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津軽銀之助
津軽銀之助
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銀之助随筆集

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手記 髭 二〇一六年六月二十三日



 顎を撫でると、手指にちくりとした感覚がする。私は二日か三日に一度、愛用の五枚刃髭剃りを用いて、顎髭と口髭を剃り落としている。今日は、以前剃ってから二日経っているから、一ミリの短い顎髭が、ひっくり返した剣山のようである。今夜が剃り時であろう。
 髭を剃るとき、毛を鋭角に切断することがある。それがちょうど、針のような鋭さになり、坊主頭の伸びた髪の毛とは違った、固く鋭いちくちくを生み出すのだ。
 この鋭利な顎髭が一度気になってしまうと、私は常に撫でまわしていないと気が済まなくなってしまう癖がある。困ったものだが、偉い人の話を聞いているときでも、女の子の相談話を聞いているときでも、私は顎を撫で続け、時には顎髭を一本一本、指でつまんで抜いてやろうとさえしているのだ。
 髭に夢中になるあまり、作業が滞ることもしばしばである。本を読んでいるときは、難しい顔をして顎髭を触り続け、一向に頁が進まないのである。傍から見れば、難しい本を読みながら熟考している様に映っていることだろうが、私はそうした難しい問題と向き合っているというよりかは、短く抜きづらい髭と向き合っているのである。

 就活の為に電車で移動しているとき、私の目の前に座っている男性の髭が気になった。鼻の下には、立派な口髭を携えて、その長さは上唇を覆い隠してしまう程であった。黒と白の混じった、全体的に灰色の口髭は、山高帽を被ればまさに、大正のモダンボーイのそれである。
 その髭の男は、文庫本を真剣に読み進めていた。私はその姿を見て、ふと他愛もない疑問を抱いたのである。
「もし、私がこんな髭を生やしていたら、四六時中髭を弄り続け、とうとう何も出来ないまま、一日が終わってしまうのではないだろうか。」
 彼は、私が電車に乗っている間、その髭を触るようなことはしなかった。彼はいとも容易く、自身の髭を扱っているのだ。長い年月、髭と共に歩んできた人間だからこそ、こうした所業をこなすことが出来るのだろうと、私は感服せざるを得なかったのである。

 私はまだ齢二十一であるから、中年の男とは違い、まだ髭の数は少ない。それ故に、立派な髭を生やそうとしても、きっと不格好になるだろう。私の友人の中には、―きっと発育の速い子供だったのだろう―大学に入学して間もない頃に、立派な口髭を育毛させている輩が何人かいた。私は彼等とは違い、どうも発育が良くないようで、電動剃刀を使う日は、まだまだ遠くの未来の話であろう。
 就活が終わっても、私は五枚刃の髭剃りを使い続けることになるはずだ。これでも、大学入学当初に比べ、髭は濃くなってきているものの、この中途半端な数の髭が、私の口と顎に違和感を齎し、その違和感の為に、私は煩わされているのである。一層のこと、沢山生えてくれれば、それが自然となって、気にならなくなるのであろうが。
 ここまで、髭の話を書いてきたが、たかが雑文千文字程度を書き上げるのに、一時間以上を要したのは、これを書いている間も常に、顎を撫でまわし、一本の髭と格闘していたからなのである。

作品名:銀之助随筆集 作家名:津軽銀之助