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運命に導かれて

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『運命に導かれて』

そのときは、不条理と思えるような出来事でも、後で振り返ると、それがあたかも必然的に起こったように思えることがある。それを運命と呼ぶ。人は運命に導かれ、人生という名の旅をする。

山形吾郎の父である哲夫にガンが見つかったときは手遅れで、半年後には死んだ。彼がA大学理学部一年生のときである。あまりにも突然の死であった。彼も、彼の母である静江も、その死を素直に受け入れられず不条理とさえ思った。当然、伴侶を失った静江の方が、不条理という思いが強く、また心も深く傷ついた。
静江は生きるために夫を失った悲しみを忘れようとしたものの、いっこうに忘れることができなかった。いや、むしろ忘れようと思ったせいで、逆に何かにつけて思い出すことが多くなってしまった。そのせいか、夜になると、ぼんやりと仏前の前に座っていることも多くなった。そんな母のことが心配で、吾郎は長い休みがあると、必ずといっていいほど帰省した。
哲夫の死から半年が経った、三月の初めのことである。そのときも吾郎は春休みを利用して帰省していた。静江が縁側でぽつんと一人で座り、生気を失ったような顔をして、ぼんやりと庭のあたりを眺めているのを見つけた。
明治から続く古い家柄である山形家の広い庭には、中央に梅の古木があって、数日前から白い花をつけ、朝からしとしと雨が降る中、品のいい香りを仄かに放っている。
ぼんやりとする母にただならぬものを感じた吾郎は、「どうしたの!」と聞いた。
しばらく反応しなかった。静江は、庭の梅の花でも眺めているように見えるが、実際はそうではなかった。うつろな目で、まるでこの世ではない別世界を眺めているように見えた。吾郎は言いようのない不安、たとえば魂が抜け出て、どこかに飛んでいくような不安を覚えて、母の肩を強く揺すり、「どうしたの?」と何度も繰り返した。
しばらくして、我に返った静江は、「何でもないよ。ただ疲れただけ。心配しなくてもいいよ」と吾郎の方を向き微笑んだ。
「母さん、死んだら、だめだよ」と吾郎は唐突に言ってしまった。
やはり父を失った悲しみから立ち直れないでいる。いや、そればかりではない。自ら進んで、死というらせん階段をゆっくりと下りているように思えたのである。そのとき、吾郎は母が自分よりも父を深く愛しているのだと思い知らされた。
「突然、何を言い出すの?」
「お願いだから、約束して」
「分かったよ。約束する」
静江は微笑んだ。
だが、それは偽りの微笑みだった。むろん、吾郎も気付いていた。
静江の悲しみは癒されることがなく、それから一年半後、まるで後を追うように、あっけなく、この世を去った。まだ五十五歳の若さであった。吾郎は最期の言葉を交わす間もなかった。理不尽に独り残されたと思った。悔しさと悲しみを抱えたまま葬儀の日を迎えた。
その日、未明から雪が降り始めた。雪は風もなく静かに天空から降る。まるで小さな花びらのようにゆらゆらと落ちていた。
葬儀が終わった後、親族が吾郎の家に集まった。故人を思いながら酒を飲み交わした。
吾郎は一人、窓辺で雪降るさまを眺めていた。すると、近寄ってきた遠い縁戚の男が呟くように言った。
「人間の運命なんて変えられるものじゃない。初めから決まっている。運命に導かれて生き、そして死ぬだけだ。悲しんでもどうにもならない」
独り言なのか、それとも自分に向かって言ったのか、吾郎は判別できなかった。ただ、彼があまりにも悲しそうな顔をしているのを不思議な思いで眺めた。なぜなら、母に何かにつけ意地悪なことをしていたのを知っていたので、母の死を悲しむことはありえないと思っていたからである。
「この次は俺の番だよ」と遠い親戚の男は微笑んだ。
今度は明らかに吾郎に向かって言っている。だが、吾郎にとって、どうでも良いことだった。なぜなら、彼は母の死を少しも実感できず、どう向き合えばよいのか分からず戸惑っていたからである。
「ひょっとしたら芝居かもしれない。自分を欺いている芝居でしかない。そうでなければ夢だ。明日になれば、この夢がさめれば、きっと笑顔の母に会える」と思う一方、「これは現実だ。夢ではない。お前の心がこんなに大きく空いているではないか。ちゃんと現実を直視しろ」ともう一人の自分が叫ぶ。どっちが本当なのか分からず幼子のように戸惑っていた。
吾郎は降る雪をなおも眺めていた。ふと、この雪さえも芝居の道具かもしれないと思った。確かめるために窓を開けた。すると、雪が入って頬を当たった。冷たい。確固たる現実だ。だが、母の死も、葬儀も、みな芝居であってほしい。雪の景色を眺めながら、そう願わずにはいられなかったが、それは叶わぬことであった。

納骨がすむと、「いいかい、墓参りは何があろうとしなきゃだめだよ。いいかい。それが残されたお前の役目だよ。戻るまでは、私が家も墓も守ってやるけど」と父の妹である叔母の井上松子が吾郎に強く言った。そのとき、はじめて自分は死んではいけないと気付かされた。自分が死んだら、墓を守る人間がいなくなるから。墓を守る。それが唯一、生き続けなければならない理由となった。

心に大きな穴が開いたまま、吾郎は大学に戻った。まるで抜け殻のような生活を送っていたが、大学四年生の春、サークルのコンパで文学部四年生の森山美沙と出会ったことで大きく変わる。
コンパの時、吾郎の隣に美沙が座った。話をしているうちに、吾郎は美沙の声が美しいと思った。次に美しい瞳をしていると思った。
吾郎が美沙にビールをついでいるとき、酔ったせいで体が必要以上に傾き、顔が彼女の胸の軽く乗ってしまった。なぜが、とてもいい匂いをしていると思った。その匂いが頭から離れなくなったことがきっかけとなり、恋の相手として意識するようになった。何度かデートに誘った。デートを重ねるごとに恋する思いが強くなっていた。

ちょうど桜が満開の頃である。
吾郎は美沙の部屋に訪れた。玄関先で花束を渡し恋心を告白した。美沙は花束を受け取りながら笑った。あまり本気にしなかった。
ドアが開いたままだったので、一陣の風が入ってきて、その風に乗って桜の花びらが吾郎の肩についた。
美沙が、「花びらがついている」と払うと、「今朝は風が強いみたい。ねえ、早くドアを閉めて」と言った。
言われるままに吾郎はドアを閉め、美沙を見つめた。すると何を思ったが、ふいに口づけをした。
「僕は本気だ。ずっと前から『好きだ』と言っていた」と言い訳をした。
 確かにそうだった。だが、美沙は半分冗談程度しか受け取っていなかった。
「俺はお前がほしい」と抱きしめた。
あまりにも突然の出来事に美沙はどうしてよいか分からなかった。
「嫌いか?」と聞いた。
「嫌いじゃないけど……」
 むしろ美沙は好きだった。実をいうと、彼女も最初、出会ったときから、吾郎を男として意識するようになっていた。同じように恋心を抱くようになった。いつだったが、吾郎に抱かれる夢さえ見てしまった。
「じゃ、好きということか?」
あまりにも唐突な質問で美沙は答えられなかった。吾郎を見た。真っ直ぐに見つめる吾郎の瞳に何か熱いものを感じた美沙は動けなかった。
作品名:運命に導かれて 作家名:楡井英夫