございません」
「……」
 微かな戸惑いを感じるのは気のせいだろうか。
「何よりあなたのような女性にする振る舞いではありませんでした。怯えさせてしまい、申し訳ございません」
 身を起こした瑠璃はぼんやりと自分が助けた男を見つめる。言っている言葉の意味が、正直分からない。
 男はひどい傷を負っていた。それはつまり、傷を負わせた存在がいるということ。
 どのような事情を抱えているか知らないが、警戒をし続けなればいけない状況にあると見ていいのだろう。
 だから目を覚まして自分が見知らぬ場所にいると知り、近づいてきた己に牙を剥いた。状況を把握するために。
 ただ、それだけのことではないのだろうか。
「……傷に、障ります」
「……?」
 男に訝しげな視線を向けられて、瑠璃こそが首を傾げたかった。
 男の傍にいる主は何も言わず、ただ見ているだけ。
 そこでようやく、水が凶器となっていることに気づいた。自分の中で生まれた「揺れ」が水でもって男を害さんとしていること、それを主が止めてくれていることに。
 瑠璃は一度目を閉じて、心の中の「揺れ」を止めた。きっと、男が自衛のために牙を剥いたように、自分も身を守ろうとしたのだろう。