<未完成>
〈行くぞ〉
カウンターの前蹴りを狙って伸びて来た相手の前足を左手で払いながら、そのまま左回りに体を回転させる。遠心力を付けて打ち込んだ左の裏拳が、相手の腕でブロックされる。その時、すでにタケシは飯田の懐に潜り込んでいる。突き上げるように。タケシの拳が高速で飯田を突く。アッパーからフックへ、左右のボディに意識を散らし、また顔面へ。タケシは島田の〈念じる〉動きを正確に体でなぞっていく。
打ち合いに応じた相手の拳を左右に頭を振って避け、迫って来る前足の膝蹴りをぎりぎりで躱す。飯田の攻撃を捌きながら、タケシは連続で拳を叩き込む。防戦一方になって抱きついて来た相手をレフリーが分けた時、二人のダメージの差は、もはや歴然としていた。
「なんというスピード。なんという回転力。日向タケシが圧倒的な速さで、このリングを支配しています」
実況アナウンサーが捲し立て、その隣に座った元プロキックボクサーの解説者が続けた。
「しかも一発も貰わないでぜんぶ避けてますよ。しびれますね。なんか漫画みたい、っていうかCGみたいですね。お、また行きますよ」
タケシは再び相手の懐に飛び込んだ。応戦する飯田の拳は次々と空を切り、その隙間から突き入れられるタケシのパンチが、的確にその顔を捉え続ける。ガードが上がって空いた脇腹に左ミドルを蹴り込む。誰の目から見ても、飯田の限界が近付いている。飯田がパンチを浴びながら抱きつこうとしたところで、レフリーがスタンディングダウンを取った。
カウントの声が会場に響くと、熱狂した観客が一斉に立ち上がった。
実況は興奮して叫びながら唾を飛ばし、モニタールームで試合を見守っていたテレビ局の人間達は、満面の笑みを浮かべて心を躍らせた。
「なんか昔の島田先生の試合を見ているみたいですね」
解説者がぽろりと言った言葉に反応し、カメラが島田をズームする。望遠レンズが捉えた島田の顔は口から下がリングに隠れていて、その目は探るように飯田を見ている。
「島田先生、この試合が始まってから一言も指示を出してないんですよ」
実況が同意して、「それだけ愛弟子の力を信頼しているということでしょうか」と話をまとめる。
飯田のセコンドは、大声で指示を出している。
ラスト30秒! 距離を取れ。打ち合いに付き合うな。
ファイティングポーズを取る飯田の戦意をレフリーが見定める。
「続行です!」
実況アナウンサーが声を張る。
島田は身じろぎもせず、じっと飯田を見ている。
〈今日はあと一試合ある。このラウンド内に倒すぞ〉
タケシは島田の〈声〉に頷き、ファイティングポーズを取った。
飯田はパンチを警戒し、グローブで顔を覆うようにガードを固めている。
〈見ろ。蛞蝓に塩を振ったみたいに構えが小さくなっている。このラウンドを凌ぐことだけで、あいつの頭の中はいっぱいだ〉
試合が再開され、飯田の前蹴りが伸びて来る。
明らかに相手は、距離を取ろうとしている。
島田から指示を受け、左のミドルキックを蹴る。ガードする相手の腕と接触した脛の感覚がタケシに教える。相手はボディを嫌がっている。
〈そうだ。ミドルキックを捌く時のガードが下がり始めた。ミドルと同じ挙動でハイキックを蹴るぞ〉
タケシは集中し、島田の指示を聞く。技の流れをイメージしながら、そのきっかけになる局面を待つ。
〈今だ〉
内股へ伸びて来るローキックに合わせて、素早く前に踏み込む。相手の蹴りの距離を潰して、ガードの上からパンチを叩き込む。
島田の〈声が〉、音よりも速くタケシの脳に伝わる。相手はグローブと腕で顔面と腹を守り、腕の隙間からタケシを見ている。その隙間に向かってタケシは容赦なく拳を打つ。飯田は構えを小さくし、必死でそれに耐える。
ラスト10!
相手のセコンドが叫ぶ。
左ストレートを打ち込みながら、タケシは上体を大きく傾ける。
飯田の狭い視界からタケシの体が消える。
焦った飯田は、ガードを固める。
〈撃ち抜け〉
左ハイキックが側頭部を叩く。
頭蓋骨から、飯田の意識が弾き飛ばされる。
ミドルキックをブロックする形になったままの飯田の体が、ゆっくりと倒れていく。
受け身も取れずに着地した頭が、マットの表面で大きくバウンドした。
レフリーが大きく手を振って試合を止める。
タケシは残心の構えを取り、気絶した相手を静かに見下ろしている。
それは眠っていた格闘技ファンを叩き起こすような、衝撃的なデビューだった。
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