雨つぶチャッピの冒険
「そうだな。俺でも間に合うかどうか。でも今ここであのワルガキたちに、逃げたと思われたらシャクだからなぁ・・・」
マテオはひとしきり思案すると、胸をはって羽先の羽根を丸めて、天に突きたてた。
「いい考えが浮かんだ。チャッピ、うしろ向け」
「何するの?」
「いいから」
マテオは棒状に丸めた羽根をブルンブルン回しはじめた。
ぼくがうしろを向くやいなや、ものすごい衝撃が走った。マテオの羽根がぼくの尻を思い切りひっぱたいたのだ。
その勢いで、ぼくはものすごいスピードで空高くはじきとばされた。
「元気でな、チャッピ!」
という声だけが、ぼくを追いかけてきた。
振り返るとマテオの姿はすっかり小さくなっていた。
勢いが弱まり、ぼくはまたフワフワと落ちはじめた。
下を見ると、二本の銀色に光るレールがあった。そのレールの先から、ガタゴトガタゴトと煙をあげながら四角い顔をした鉄のかたまりが、長細い箱をいくつも引き連れて走ってきた。列車だ。
ぼくはタイミングをはかって、箱の屋根に着地した。しかしうまく着地できず、よろけて屋根の上をうしろ向きに転がった。屋根が途切れたところで次の屋根にジャンプした。でもまた転がるので、またジャンプ。そうして七つめの屋根でぼくは、かろうじて踏みとどまった。
屋根の感触はヒコーキの翼と同じだった。不安がつのった。
この列車はどこへ行くのだろう?
街ってどんなとこだろう?
ルルを見つけることはできるのだろうか?
そんなことを考えながら、ぼくは流れる景色をぼんやりながめていた。
列車はけわしい渓谷を、乾いた砂漠を、緑の草原を、こがね色の農園の間をぐんぐん突き進んだ。
やがて景色の中に、小さな家並がいくつも混じるようになった。列車の両側を小さな屋根が次から次へと、おもしろいようにとんでゆく。
暗いトンネルを抜け、長い橋を渡ると、列車は小さな家の何倍もあるような大きな建物のエリアにさしかかった。
大きな建物はどれものっぺりしていて、冷たい感じがした。
もしかして、これがカクノウコ?
ぼくはマテオの言葉を思いだした。
ローラーでペチャンコに押しつぶされる?!
大変だ!早く逃げないと!
ぼくは屋根の上を行ったり来たりした。
列車は猛スピードで走っているし、どこへ逃げたらいいかわからなかった。
そわそわしているうちに、列車は両側を高い壁にはさまれた谷間に入った。
大きな建物をたてに積みあげたような、背の高い大きな建物がいくつも連なっているところだ。すごく高い建物とそうでもない高さの建物がごちゃ混ぜに入り組んでいて、迷路のようになっている。
列車は急カーブにさしかかり、スピードを落とした。
ぼくは思いきって、列車の屋根からジャンプした。
下を見ると、色違いの花がいくつもひらいていた。
よかった。
ぼくは花のひとつにすっと舞いおりた。
その花は思ったより大きかった。心なしか揺れ動いているように思えた。
「ヨオ!」
呼ぶ声がした。そちらのほうを見ると、花の上で見知らぬ雨つぶたちが大勢集まって、とんだり跳ねたりしていた。見ているだけで、こちらも自然とまねしたくなるような、軽快な動きだった。
「見ない顔だな。よかったら、どうぞ」
別の雨つぶが言った。
「傘の上では、踊ってさしあげるのが礼儀よ」
ここは花びらの上ではないようだ。傘というらしい。
「どうした?浮かない顔して」
「ルルとはぐれたんだ。キミたち、ルルを知らない?ルル・コロン」
「踊っていた雨つぶたちは皆、首を横に振った。
「知らないわ、そんな子。それよりキミ、私たちと踊りましょ」
そう言ってその雨つぶたちは軽やかにとび跳ねると、一回転、さらにもう一回転からだをひねらせた。
ヒューヒューと歓声があがった。
ぼくは彼らの輪に加わらなかった。彼らと自分との間に違う何かを感じたし、踊る気分ではなかった。
ただ、ぼくは悲しかった。
ルルがそばにいないことが悲しかった。
別のヒコーキに呑みこまれてしまったのだろうか?
それともジャアアクナヒカとかいう、得体の知れない生き物に殺されてしまったのか?
そう思うと、いっそう悲しくなってきた。悲しくて空を見あげた。
不意に足もとがグラリと揺らいだ。
「撤収だ!」
誰かが叫んだ。踊っていた連中はいっせいに傘の上からとびおり、街路樹や植込みの葉かげに隠れた。
ぼくは逃げ遅れた。
ひらいていた傘がしぼんだのだ。
ぼくは道路にたたきつけられ、側溝に転がり落ちてしまった。
真っ暗だった。暗闇だけが広がっていて、何も見えなかった。
じめじめしていて息苦しい。ゴォーという低く重たい音だけが聞こえる。
時間がたって、少しずつ瞳がなれてきた。うす暗いトンネルのわずかな出っ張りに、ぼくはひっかかっていた。
どす黒い何かが足もとをゆっくり流れている。それは闇からあらわれ、闇へと消えていった。強烈な臭いだ。
めまいがしそうになった。からだがふらついて倒れかけたとき、何かが、いや誰かがぼくを支えてくれた。
「新入りの坊やだな。ここは狭いから、じっとしていたほうがいい」
年寄りのしわがれた声だった。なぜか懐かしいひびきがあった。暗くて姿はよく見えなかった。
「あなたは・・・?」
「わしか?わしは皆から、チャパと呼ばれておる」
「えっ?」ぼくは驚いた。「あなたが伝説の雨つぶの・・・」
声を押し殺してチャパは笑った。
「いやはや世界中を旅して、しばらく天空にかえってないと、伝説にまつりあげられてしまったか・・・」
闇の中にちらっとチャパの横顔が浮かんだ気がした。
「坊や、お前さん、名前は?」
「ぼくはチャッピ。ほんとうはチャパリオラット・コリンタスキノスなんだけど、姉さんが長いからって、短くされたの」
「チャパリオラット・コリンタスキノスか・・・」
チャパはそうつぶやくと、意味ありげにほほえんだ。
「何なの?何がおかしいの?」
「いや、何でもない。たいそう立派な名前だと感心したのだ。それよりチャッピ。お前さん、どうしてひとりでこんなところにやってきたのだね?」
「姉さんととぶ練習をしてたんだ。そしたら姉さんがヒコーキのエンジンの風に吹きとばされてしまって・・・」
ぼくはそのいきさつをチャパに話した。
「だからぼくは今、姉さんを探しているの。姉さんの名前は、ルル。ルル・コロンっていうんだけど、おじさん、知らない?」
「ルル・コロンか・・・。まったく知らないわけでもない。ながく生きていると、いろいろとうわさ話が入ってくるでな。まあ、心配いらんだろう。もしその子がわしの知っておるルルだったら、そんなことくらいで死にはせん。今頃、お前さんを探し回っておるだろう」
「おじさん、ルルを知っているの?ルルと会ったことがあるの?」
チャパは首を横に振った。
「じゃあ、どうしてわかるの?」
「わかるわけじゃない。ながく生きておればこその勘だ」
確かな答えではなかった。けれど、ぼくは少し安心した。
相変わらずトンネルはうす暗く、ひどい臭いだった。
作品名:雨つぶチャッピの冒険 作家名:JAY-TA