運命に導かれて
美雪はハイペースに酒を飲んだ。
「そんなに飲むと酔っぱらうぞ」という吾郎の忠告に対して、
「今夜は酔いたいのよ。お願いだから酔わせてよ」
「いいじゃないの。吾郎さん。今日だけはわがままにさせてあげてよ。ずっとあなたを待っていたの」
吾郎は結局、閉店までいた。そして前と同じように美雪を送ることになった。
ベッドに横たえたとき、美雪が絡み付いてきた。
「この前、私のおっぱいを吸ったでしょ?」
「気づいていたのか?」
「気づいていたけど、言葉が出なかった。寝たふりをして、目をつぶってずっと待っていた。でも何もしなかった。『行かないで』と心の中で叫んだのに」
「聞こえなかったよ」
「行かないで……私を抱いてよ」と美雪は言った。
「聞こえた?」
「聞こえたよ」と美雪を抱き寄せた。
美雪は自分から服を脱いで、部屋の明かりを薄暗くして、下着姿の身をベッドに横たえた。吾郎も服を脱ぎ裸となって美雪に重なった。
「この俺で、いいのか?」
「いいの。ずっと吾郎さんのことを思いながら、独りでHをしていたから」
美雪の大胆な発言に吾郎の方が赤面しながらも抱きしめた。
吾郎は寺で暮らす京子おばさんを訪ねた。京子おばさんは母方の親戚である。同じように夜を捨てた女たちが、ともに暮らしていた。
「あれから随分と経ちますな? なぜ、また……。その顔をみると、何かありました」
「いえ何も……」
「無いわけではないでしょう。その顔に書いてあります」
叔母は相変わらず美しい人だった。その美しさゆえに、多くの男と出会い、結果的に不幸に陥れた。そして、最後に男が投身自殺を図ったとき、幼子を連れた、その男の妻になじられた。そのから、叔母はこの世を捨てた。三十二歳のときである。
吾郎にキスの仕方を教えてくれた人でもあり、また愛する母が死んだとき、その大きな胸で抱きしめてくれた。
「貴いものは目に見えないの。そして、その多くは失って初めて気づく」と彼女は教えてくれ、「何をめそめそしているのよ。ちゃんと生きないといけないでしょ。悲しんで何になるの」と励ましてくれた。
母の死のときも、美沙の死のときも吾郎を慰めた。
「人間は本当に煩悩を捨てられますか?」
「あら、突然、何を言い出すの?」
「叔母さんだから、正直に聞きます。美沙が死んだとき、もう人を愛せないと思った。でも、その気持ちが揺らいでいる」
叔母は笑った。
「あなたはまた煩悩の炎に焼かれたいのね」
「もう焼かれています」
叔母さんは手を叩いて笑った。
その仕草はとても六十歳には見えなかった。
「いいじゃないの。狂ってしまえば。煩悩の炎に焼かれるのも、愛欲の深淵に落ちて抜け出せなくなるのも、幸せになるのも、みな運命よ。誰も運命から逃れることはできないの。全てを任せなさい。全ては運命よ。あらゆるものが輪廻の輪の中にある。誰も抜け出せない。ならば、それを積極的に受け入れた方がむしろ道が開ける。どんな人を愛したのか分からないけど、愛したなら、とことん愛しなさい」
寺を出たとき、吾郎は心が少し軽くなったのを感じた。
十二月になった。
街のあちこちで早くもクリスマスの飾りが増えてきた。
吾郎はクリスマスの飾りを見て、ふと美沙の顔が浮かんだ。けじめをつけるために美沙の墓参りをしようと思った。
『今度の土曜日、ねえデートして』と美雪からメールが着た。
『無理だ。用がある』と返信した。
すぐにまたメールが着た。
『どんな用があるの?』
『大切な人の墓参りだ』
『分かった。それは美沙さんと言う人でしょ?』
『どうして、そんなことを知っている?』
『この前、うわごとで言っていた。てっきり他にも好きな人がいるのだと思っていた」
『もう二十年前にこの世から消えている」
『ずっと、その人のことを思って生きてきたの?』
『気になるか?』
『別に気にならないけど、もし、そうだとしたら、尊敬する』
『どうして?』
『今の時代、みんな薄っぺらな愛しかないもの』
『不器用に生きてきただけだ』と吾郎が返信すると、美雪はメールを寄越さなかった。
美沙の家は湘南にあり、墓は海の見える寺にあった。墓に向かって手を合わせた後、吾郎は、「美雪という女を好きになった。許してくれ」と告げた。
帰るとき、吾郎は美沙の母親に擦れ違ったものの、まるで気付く様子もなかったので、あえて挨拶をしなかった。美沙の死から二十年の歳月が過ぎたのである。
その夜、美雪のマンションを訪ねた。
美雪を抱いているときに、吾郎は聞いた。
「美雪はだいぶ感じやすくなったな?」
「違うと思う。きっと吾郎さんのことが好きだから。目をつぶって、吾郎さんの動きを予感するの。手の動きが匂いや、息遣いで。そして体が勝手に反応してしまうの。まるで私じゃないみたいに」
「それだけ良い女という証拠さ」
吾郎は沙織への贈り物は安物だった。割り切った愛にふさわしいものを贈っていた。けれど、美雪にだけはそんな安っぽいものを贈りたくなかった。豊かな胸を飾るようなネックレスにしようと考えた。高価すぎても安すぎてもだめのような気がした。家に帰ってから、インターネットで選ぶうちに一週間が過ぎてしまった。注文して届いたのがクリスマスのイブの前日。
イブの日。平日だった。
会社を終えると、すぐに美雪のマンションに行った。その前にメールを書いて送った。
「君のために買ったものがある。それを渡しに行く」
すぐに返信がきた。
「とても嬉しい。私の為に選んでくれたことが嬉しい」
夜になって雪がちらついてきた。
吾郎は雪を見ながら思った。美雪はこんな夜に生まれたのだろうかと。
妙な照れ臭さを覚えてながら部屋のチャイムを鳴らした。
美沙が出てきた。美雪は赤い帽子を被っていた。
「待っていたわ。私のサンタさん」と言って赤い帽子を吾郎の頭にそっと載せた。
「ねえ、観て、雪よ」
細かな銀片のような雪が街灯に照らされている。
「君の雪だ。美しい雪」と言って美雪を抱き寄せた。
ふと、遠い昔、花が舞う日、美沙に出会ったときのことを思い出した。
「どうしたの?」
「何でもない。ただ、『人は自分の片割れを求めて旅をする』と言われたことを思い出していた」
「片割れは見つかったの?」
「美雪が片割れだ」
美雪を抱きしめながら、吾郎は過去を振り返ってみた。あたかも一本の線路のようにつながっているように思えた。まるで運命に導かれて、美雪に出会ったような気がしてならなかった。