<未完成>
しかも最悪なことに、入学式から卒業式までまるまる三年間担任が同じで、その人が変態だったんですよ。わたしの裸とかそれ以上のことを想像してるのが、年がら年中見えるんです。文系のクラスだったんで他にも女子がいっぱい居るのにわたしに対してだけですよ。そんな人に何を言われたって信用も出来ないし、高校の三年間ずっとその人が担任なんて何か仕組まれてるに決まってるじゃないですか。頑張って堪えましたけどね。田舎だから公立の女子校がないんですよ。家が貧乏だから私立に転校も出来ないし、そもそも「先生が毎日わたしを妄想で犯すんです」なんて誰かに相談出来るわけないじゃないですか。お婆ちゃんの言う通りですよ。頭がおかしいと思われるだけです。
うちは母親がダメな感じなんで、お婆ちゃんに育ててもらったようなものなんです。お婆ちゃんは、孫のわたしが言うのもなんですけど、優しくて頭が良くて控えめで仏様みたいな人なんです。体の強い人じゃないから仕事はしていなかったけどお爺ちゃんの遺した遺産とか年金とかそんなのでなんとかやっていたんだと思います。
高校を出たらどこか都会の大学に行きたかったけど私立はどう考えても家計的に無理だと思ったし、学力的には地元の国公立にぎりぎり入れるかどうかって感じだったんで、とりあえず共通テストを受けるだけ受けておいて後はまた考えようってことになったんです。大学に入りたいっていうより、変態担任とお母さんとの三者面談が苦痛で一秒でも早く終わりたくて黙っていたら、結果そうなっていただけなんですけど。
でも共通テストを受けなかったら――。試験を受けた会場の前にテレビニュースの取材が来ていなかったら――。わたしはここにいないんです。たまたま地元に来ていて、たまたま朝のローカルニュースを観た事務所の社長がわたしを見付けてくれなかったら、わたしはこんなことにはなってないんです。すごい偶然でしょ?
社長が家に訪ねて来た時のことは忘れられません。地味で冴えないわたしが、彼女の頭の中でアイドルになって、着飾って垢抜けた自分の姿が次々と見えるんです。社長は業界では有名なレズビアンらしいですけど、レズでもなんでも構わないです。彼女が想像するわたしは、全部ちゃんと服を着ていましたから。こんな風に綺麗にしてくれるなら今すぐにでも東京に付いていきたいと思いましたよ。お母さんも大喜びでした。わたしが売れたらお金になると期待していたんだと思います。お婆ちゃんは反対しましたけど――。
お婆ちゃんも社長の頭の中を見たと思います。狭い家だから近くにいたんで。浮かれるわたしの心も見ていたと思います。見えるんですよ。お婆ちゃんにも。お母さんには遺伝してないみたいですけど、わたしとお婆ちゃんは、同じことが出来ます。お婆ちゃんとは、考えるだけで会話することも出来ます。
だからそれほど強くは引き止められませんでした。わたしの気持ちもお婆ちゃんには丸見えで、心の声も丸聞こえですから。それでわたしは、東京に来ました。窮屈な田舎から、一秒でも早く飛び出したかったんです。
お婆ちゃんが寂しそうにしていたのだけが心残りでした。お婆ちゃんは、お母さんが家を飛び出して東京に行っちゃった時のことを思い出していました。その後のお母さんの転落人生を考えたら、反対するのも無理はないなと思いました。でもわたしはどうしても都会に行きたかったんです。
そんな訳で、いまわたしは水着にハイヒールを履いて屋上にいます。
この仕事を始めてまだいくらも経たないですけど、生きている手応えを生まれて初めて感じているんです。高校デビューに失敗したようなわたしが、いきなり芸能界にデビューしちゃってるんですよ。信じられます?
人生が楽しいんです。やっと、そう思えるようになったんです。こんなわたしに心から良くしてくれる仲間もいます。こんな短期間で週刊誌の表紙と巻頭グラビアをやれるなんて思ってもいませんでした。しかも、上手くいけば今回撮影された写真を使って、単独の写真集まで出来るかも知れないって聞いています。水着の撮影は初めてだったんで朝から緊張してましたけど、考えてみたら毎日担任教師の頭の中でめちゃくちゃにされてましたからどうってことないです。男の人が考える妄想のパターンを、この歳でこれだけ分かってる子なんていません。もしいたとしたら、かなりヤバいやつです。じゃ、撮ってください。
――そんなこと、言えるはずがない。
ミコは振り返り、カメラを見た。レンズの先にある、未来を見た。その視線はカメラマンの黒縁眼鏡を貫き、彼の脳味噌の隙間を抉じ開けて後頭部から飛び出ると、太平洋の彼方に向かってまっすぐに延びていき、金色のイルカと並走しながら海の上を突き進んでいった。
行けるところまで、行くしかない。
もう田舎には帰りたくない。
「いいね。クール。よしっ、オッケー」
右目を撃ち抜かれたカメラマンが、写真機を下ろして眼鏡を直した。ヘアメイクの辻川絵美里はハンドブロワーのトリガーから指を離し、二刀流の照明スタッフは構えを解いた。若いスタッフが撮影の終了と撤収を告げ、拍手が起こった。現場マネージャーの吉村弥生が音もなく近付いて来て、体がまた柔らかいバスローブに包まれる。
「ミコ、見て。面白い写真撮ったよ」
目の前に差し出された携帯電話の画面の中には、ビキニ姿のミコ越しの二人――ライトセーバーと光線銃のSFコンビ――が、完璧なフレーミングで切り取られた写真が表示されている。吉村が珍しく笑っているのを見て、ミコは彼女との距離が少しずつ縮まっている気がした。カメラマンがまたファインダーを覗き、一秒後には撮らずに構えを解く。レンズの長さが足りず切り取れなかった彼の写真はクローズアップで、その像を共有して初めて、ミコは自分もまた無邪気に笑っていることに気がついた。
不意に、上空から俯瞰で自分を見るようなイメージを感じて、ミコは東京の空を見上げた。地上が明るすぎて星も見えない夜に、涙型の黒いUFOが浮かんでいる。UFOは瞬きした合間に消えてなくなり、直後、地上に円形のライトが現れた。それは迷いなくまっすぐにミコに近付いて来て、彼女の茶色い瞳に光のリングを映した。
「ミコちゃんどうですか? 撮影が終わって感想は」
光の真ん中にはビデオカメラのレンズがあって、ミコのアップを捉えている。野球帽を斜めに被ったこの男は、確かメイキングを撮っていたスタッフだ。今朝、撮影が始まってすぐ、神経質な有名カメラマンに邪魔だと怒鳴られて小さくなっていた彼が、やっと本来の調子良さを取り戻している。
「水着の撮影は初めてでちょっとだけ恥ずかしくて緊張しちゃいましたけど、楽しかったです! 綺麗に撮ってもらったので、みなさん楽しみにしててください!」
――UFO?
笑顔で応えながら、ミコは思った。長丁場の撮影を終えた興奮で、頭がどうかしているようだ。
「今回の見所は?」
メイキングカメラの男がさり気なくズームレンズを調整し、バスローブの合わせ目からのぞく胸の谷間をフレームに収める。