雨つぶチャッピの冒険
「おじさん、ひとつきいていい?」
「いいよ、どうぞ」
「世界中を旅したおじさんが、どうしてこんなところにいるの?」
「いろいろあってな」
「いろいろって?」
「今度ゆっくり話そう。想い出が多すぎてな」
「今度って、いつ?」
「今度といったら、今度」
「今すぐききたい!」
「これこれ、年寄りを困らせるものではない」
チャパはぼくをたしなめた。
チャパにはどこか秘密めいたところがあった。でもその秘密をぼくに話してくれそうになかった。
秘密をいっぱい抱えこみすぎて、チャパはきっと伝説になったのだ。
「おじさん、もうひとつきいていい?」
「お次は何かな?」
「ジャアクナヒカって何?」
「ジャアクナヒカ・・・。邪悪な光。チャッピ、誰からそれを?」
「ルルが言ってた。それを決して見ないこと」
「すまんが、そいつも今度にしよう。いや、お前さんがもう少し大人になってからに」
「ダメ!これはチューイジコーのみっつめだから」
「注意事項?」
「とぶときのチューイジコー。ルルもよく知らないみたいだったけど・・・」
「そうか・・・」
チャパは間をおくと、あきらめたように遠くを見ながら語りはじめた。
「邪悪な光。聞いた話だ。わしも実際見たことがない。見たいとも思わん。その昔、地上で戦争というものがあった。その頃の話だ。いつものように雨つぶが空を舞っていると、巨大な熱のかたまりが突然地上から立ちのぼった。そこから強烈な光が空一面に放たれた。雨つぶたちはその光に打たれ、一瞬のうちに焼け焦げて死んだ。かつて経験したことのないたくさんの、数えきれないほどたくさんの雨つぶたちが死んだのだ。地上にいた雨つぶたちもほとんどが死をまぬがれなかった。かろうじて生きのびたわずかな雨つぶたちが、この話を語りついだ。誰からともなく伝わり伝わり、わしの耳にも届いた」
チャパはとても悲しい瞳をした。
ぼくも胸の奥がチクチク痛んだ。
ジャアクナヒカ・・・正しくはジャアクナヒカリ。それが恐ろしいものだということは何となくわかった。
でもあまりにぼんやりしていて、実感がわかなかった。それでもさっきより胸の痛みが増していた。
ジャアクナヒカリは、その話をきくだけで、痛みや悲しみを引き起こすものなのか。
恐ろしい。
「そのジャアクナヒカリは、いつあらわれるの?」
「わからない。きょうかもしれないし、ずっと先かもしれない」
「おじさん、だからこんなとこに隠れているの?」
「いや、そういうわけではない。わしは雨つぶとしては歳をとりすぎた。もうとべないのだ。それに・・・」
チャパがそう言ったとき、姿の見えない無数の羽ばたきが目の前を通りすぎた。
チャパはその小さな羽ばたきのひとつを呼びとめた。
「どうした?何があった?」
「洪水がきた。大洪水だ。今度ばかりは逃げるが勝ちだ!」
羽ばたきは早口で答えると、すぐさまとび去った。
「どうしたの、チャパ?」
「チャッピ、この下を流れているのは毒を含んだ泥水だ。それが大量に流れてくるらしい」
そういえば、ゴォーというひびきが大きくなっている。
「大変、逃げないと!」
「チャッピ、わしはもう動けない。わしのからだにも相当毒がまわっているのだ」
「そんな・・・」
ぼくは言葉を失った。
チャパは思案顔をしながら、逃げまどう羽ばたきのひとつを呼びとめた。
「アカイエカさんよ、お願いだ。この子を連れていってくれないか?」
呼びとめられた羽ばたきはちらりとぼくを見た。
「だめだ、重すぎる。足手まといだ」
「そこを何とか」
羽ばたきはいったんは行きかけたが、戻ってきてチャパに告げた。
「もうすぐクマネズミの背骨が流れてくる。それに乗れば助かるかもしれない」
チャパは羽ばたきに礼を言うと、闇の中のどす黒い流れを一心に見つめた。すると、流れの中ほどに反り返った白いものがゆっくり流れてくるのが見えた。
「チャッピ、あれに乗りなさい」
「おじさんは?」
「いいから、行きなさい」
「だめだよ、一緒に逃げようよ」
「わしはここに残る、なに、心配はいらん」
「おじさんを置いては行けないよ」
「お前さんとわしが乗るには、あの骨は見るからに小さい。それにわしはあそこまでジャンプできない」
ぼくはチャパに抱きつくと、ありったけの力をこめてチャパをかつぎあげた。
「これ、チャッピ、何をする。無茶はよしなさい!」
「その話は今度」
ゴォーという音はますます大きくなった。黒い流れが盛りあがり、うねる様子がわかる。早くしないと骨の小舟は流れ去ってしまう。
ぼくはチャパを背負ったまま、狭い出っ張りの端を力いっぱい蹴ってジャンプした。
黒い泥水がしぶきを散らして、ぼくにおそいかかる。ぼくはそのすき間をぬって、クマネズミの背骨にとび移った。
クマネズミの背骨は、ぼくたちの重みで半分ほど沈んだ。ぼくは背骨の突起にしがみついてバランスをとった。
「火事場の馬鹿ヂカラだな」
背中からチャパが言った。
「カジバノ、バカ・・・?」
「ほめているのだよ」
泥水はトンネルいっぱいに広がって迫ってきた。骨の小舟は流されながら、少しずつ沈んでいった。もう足の踏み場がない。
そのとき、前方にかすかな明かりが見えてきた。
「出口だ!」
「助かった!」
そう思ったとき、ぼくのからだがふわりと浮いた。チャパがからだを入れかえてぼくをかつぎあげたのだ。
「何するの、チャパ?!」
「チャッピ、お前さんにはまだやることが残っている」
そう言うと、チャパはぼくをトンネルの出口から空中高く放り投げた。
「待って!」
振り返ると、出口から吐きだされた泥水が激しく踊るように宙を舞っていた。
背骨の白が一瞬かい間見えた気がしたけれど、チャパの姿は見えない。
「チャパ!」
黒光りした泥水は、ひどい臭いを放ちながら下を流れる狭い川に流れ落ちた。灰色の壁にまもられた灰色の川だ。泥水が落ちるあたりだけ、どず黒く泡だっている。
「チャパ!」
ぼくはもう一度叫んだ。
泥水は次から次へと折り重なるように川へと流れ落ちている。クマネズミの背骨もその中に呑まれて消えた。
そして、チャパも消えた。
「チャッピ!」
ぼくを呼ぶ声が聞こえた。それはトンネルからではなく、川の流れてくる方向からだった。
見ると、白くて丸いものが流れてくる。
クマネズミの骨ではない。丸い形をした舟だ。舟はよこ波をうけて大きく傾いた。
そのとき舟の底に一瞬、『Volvic』という文字が見えた。けれどそれが何を意味するのかわからなかった。
「チャッピ!」
もう一度、ぼくを呼ぶ声がした。聞きおぼえのある声。ルルだ。
ルルが丸い舟から身を乗りだしていた。
「ルル!」
ぼくはルルのもとへとんでいった。
「チャッピ、どこ行ってたの?心配してたんだからね」
「ぼくのほうこそさ、ルル」
丸い舟に乗りこんだぼくは、強がりを言った。
ルルは笑った。ぼくも笑った。でもルルは、ぼくがほんの少し淋しげな笑い方をしたことに気づいたようだった。
作品名:雨つぶチャッピの冒険 作家名:JAY-TA