<未完成>
切られた二人の白い髪は、ラーのための特別なウィッグになった。
11
白い髪の残像が消えた向こうで、現実の二人が微笑んでいる。
ミコは零れ落ちそうになる涙を我慢して、彼らに笑顔を返した。
「We talked too much」
Mr.HAIRが唇で言うと、部屋の中の何人かが笑った。Mr.MAKEが腕時計の針を見せて指を二本立てる。まだ二分しか経っていないことが、その動きと共に伝わって来た。
〈そうね、ミコ。あなたのことを教えてもらう前に、まずわたしたちの目的を伝えなければ〉
ミコの頭に幾つかの疑問が浮かんだのをきっかけに、双子の物語は次の章に入った。
〈わたしたちは、ラーの指示でこの国に来た。彼女はあなたに、強い興味を持っている。あなたのファンだと言ってもいいぐらいに。まるで少女みたいに、ときめいているの。あなたのエージェントが望むような衣裳はきっと着ないと思うけれど、あなたは次のライブでステージにプロジェクションされる映像に出演することになるわ。わたしたちはその決定を一任されていて、あなたはもうそれに合格している。どんなファッションでどんなアクションをするか、そもそもどんな映像を撮るかは、ラーが直接あなたを見て決める。
これはオフィシャルな約束ではないけれど、多分、その時に新しい曲が作られる。喜んで貰えて嬉しいわ。そう。あなたをイメージした曲が出来るということ。彼女は自分が気に入った相手から受けるインスピレーションを音に変えて、曲を作ることが多いの。あなたはきっとラーに気に入られる。わたしたちは、そう確信している。彼女の曲はそのほとんどが誰かの魂を音楽に置き換えた「音の肖像画」なの。ラーのアルバムには、わたしたちそれぞれをイメージした曲もあるのよ。まだ誰も気付いていないけれど、その二曲を同時に流すと、ビートが倍になった別の曲になるの。同時には歌えないからライブでは演奏されないけど、すごくいい曲よ。ごめんなさい話が逸れたわね。先に進めるわ。わたしたちがここに来た理由は、もう一つあるの〉
Mr.MAKEから現れた人型のイメージが、そばかすだらけの赤毛の男になった。
〈彼はチャッキー。本当の名前は違うけど、子供の頃からのニックネームをそのままアーティストネームにしているの〉
Mr.HAIRが単独でそう話すのと呼応して、Mr.MAKEが空中に浮かべたチャッキーのビジョンが動き出す。
現実の双子は悪戯っぽく微笑んでいて、ビジュアルとナレーションを分業する遊びを楽しんでいるように見える。
チャッキーが興奮した表情でPCの画面をこちらに向けて〈インクレディブルな女の子を見つけた〉と言った。それは、心の声だった。
〈ラーのスタッフにはわたしたち以外にも能力者がいて、チャッキーはその中の一人。彼はバンドのマニピュレーター兼レコーディングエンジニアで、日本のアニメーションやアイドルカルチャーのギークなの〉
チャッキーが見せるPCの中に、ミコは自分の姿を見た。それは夏に撮った写真集のメイキング映像だ。
Mr.HAIRが指を組み替えながら言った。
〈この撮影の時、あなたはグランマのことを思い浮かべていなかった?〉
どきりとして、そのまま鼓動が速くなった。
一日に何度かは祖母のことを想うミコには、その質問を否定することが出来ない。もしMr.HAIRの言うとおりだったとして、いったいそれの何が悪かったのだろうか――。
〈あなたはこのビデオの中ではっきりとグランマに話しかけていて、その心の声がそのままこの映像に記録されているの。Sorry grandma. あなたははっきりとそう言っているわ。わたしたちのスタッフにいる能力者の全員が、あなたの《声》をはっきりと感じた。当然、わたしたちもそれを感じた。能力者でないスタッフの中にも、《声》は聞こえないけれどなぜか自分のグランマのことを思い出したと言う者がいた。え? 覚えていないの? まあ、いいわ。とにかくこのビデオで、わたしたちはあなたに気付いたの。そして間もなく、これが出た〉
チャッキーのPC画面は歯ブラシのCMに変わる。
〈この作品のクオリティーに対するコメントはあなたの責任ではないから控えるわ。重要なこと、それは、あなたが、映像に乗ってメディアにも記録される、《もうひとつの声》を持っていること。更にあなたはその声で《歌うことが出来る》ことなの。あなたはこの映像の中で歌っている。歌いながら、その旋律と、歌詞の意味を頭の中でイメージしている。それが、《もう一つの歌》になって、映像と一緒に記録されている。この作品がヒットした理由はそこにある。あなたは見る人の潜在的な意識の中に《やわらかくて先の尖ったかたちをした音》をサブリミナル広告みたいに刷り込んでいるの。映画の中の一コマに書かれたキャッチコピーで、なぜかコカコーラが飲みたくなるように、視聴者の心に《音でできたイメージ》を植え付けているの。その自覚はある?〉
ミコは放心状態になってぽかんと口を開いたまま、正直な心を伝えた。
〈残念ながらあなたがいるこの世界は、夢の中の世界ではないわ。昼間に食べたケータリングに、麻薬が入っていたわけでもない。あなたはいま疲弊していて、まわりが見えていない。事の重要さに気がついていないの。あなたには、あなたにしか出来ない能力があって、それは危険なほど強いものなのに〉
Mr.MAKEの頭から現れた巨大な髑髏が、大袈裟にガチガチと歯を鳴らした。
〈あなたの歌を聴いた能力者達は、意味不明の東洋の言葉から、なぜか柔らかくて尖った形のものが頭に浮かぶと言ったわ。それが頭の中を心地良く触って来ると。その形に幾らかの差異はあるけれど、わたしたちも同じような刺激を受けた。あれは――、素晴らしい体験だったわ……〉
髑髏の骨格が透けて、脳が見える。そこには五線譜が巻きついていて、ミコの歌に合わせて現れた音符の玉が、先端を柔らかく尖らせて脳の表面を突く。突かれた脳は暖色に発光し、意思を持ったひとつの生き物のように身をくねらせる。
〈わたしたちはラーの歌にも同じような力があると思っている。英語圏ではない国のオーディエンスの多くが、かなり正確に詩の内容を理解している事例があるの。でもそれは直接ラーの歌を聴くことが出来る、「ライブ」を体験した人に限られている。ラーのライブはインターネットで世界中に配信されているけれど、英語を理解出来ない人がそのビデオから歌詞の内容を理解出来たという信憑性のある事例は、現時点では一例も把握出来ていない。
わたしたちは言語を使わずに意味を伝え合うことが出来る。わたしたちとラー、そしてあなたは、ビジョンつまり視覚的なものを共有することが出来る。でも、音を伝えることは、わたしたちが知る限り、あなたにしか出来ない。例えば、さっきラーがわたしたちをテーマに作った曲があると伝えたけれど、それを発声しないであなたに伝えることは、いまのところ不可能なの。