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<未完成>

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 当然のごとく、その話題を作り出しているのは、主催者だった。
 エボリューションの契約する有名選手達は、その多くが格闘家としてのピークを過ぎていた。手垢のついた彼らの伝説だけで客を呼べる時代は終わりつつあり、メインイベントを海外のトップ選手に頼るやり方にはコスト面での限界があった。日本の格闘技人気が下火になった裏で、アメリカに新しいブームが起こっていて、一流選手のファイトマネーは暴騰していた。生き残る道は国内の新人発掘しかなく、主催者は強い危機感を持っていた。
 トラウマ兄弟は将来的にはヘビー級でも戦えそうな大型選手であり、見た目も言動もやんちゃでテレビ映えも良く、十分なスター性を持っていたが、弟の翔馬は成長期で体が出来上がっておらず、トップファイターをぶつけるにはまだ不安があった。
 同世代には敵のいない翔馬の強さを際立たせ、将来的に利益を生み出すファイターに育て上げるための策として、主催者は十八歳以下の大型選手を集めた大会を企画した。グローブ空手やテコンドー、ムエタイなどキックボクシングの枠を越えた選手の中から七人を発掘し、選抜八名のトーナメントを組んだ。それが、エボリューションU18トーナメントである。
 キックボクシングをベースにした、ウエイト制限なし、首相撲なし、肘打ちなし、1ラウンド3分、判定は各ラウンドのマストシステムで延長なしの3ラウンド制、約一ヶ月のインターバルを開けた二日間に分けて争われる大会の二回戦までが、年明け一回目のエボリューション、その前半の目玉として組み込まれた。年末に行われた試合は、翔馬のお披露目に過ぎない。翔馬がこのトーナメントの初代王者となり、U18トーナメントを新しいコンテンツとして成功させることが、このストーリーの既定路線だった。
 選手の選定は困難を極めた。翔馬と釣り合う体格と実力を持った同世代の若者は絶対数が限られていて、条件に合う者が見付かっても、噛ませ犬になることを嫌う指導者が首を縦に振らなかった。漸く全ての出場選手が確定したのが一ヶ月前。その内の一名が調整に失敗して棄権したことにより、主催者はぎりぎりで新たな参加者を探すことになった。
 島田道久の道場に、凄い高校生がいる。
 その噂は数人の格闘技ライターを経由して、早い時期に主催者側にも伝わって来ていた。ライターにまで知られているタケシが最初の候補にも入らなかった理由は、大会の役員の中に島田を良く思わない者が少なからずいたからだ。
 日向タケシのマッチメイクは危険だ。
 旧くから島田を知る者は再選考の過程でも、そう主張した。他流派の空手大会にすら出場歴がない者が、いきなり活躍出来るほどキックボクシングは甘くない。しかし、あの島田が「出す」と言うのなら、それは噂通り、日向タケシが只者ではないということだ。事実、島田道場に出稽古に行った格闘家は、日向の才能を高く評価している。吉岡翔馬が勝てる可能性は、一パーセントもないと言う者もいる。それどころか、トラウマ兄弟は、日向タケシに壊されるかも知れないと、真顔で話す者までいる。主役を食われたくないならば、日向を選ぶべきではない。タイにでも行って、年齢が合って見栄えの良い奴を適当に見付けて連れて来ればいい。
 その主張は、反対派達の意図とは真逆の結果を生んだ。
 再選考会議に参加したテレビ局側の人間にとっては、彼らの不安の全てが、「おいしい話」にしか聞こえなかったからだ。
 どの団体の唾も付いていない、未知の大器。伝説の空手家島田道久から一子相伝の技を学ぶストイックな高校生。不良然としたトラウマ兄弟とは対極の、精悍で飾り気のない見た目には、昭和の漫画の主人公のような正統的なスター性がある。こんな「素材」は滅多に見付かるものではない。これだけの要素があれば、負けても会場を盛り上げるだろうし、鮮烈に勝利を決めれば、決勝に向けて「数字」の期待が高まっていく。たとえ決勝で翔馬が敗れたとしても、そこから生まれる遺恨をプロレスで言う「アングル」にして、この若者達の格闘ドラマを創り上げていけばいい。
 ドル箱ではなくなったプロ格闘技の興行においてテレビ局の権力は絶大で、ドラマの筋書きを決めるように、マッチメイクの方針が決められていった。
 島田と友好的な関係にあるプロレスラーが主催者との仲介に入り、すぐに交渉は進められた。島田はルールの確認すらせず、ファイトマネーを限界まで吊り上げたところで、日向タケシの参戦を承諾した。日向はトーナメント表で吉岡翔馬と反対の山に入り、番宣は二人の対立構造を煽った。
 エボリューションU18トーナメント。
 その一回戦が、今始まろうとしている。

 青コーナーのロープを潜ったタケシは空手家らしく十字を切り、黒い空手着を脱いだ。
 生木を彫り込んだような筋肉がアリーナの照明を受けて露わになると、会場がどよめきに包まれた。タケシの体は、対戦相手のムエタイ、ライトミドル級で博多の怪童と呼ばれる日比混血の高校三年生、一学年上の飯田海斗に比べても、明らかに優っていた。
〈日向、中に入って打ち合うぞ〉
 島田はロープ越しにタケシの首を揉み、マウスピースを咥えさた。各陣営三名まで認められているセコンドが、青コーナーではただ一人、黒いジャージ姿の島田道久だけだ。
 赤コーナーのセコンドでは、かつてキックボクシングの軽量級選手として日本でも活躍したタイ出身のトレーナーが、飯田と額を合わせて祈っている。
 飯田の体を舐めるように見ながら、島田が言った。
〈前蹴りに気をつけろ。接近したら膝もある〉
 タケシは〈押忍〉と頷き、感触を確かめるように左右の拳を叩き合わせた。

 試合開始のゴングが鳴る。
 タケシは両足に等しく体重を乗せ、サウスポーに構えた。島田道久直伝の、空手の構えだ。
 飯田は脇をやや開き、前に出した両拳を目の上あたりまで高く上げ、前足よりも後ろ足に体重をかけた右構えになっている。典型的なムエタイの構えだ。前足でトントンとリズムを取りながら、攻撃のタイミングを探っている。
 その足が、タケシの体に向かって真っ直ぐに伸びて来る。飯田の前足は、攻撃力を持った触角のように、タケシとの距離を測っている。
 後退するタケシを追って、ジャブが来る。
 タケシはジャブを払ってローキックを返し、飯田は前足を上げてそれを防御する。
〈ムエタイの構えは理に適っている〉
 タケシは一旦飯田の間合いを離れ、師の〈声〉を聞く。
〈脇を締めない腕の構えは、ハイキックの防御に適している。リズムを取る前足はローキックとミドルキックをカットし、踏み込んで近付く相手を前蹴りでストップする役目も果たす。右の上段を蹴ってみろ〉
 タケシはジャブを打ちながら間合いを詰め、ガードの上から、単発の右ハイキックを蹴った。飯田の腕がしなやかにそれを受け止め、衝撃を無効化する。
〈これがムエタイの防御だ。つまり、これを崩すには相手の懐に入らなければならない〉
〈押忍〉
〈次の前蹴りを捌いたら、飛び込むぞ〉
 タケシは相手の右側に回り込みながら、故意に体を開いてボディに隙を見せた。そのまま飯田の顎先を狙ってジャブを打つ挙動に入る。タケシの広い視野の中で、飯田の左足がマットを離れる。
作品名:<未完成> 作家名:新宿鮭