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<未完成>

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 スリープしたパソコンを起こして音量を上げる。履歴からその動画を探す。最後に見た動画から二つ前。東欧のキックボクサーの名前を誤変換して検索された、アイドルの動画を選択する。
 ミコ 1st写真集 「MIKO」 告知映像(メイキングあり)
 タケシはタイムラインの後半にカーソルを合わせ、トラックパッドをクリックした。
「最後に一言」
 男の声がして、彼女が答える。
「初水着、みんなに見て欲しいです! よろしくお願いします!」
 彼女は手を振る。その動きと連動して、彼女の胸も小刻みに揺れる。手を振り返すカメラマンの邪魔な手が、画面の端で揺れる。
 この後――。
 カメラから目線を外した彼女は遠くを見る。唇はほんの少しだけ開いていて、何かを言いかけているような形で止まっている。
〈お婆ちゃん……、ごめんね〉
 彼女はゆっくりと一度だけ瞬きをして、髪を払った。その瞬間がストップモーションになって、画面にタイトルが入る。
 神様がくれた奇跡 ミコ 1st写真集 「MIKO」 10月1日発売!
 タケシはまた目覚まし時計を見た。
 この時間ならまだ館長は起きているはずだ。毎朝五時に起きて走り込みをするタケシとは逆に、副業でスナックを経営している館長は就寝時間が遅い。
 まあいいだろう――。夜中に騒ぐほどのことじゃない。
 パソコンを閉じて布団を被った。タケシは目を瞑り、戦いを再開する。イメージするのは、相手にマウントポジションを取られた局面からの脱出方法だ。島田道場で教えられているのは空手だけではない。打ち下ろされる拳を避けて、相手の腕を掴むタイミングを待つ。
 館長には、明日話せばいい。あいつは、ただ〈心の口〉でしゃべっただけだ。そんなことは、よくある――
 よくあるような話じゃない。
 布団を蹴飛ばして、起き上がった。携帯電話を掴み、島田館長の番号を表示させる。メールやLINEのアドレスは登録されていない。メールを嫌う館長との連絡手段は、直接の電話しかない。
 島田館長に電話をかけると考えただけで背筋がぴんと伸びる。
 ベッドの上に正座した状態で、タケシは発信ボタンを押した。五回目のコールが鳴るか鳴らないかのタイミングで、嗄れた太い声が耳に響いた。
「何だ日向、こんな夜中に」
「押忍。すいません。館長にちょっとお知らせしたいことが――」
「何だ」
「押忍。自分は普段寝る前にパソコンでネットサーフィンしながらいろいろな強い選手の動画を見て研究しているのですが、さっき間違えて、たまたま、偶然に見た、水着の女の動画が――」
「水着の女?」
「押忍。間違えて、たまたま――」
 タケシは耳朶が熱くなるのを感じた。
「そのサーフィンしてる水着の女の感想を言うために電話して来たのか」
「押忍。違います」
 やはり電話はするべきではなかった。
「まあいい。話せ」
「押忍。その女が――しゃべるんです」
 電話の向こうの館長が、息を呑むのが分かった。タケシは落ち着いて言葉を選び、話を続けた。
「パソコンで動画を見ていたら、その女がしゃべるんです。音を消したパソコンから聞こえるんです。さっきちゃんと聞いてみたんですけど、音ではしゃべってないんです。心の口で、お婆ちゃんごめんって言っています。押忍」
 沈黙する館長の息遣いの奥に、薄くカラオケの音が聞こえた。館長は、やはりスナックにいる。
「直接聞く。これから道場に来て、それを見せろ」
「押忍」
 タケシは帯を締め直すと、パソコンを抱え、鉄下駄を履いて、家を飛び出した。

 商店街を抜けて、駅前に出た。
 まばらに行き交う人達が鉄下駄の足音に振り返り、すぐに目を逸らす。
 酔客をフットワークで避けながらガードを潜り、駅裏に出る。パチンコ屋の脇を抜けて路地裏に入り、二軒並んだキャバクラを超えた先にある雑居ビルの階段を地下に降りる。元はピンサロだった黒いドアには、「島田道場」と筆文字で書かれた立派な板が掛かっている。ピンサロ時代から敷きっぱなしの玄関マット。消えかけたWELCOMEの文字の裏に公然と隠されている鍵を取り出そうとして、タケシはすぐにそれを止めた。
 ドアの向こうに館長がいることが、その気配で分かったからだ。
「押忍」
 タケシはドアを開け、鉄下駄を脱ぎ揃えた。道場の真ん中で胡座をかいている館長に歩み寄り、正座して背を伸ばした。
「押忍」
「押忍はもういいから早く見せろ」
「押忍」
 ノートパソコンの電源を入れると、しんとした道場内に起動音が響いた。
 パスワードを入力し、ブラウザを起ち上げる。
 画面に現れたその文字を見て、タケシは凍り付いた。
 ――インターネットに接続されていません――
 当然だ。携帯の電波すら満足に届かない道場で、無線LANが使えるわけがない。マクドナルドやファミリーレストランのフリーWi-Fiも、この地下室からは拾えない。
「おい、日向」
 そのまま石になりたい気持ちを抑えて、タケシは顔を上げた。島田館長は酒で濁った目を薄く開き、分厚い手で顎の無精髭を弄っている。
「ここじゃ見られないのか。全部バレてるぞ」
 黒いジャージのジッパーを下げて、Tシャツの上から乳首をぽりぽりと掻いた後、島田館長はゆっくりと立ち上がった。五十歳を過ぎ腹も出て、現役時代の体から程遠いとは言え、身長百八十七センチ、体重百二十キロの館長は巨大で、その影がタケシを覆い尽くす。
 日向タケシと島田館長は、数秒の間見詰め合った。それだけで、二人は言葉を超えた会話を交わした。
 タケシは声に出さずに押忍と応えて、館長の後を付いて出口に向かう。
 雪駄に爪先を突っ込みながら、島田館長がにやりと嗤った。
〈その鉄下駄、いつも履いてんのか〉
〈押忍〉




 島田道場には黒帯と白帯しかいない。黒帯は館長である島田道久だけで、白帯は日向タケシ一人だけだ。弟子が一人しかいない道場の経営が成り立っている理由は、他流派の空手家やプロの格闘家が、島田に指導料を払って出稽古に来るからで、その金額は選手によってまちまちだ。数千円しか払えない者もいれば、一回の指導に数十万円包んで来る有名選手もいる。遠くはロシアや南米から、島田に指導を受けるために長い時間をかけてやって来る者もいる。指導で得た金銭は、そのまま島田のポケットに入り、決して税務署に申告されることはない。
 格闘家としての島田の戦歴は華々しく、哀しい。
 フルコンタクト空手最大流派の全日本大会に、十七歳で初出場して三位入賞。十八歳で現在でも破られていない最年少優勝を達成。その後、不良少年同士の暴力事件を起こして二年間謹慎した後、二十一歳で迎えた世界大会で二回戦敗退。その悔しさから真摯に空手に打ち込むようになった島田は、翌年からの全日本を三連覇。次の年の世界大会を制して黄金時代を迎える。更に四年後の世界大会を連覇するまで、出場した大会は全て優勝。世界大会の翌年に団体を脱退するまでの九年間、島田道久は無敗のままだった。
 それでも島田は、満足していなかった。
 島田の黄金の九年間は、日本のプロ格闘技ブームの成長期にぴったりと重なっていた。
作品名:<未完成> 作家名:新宿鮭