銀之助随筆集
手記 夏至の梅雨に咲く 二〇一六年六月二十一日
小雨と大雨が代わる代わる降り続く、夏至の今日。湿り気を空気に孕んで、じっとりと私の体に纏わりついてくる。傘をさしている私の右腕には、霧吹きで吹きかけられたような雨水を感じる。ズボンの裾は、雨に濡れて不快な冷たさを帯びているが、梅雨というものは、この雨天が常なのだからと観念して、この冷たさを受け入れる。癖毛の前髪は、普段の落ち着きを忘れて、自制の効かない様子である。
外を歩いていると、数羽のハト達が、地べたをあちこちと歩き回っている。濡れて黒光りするアスファルトの上を、その小さな裸足で歩くというのは、一体どんな心地がするのであろうか。
私は傘をさして、池袋を歩いている。行き交う人々は皆、自分の身の丈に合わぬ程大きなビニール傘をさしているから、幾度も他人の傘と私の傘がぶつかるのである。私の持っている傘は、自分の身体を風雨から守るのには最適で、最低限の大きさである。他方、私に傘をぶつけてくる人は、三人が並んですっぽり入ってしまうような傘なのである。それは、夏場の海水浴場に乱立するパラソルを想起させる程だ。
私は人が密集する場所を避けるように、なるべく人の少ない方へと逃げると、今までの梅雨の不快感は霧消し、少し蒸し暑いが、水を受けて喜ぶ紫陽花のように、霧雨に包み込まれた私の身体は、とても開放的であった。
池袋は、兎に角人が多すぎる。多すぎるから、一切の季節感を失ってしまうのである。道端に紫陽花の姿はなく、それどころか街路樹さえ、一定の間隔で並べられている姿を見ると、ある種の人工物のように思えてしまうのである。東京の夏は、多くの雨を齎すが、一向に梅雨はやってこない。
私は暫くして、友人と合流した。彼と昼を食べる為に、手頃な値段の洋食レストランに入ることにした。二階にあるそのレストランの席に着くなり、一度窓を覗いてみると、眼下には、様々な色の傘をさし、数人の列をなした傘の流れが、川のように動き続けている。対流と交わるところを見ると、傘同士がぶつかり、くるりと回っている。
ふと、流れの淀んだ場所を見つけると、そこには様々な色の傘が二、三十個固まって、その場に留まっている。何かの集まりなのだろうか。
私はその淀みを観察している。青、白、赤、紫、多くの色が、一つ一つの点を成し、それらの点は、梅雨の時期に咲く紫陽花のようである。花弁には、雨水の水滴を湛えて、潤しい見事な紫陽花を咲かせていた。
なるほど。池袋にも、梅雨はやってきているのだ。